伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年12月28日: 令和2年、最後の試練 GP生

 前回の日誌の続きである。12月半ば、水曜日の夜に激しい下痢と嘔吐に見舞われたが、「ういろう」と胃腸薬で落ち着き、翌日の高齢者認知検査も無事終了した。更に、翌金曜日は何時もの鍼灸院で腎経の治療を行い、土曜日にスポーツジムで水中歩行を行った。この間、身体異常は感じられなかった。排便は黒かったが正常便で、下痢の影は見えなかった。前回の日誌にも書いた通り、土曜日に就寝してから通常ではない睡眠不足が翌朝まで続き、日曜は頭がフラフラする状態が続いた。何回かの耳石体操を行い就寝した所、深夜のトイレ行きでも何事も起こらなかった。目眩やフラつきが耳石体操で落ち着いたと安心したのも束の間、更なる試練が待ち構えていた。

 月曜日、起床後に予想外の状態に見舞われた。頭のフラフラが止まらないのだ。耳石体操を繰り返しても効果が無かった。身体を横たえると目眩は止まり、ゆっくり身体を起こしベッドに座ると目眩は治まった。ところが立ち上がるとまた発生した。これは尋常でない思いで、何時もの鍼灸院に電話して直ぐに予約をした。着替えをする時も、エレベーターに乗る時も、外でタクシーを待っている時も、目眩は断続的に生じた。その場に座り込み、暫くすると目眩は収まった。鍼灸院の扉を開けた時は、フラフラとなり待合のソファーに倒れ込んでしまった。

 その場で足首の加温と血流を促す漢方薬が処方された。暫くすると落ち着いてきたので、診察室に入り治療着に着替えた。中医鍼灸師による診断結果、顔が青いこと、指先が白いこと、脈拍が非常に高いこと、舌が真っ白なこと、全身の皮膚の乾燥が著しいことから、身体の末端の血流が悪くなっており、特に頭部への血流結滞が目眩を起こしていると説明された。頭部への血流を促すツボへの鍼灸治療が始まった。この間、再び漢方薬を服用した。鍼灸治療は通常1時間であるが、今回は身体の休息時間を含め2時間の治療となった。治療後、4時間治療ベッドに横たわり、OS1を初めとする水分と流動栄養食を摂取した。中医鍼灸師によれば、身体の乾燥が著しく、その結果、血中水分が減少し心臓の負担が増加し、脈拍が高くなっているとのことであった。そう言えば、ここ数日喉が渇き、普段より水を飲むことが多かった。腎臓機能を低下させないため、遠赤外線マットを使う時間が多くなったことを思い出した。これが身体の乾燥を更に助長させたのだ。水曜日の夜の嘔吐と下痢により体内の水分が減少し、盛んに水分補強を行ったが追いつかなかった様だ。しかし問題は水分だけでは無かったのだ。

 治療を終え帰宅後、治療前よりはフラフラやクラクラの程度は減少したが、完全な状態では無かった。その日の夜は熟睡出来たが、火曜日の朝起床後、再び目眩が発生した。身体を横にすると安定することから、身体に別の要因による異常が生じていると考えざるを得なかった。貧血である可能性が高くなった。そして病院行きを決意した。出かける前、中医鍼灸師から電話があり、症状を話すと病院での診察を勧められた。治療後も脈拍が高いことが気になっていた様だ。病院は、尿酸値を下げるため通院しているクリニックである。

 クリニックの医師は、内科と循環器系の専門医でもあった。先週水曜日からの経過を詳しく話したところ、下痢と嘔吐の状態を詳しく聞かれた。下痢、嘔吐とも水状で色は真っ黒であったと説明すると、医師は「恐らく消化器から出血した血液が変色して、黒い状態になっている。出血量は判らないが、身体状態からかなりの量と思われる。直ちに処置をしないと大変な事態になる可能性がある。直ぐに病院を紹介する。」といわれた。医師は地区唯一の総合病院に電話をした上、紹介状を書いてくれた。看護師が呼んでくれたタクシーに乗り、総合病院に向かった。

 総合病院はかなり混雑していたが、手続きはスムースに進んだ。担当医の診断の後、各種検査を待つ間、点滴が行われた。病院内の移動は男性介護士による車椅子である。点滴は2時間近く掛かったが、点滴が進むにつれ頭のフラつきが次第に解消していった。血中水分量が増加し、頭部への血流量が増加したためだろう。立ち上がったときのフラフラが少なくなってきた。点滴の前に、採血と体温、血圧、脈拍、指の酸素量測定が行われた。

