伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年1月5日 令和3年 新たなる旅立ち GP生

 高齢者は新しい年を迎えるたび、現役時代は遙か昔の事となり厳しい今を意識する事になる。昨日出来たことが今日できれば、このペースが何時までも続くと錯覚してしまう。老齢化を意識するのは、身体不調に見舞われた時である。それでも70台半ばまでなら、病が回復すれば立ち直ることが可能であった。後期高齢期を過ぎれば、病以前と同じ生活は次第に困難になってくる。気力はともかく、体がついて行かなくなるからだ。

 昨年、押し迫った年の瀬に、心身状況が一変した。自らの不注意により極度の貧血を起こし、緊急入院による輸血に救われたからだ。5日間の入院により出血部位の治癒が進み、自らの造血により貧血状態は次第に解消して行った。しかし、それは最悪の状態を脱したと言うことで、貧血状態が完全に元に戻ったと訳では無く、日常は短時間では戻ってこなかった。日々の回復は薄皮を剥ぐ状態であった。体内での血液の産生に依存しているからだろう。日が経つにつれ、顔に赤味が増し、手の指の色が変わり、外出に辛さを感じなくなってきた。人体は赤血球による酸素供給が十分でなければ、身体活動が出来ない事を改めて思い知らされた。

 昨年末の新聞紙面に、この年逝去された著名人の写真と履歴が特集されていた。坂田藤十郎88歳、なかにし礼82歳、山本寛斎76歳、野村克也84歳等々だ。この記事を眺めながら、自分が、日本人男性の平均寿命と同じ歳になった事を意識した。昨年末のアクシデントは、自らの不注意が招いた事であれ、老化の進行と共に同様な事態を起こさない保証はないのだ。今日無事過ごせても、何れこの世を去らなければならない時は訪れる。70歳代には、大病してもこのような思いに駆られることは無かった。これが80歳代の厳しい現実であろう。

 家業はマンション管理会社の運営である。今年、会社の決算後、運営一切を後継者に譲り、自分は引退する事を決意した。後継者も了承した。今回の病が治癒すれば、今まで程度の業務はこなせると思うが、今が潮時なのだ。何れ日常生活さえ出来なくなる時が訪れる。それでは時遅しだ。しがない家業であっても、面倒事が多い経験を要する仕事である。自分が健在の内にサポート出来るとしたら、今年がラストチャンスと考えた。どの組織でも、何時までも年寄りが現役に留まっていれば、次の世代は育たない。老害に悩まされている組織も多い筈だ。老兵は去り行くのみだ。

 自分が病に倒れた父に代わり、家業を手伝い始めてから30年が過ぎた。当時、現役サラリーマンであった為、会社勤務と父の面倒と家業をこなして5年後、父はこの世を去った。その後、1年間、会社勤務との兼業で頑張ったが、次第に両立が困難になり、退職し現在に至っている。昨年末のアクシデントにより、自分が、昔の父と同じ立場に立たされたことを自覚させられた。入院中も退院してからも、決断を迫られていることを意識せざるを得なかった。

 長いサラリーマン生活と決別した時、生活環境は激変した。54歳の時である。この変化に順応するため苦労した経験がある。生活のペースが全く異なるからだ。サラリーマンにすれば、毎日が日曜日の感覚である。今回の引退は環境の変化ではなく、心の持ち方の切り替えである。30年近く継続してきた業務は、雑務が主体とは言え心に染み込んでいる。3年前、大病を境に身体を使う仕事を全て外部業者に委託したことも、心の切り替えを容易にした要因である。

 蒙古放浪の歌の日誌に書いたように、人生は終着点の無い千年の旅路である。引退により肩に掛かっていた重荷は取れるが、刺激は激減する。老化も進行するだろう。新たなる目標と変化有る日常にする努力が求められる。実際の業務引継は今期決算終了後となり、半年先である。それまでは業務の責任は自分の肩に掛かっている。この間、自分流に行ってきた管理資料を、後継者が利用しやすいよう整理する仕事が残っている。自分のこれからを考える時間は十分ある。

 人はこの世に何を求めて現世を生きるかを心の奥に秘めて誕生する。人が生涯自覚することの無い想いである。現実の世を生きることは、厳しい試練を求められ、常に立ち止まり悩むことの連続である。それが人の心を鍛え成長させる事になる。後悔は先に立たずを、幾度経験したことだろう。それを乗り越えなければ、先に進めないのが現実である。自分が何を求めてこの世に誕生したかを、少しずつ覚醒するための試練なのかも知れない。

 初めて社会に旅立とうとする時、その先に展開する人生が全て見えたとしたら、怖じ気づく事は間違い無い。それだけの経験が待ち構えていたのだから。実際は、くじけること無く前に進めたのは、心に負荷がかかる度に鍛えられ強くなっていったからだ。これからは、自分に掛かる責任は激減し、面倒事も限られたものになる。心の負担は次第に軽くなっていくだろう。これからが本当の余生なのだ。

 今年の半ばを過ぎれば、新しい環境が待っている。その後が人生最後の仕上げとなるであろう。この残された時間を、如何に過ごすかが求められている。考える時間はまだある。確かなことは、この世を旅立つとき、悔いを残してはならない事だ。我が生涯悔いは無しとの思いで、魂の生まれ故郷に戻ることが出来れば、これに勝る幸せは無い。令和3年は、自分にとって新たなる旅立ちの年となるであろう。

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