伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年12月14日: 寿命の方が先に来る!  T.G

 旧友のKo君から久し振りのメールが届いた。Ko君は千葉一高の同窓生である。大学3年の夏に仙台に遊びに来てくれてたのが最後で、それ以来60年近く会う機会がなかった。今年の春頃にひょんな事で彼から手紙をもらい、以来交流が再開している。お互い顔を合わせて旧交を温めたいのはやまやまなのだが、コロナ禍で果たせていない。せいぜいがメールでのリモート交流にとどまっている。それでも懐かしい昔話に花が咲いたりして、「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」の心境を十分に味わえている。

 Ko君は交流再開以来の伝蔵荘日誌愛読者である。日誌を紹介したら、小生との60年間の空白を埋めるために読んでくれているらしい。その彼からメールで、最近伝蔵荘日誌の執筆頻度が減っていることを指摘された。その理由を含めてこちらの近況を返信メールで報告した。7月に入って体調を崩し、原因不明の食欲不振に見舞われたこと。その最中に白内障手術が重なり、その煩わしさとストレスで落ち込んだこと。あげくに入院手術の際受けさせられたコロナ検査で肺がんの疑いが見つかり、さらに落ち込んだこと、などなどである。

 8月初めに白内障の手術を受けた。そのために7月末にコロナ検査を受けさせられた。院内感染を防止するためで、もし陽性なら手術延期である。幸いPCR検査は陰性だったが、その際念のため撮られたCT検査で肺に小さな影が見つかった。コロナと違い手術には支障がないので、手術は予定どおり受けた。手術後に呼吸器内科の診察を受けると、肺に5ミリぐらいの小さな影があるという。おそらく古傷(古い炎症の跡)だと思うが、肺がんの可能性も捨てきれない。半年後にもう一度CT検査をやりましょうと言うことになった。

 もしかしたら癌かもしれないという不安を抱いたまま半年を過ごすのはいささか辛い。判決を半年先に引き延ばされた被告人の気持ちである。結果が分かるのは先の話なのだから、くよくよしても仕方がない。医者も癌の可能性は低いと言っている。そう思うことにしていても、何かの拍子に頭に思い浮かんで、黒い雲がモクモクと湧いてくる。もしかしたら癌なのではないかと。そういう切ない精神状態が半年続いた。生まれつきの心配性で、ついつい食欲もなくなり、なにを食べても美味くない。酒も飲む気が起きない。ただでさえ少ない体重が2キロ減った。伝蔵荘日誌を書く気も起きなくなった。日誌を書くには気力が要るのだ。癌を三度患っても意気軒昂で、伝蔵荘日誌を書きまくっているGP生君がうらやましくなる。

 そんな状態が5ヶ月近く続いて、先週10日に呼吸器内科の再診察を受けた。事前にCT検査も受けている。そCTの映像を前にして担当医から説明を受ける。影の状態にはなにも変化がない。5ミリのサイズも4ヶ月前と同じで、形も変わっていない。進行性のものではなく、おそらく大分前の炎症の跡だろうという。肺の炎症と言えば肺炎の事だろうが、いつ肺炎になったのか思いつかない。医者は自覚症状のない炎症もあるのだという。ほとんど心配ない状態なので、これで無罪放免という医者もいるでしょうが、念のために半年後にもう一度だけ検査をしましょうと言われた。大事をとっているのだろう。

 ただでさえ心配性の小生が「癌の可能性はゼロではないのか」としつこく聞き質すと、「ゼロとは断言出来ないが、仮に万が一癌だったとしても、進行が遅くて寿命の方が先に来ますからご心配は要りません」ときっぱり言われた。よほど深刻そうな顔つきだったのだろうが、「寿命の方が先に来る」とは、実にエキセントリックで分かりやすい表現である。そう言われて驚くと同時に胸にストンと落ちた。若いがなかなか言語表現に長けた医者である。こういう端的な物言いをする医者は珍しい。普通ならもう少し曖昧な言い方をするだろう。

 炎症の跡については以前にも指摘されたことがある。ヒマラヤ行きを繰り返していたとき、アルパインツアー社から高山病対策として肺の健康診断を要求された。指定された三軒茶屋の医院で検査を受けたところ、レントゲンで肺になにやら症状がある。昔何かやりませんでしたかと言われた。そのときはなにも気にしないでヒマラヤに行ったが、おそらく何らかの影があったのだろう。その話を医者にしたら、この程度の影はレントゲンでは見えません。CTでないと分かりませんと一蹴された。普通の健康診断では見つからないと言うことだ。

 大学4年の夏、ワンゲルのOt君と二人で白馬岳から上高地まで北アルプス全山縦走をやったことがある。白馬大雪渓の登りで大雨に降られた。全身ずぶ濡れで山小屋に泊まり、翌日歩き出したが、白馬槍の頂上で体がよろけて足が前に出なくなった。白馬槍の山小屋で体温計を借りて測ると39度の高熱である。そのまま小屋で寝ていたら、翌日は熱が下がった。そのまま10日間歩き続けて槍穂高を超え、上高地に下りた。微熱があるらしく、松本に下りるバスの中で気持ちが悪くなったのを憶えている。そのまま仙台に帰ったが、おそらくそのとき軽い肺炎にかかっていたのだろう。もしかしてその古傷なのかもしれない。若さに任せて無茶をしたものだ。

 病院から帰宅した後は胸の中から黒い雲が一掃され、久し振りで気分爽快になった。「寿命が先に来ます」の一言の威力である。そうなると現金なもので、気持ちが愉快になり、食欲も回復し、なにを食べても美味しく、酒が美味く感じられるようになった。苦いだけだった会津ほまれの大吟醸が以前の美酒に変わった。たったそれだけのことで人間は幸福になれるのだ。贅沢は言うものではない。

 コロナを含めて今年は実に良くない年だった。特に7月からの後半は繰り返す食欲不振、白内障手術、肺の影問題、その上に免許更新の認知機能監査などが重なり、憂鬱で最悪な年だった。どうか来年は良い年でありますように。平穏無事な毎日を過ごせますように。

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