 検査は、心電計・胸部レントゲン・CT・PCR検査、そして最後は胃カメラである。これらの検査は、出血部位の診断だけでなく、新コロナ検査も同時に行われた。勿論、新コロナは陰性であった。担当医は、出血部位は胃に出来た潰瘍によると推測していたが、患者が高齢故、胃ガンの可能性も排除できなかったようだ。胃カメラ検査の結果、出血部は胃の粘膜に出来た潰瘍であると診断された。潰瘍は大小複数存在していたが、出血は止まっていた。勿論、胃ガンは否定された。

 血液検査の結果、貧血状態は想像以上に激しかった。ヘモグロビン値は最低基準値13.7を大きく下回る5.0、極度の貧血状態であり、極めて危険な状態と診断された。早速、輸血の手配が行われた。ヘモグロビン値が6.0を下回れば速輸血だそうだ。輸血用血液は地区の血液センターから運ばれるが時間は掛かる。到着を待つ間、入院病室での安静状態が続いた。点滴は継続的に行われた。輸血が始まったのは、当日の午後8時、輸血量は600ml。完了までに5時間を要した。輸血後も点滴は再開された。胸には遠隔操作の心電計が着装され、看護婦が定期的に、体温・酸素量・脈拍そして血圧検査に訪れた。ベッドに身を横たえウトウトするも、十分な睡眠は取れなかった。

 翌水曜日、朝一番で採血がおこなわれた。輸血による血液の回復状態を確認するためである。結果は2時間後、担当医から説明を受けた。問題のヘモグロビンは6.6まで回復していたが、予想より低かったようだ。6.0をオーハーしているので、再度の輸血は無しと決まった。血液型が同じでも、輸血用血液は自身の物ではない。輸血前に医師から輸血による副作用を詳しく説明された。輸血は安易に行うものではなく、命に関わる場合の手段である事が理解出来た。今回の輸血量は全てを考慮した量であったのだ。後は患者自身の造血能力に掛かっていた。

 次回の採血は2日後となった。この間、鉄剤を含む栄養成分が間断なく点滴された。患者の造血能力が試されているのだ。入院2日目、夕食が出された。重湯100c、実なし味噌汁、バナナミルク、桃缶ピューレ、ヨーグルト、そして食塩0.2cである。誠によく考えられた食事だ。日を追うにつれ固形分の割合が増え、食事量も増えていった。2日後の採血結果は、ヘモグロビンが7.7まで回復していた。医師によれば、造血の回復は順調との事であった。その他、胃潰瘍の状態を現す数値も改善傾向が見られた。造血剤の点滴は継続である。1日4回の検査は続けられ、日毎に各数値とも身体状態の改善が現れてきた。入院時に静脈注射された胃薬と鉄剤は、途中内服薬に替わった。入院4日目に翌日の退院が告げられた。胃薬と鉄剤10日分が処方されることとなった。次回の通院検診は、翌1月4日に予約された。

 土曜日、予定通りの退院となったが、振り返ると幾つかの幸運に助けられた思いである。尿酸低下のために、通院していたクリニックの医師は、内科、循環器の専門医でもあり、総合病院とは密接な関係があった。右から左に処置と治療が受けられた思いでいる。この総合病院は11月にコロナのクラスターが発生し、総合病院としての機能を失っていた。全ての措置が終わり、緊急患者の受け入れをはじめ、病院機能が正常に回復したのは自分が入院した前日であった。その以前であれば、何処の病院にたらい回しされていたも知れない。病室も希望する個室に入ることが出来た。この総合病院の優れた治療システムに救われたのだ。

 今回の事態は賞味期限切れのジュースを飲んだことから始まった。ジュースは、植物性タンパク質を多量に含有するユーグレナを主体とする製品であった。炭水化物と違ってタンパク質は、時間と共にアミノ酸に分解され、異質の物質に変わる可能性が高いのだ。恐らく悪性物質に変質し、これにより急性胃潰瘍を発症したのだろう。飲んで1時間後の下痢と吐瀉物は、黒色の液体であった。この黒色は、血液が胃酸により分解された結果であったのだ。排出物の黒色を深く考えなかったことも、加齢による思考力の低下と考えざるを得ない。衰えたものだ。

 排出した下痢、嘔吐の液量から水分を勘案しても、かなりの出血が想像されるが、遅かりしである。直後の「ういろう」服用は、潰瘍に効果的に働いたのだろう。その後3日間異常が無かったのだから。この効果が、適正な判断の遅延に繋がったのかも知れない。下痢・嘔吐後、ギリギリのバランスを取っていた身体状態は、睡眠不足により最後の引き金が引かれた。何れにしても、注意を怠り惰性に流された行動が、今年最悪の事態を招いた主因である。高齢者は、意識した行動と細心の生活態度が求められる。場合によっては生命の危機さえ招くかも知れないのだから。新しい年を前にして、大いなる反省材料となった。「年齢を自覚し心せよ!」だ。

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