伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年11月6日: 高齢者の体質と気質 GP生

 先日の事だ。週一回通う鍼灸院で治療中、中医鍼灸師から「貴方の骨は太くしっかりしていますね。この年齢の方には極めて珍しい。」と言われた。更に、高齢者の健康の源は骨であり、歩行困難や体が不自由になる人は、骨が衰えている事が多いと続いた。言われてみると、街を歩く高齢者の歩き方は千差万別である。近隣の高齢者の知人を見ても、がっしりした体格の女性は元気な人が多い。骨格は外見的な身体の大きさとは無関係のようだ。

 骨格を含む体質は両親からの遺伝によることは間違い無い。自分の両親に想いをはせると、父はすらりとした体型であったが、骨格はしっかりしており頑健であった。父は大東亜戦争終戦時、千島列島の択捉島でソ連軍の捕虜となり、シベリアの奥地での強制労働を経験している。極寒の地で粗食と重労働により、多くの同胞が帰らぬ人となったが、父は4年後に無事帰国した。自分が小学四年の時である。父は高齢期にくも膜下出血で倒れるまで、病を経験したことは無かった。最後は6年間に亘る人工透析をせざるを得なくなり、80歳を2ヶ月前にしてこの世を去った。母は筋肉質で、見るからにガッシリした骨格であった。母は86歳の長寿を全うした。

 自分も姉、弟も間違い無く両親の体質を受け継いでいる。自分は70代の半ばに泌尿系のガンを患ったが、それまでは病と全く無縁であった。他の二人も病と縁は無く元気である。今年、自分は父の年齢を超えた。感無量である。人は両親を誰にして誕生するかは宿命である。若い時代は自分の体質を意識することは無くとも、高齢者は加齢の進行により意識せざるを得なくなる。自分が高齢期に患ったガンの過酷な治療に耐え、曲がりなりにも安定した老後を過ごしていられるのは、両親から授かった体質と成長期やその後の生活習慣が大きく影響している様に思える。

 小学校時代は庭や道路で遊び回った記憶が濃厚である。スマホもテレビも無く、勉強は二の次、遊びは自分達で工夫した時代である。身体を動かすことが遊びの基本であった。中学校は担任と親との相談により、郊外の中高一貫校に進学させられた。最寄りの駅から2q先の学校までの往復は、バス通学を禁止され徒歩通学となった。成長期での6年間、往復4qの歩行は骨と筋肉の成長に大きく影響したと思われる。

 中学高校では山岳部に属し、合宿や友人達との山歩きを楽しんだ。親には危ないことをするなとは言われたが、応援はしてくれた。進学してからは縁がありワンダーフォーゲル部に入部し、多くの時間を山歩きに費やした。卒業後、就職した鉱山会社でも毎日坑内を歩き、掘り上がりを上下するのが日課であった。閉山後の仕事でも営業や現場工事が多く、身体を動かし続けた。退職後、マンション管理に従事したが、2年前の腎臓摘出手術まで自分で出来る工事は積極的に行ってきた。振り返れば身体を動かし続けた人生であったのだ。親から受け継いだ体質が強化される生活を送ってきた事になる。

 高齢者の健康は中年以降の生活習慣に大きく影響される。特に食生活は大きな要因になるだろう。持って生まれた体質が変質する可能性もある。自分は50代半ばでサラリーマン生活から決別するまで、栄養や食事に関心を持つことは無かった。体調不良や病と無縁であったためだ。退職した翌年、街の本屋で「医学常識ウソだらけ」を何の気なしに手に取った。分子栄養学を日本で最初に唱えた物理学者、三石巌先生最後の著書であった。買い求めて一気に読了し、大きな衝撃を受けた。如何に自分が栄養に無知であったかを思い知ったからだ。その後、先生の著書を読みあさり、勉強会に出席して分子栄養学を知るにつれ、家庭内での食生活は変化していった。あの本との出会いから、25年以上が経過した。老後の自分と家族の健康に大きく影響した本との出会いは運命的とも言える。

 高齢者の体質は遺伝的要因と生活習慣の複合的結果である。振り返った時、人には70歳の厳しい坂が有るように思える。多くの親しい友人達は、この坂を登り切れずこの世を去った。今に残る多くの友は80歳の峠を迎えている。何人かは大病を克服して現在に至っている。彼等の多くは体質に恵まれていたと言える。恵まれた体質を生かすも殺すも、自覚と努力にある事は間違い無い。

 体質は親の遺伝的要因が大きいが、気質は遺伝とは無縁である。同じ兄弟姉妹でも気質はそれぞれ異なるからだ。気質とは、個人の基礎に成っている一般的感受性傾向や性質と言われている。根底には、人の心が大きく影響しているのだ。成長するにつれ気質は進化し特化していく事になる。加齢が進行するにつれ、高齢者の気質は確固たるものに成っていく。

 高齢期を迎えると個々の気質は際立ってくる。長い人生の積み重ねにより、人の心はその人本来の性質を進化させるからだろう。知人の女性は80歳を過ぎた今も、感受性は年齢を感じさせない。若い時からの過酷な人生経験は、彼女の心を歪めることは無かった。如何なる困難にも逃げること無く前を向き、道を切り開いてきた。その結果、彼女の優れた気質は進化を続けたのだ。高齢期を迎えた今も、彼女の姿勢は若い時のままである。張りのある声と打てば響く気質は、80歳を越えた高齢者とは思えないのだ。彼女が老後の安定した生活を満喫出来るのは、自らの体質と気質を磨き続けた結果である。どれ程素晴らしい体質と気質を持ってこの世に誕生したとしても、それを生かすも殺すも自らの自覚と努力であると思っている。

 夫婦も高齢期を迎えると、お互いの気質の違いを自覚する事が多くなる。若い時は子育てをはじめ日常の些事に追われ、お互いの気質に想いを馳せる間は無いのが通常である。共通の目的があったからだ。高齢期の夫婦は、子供達は自立し二人だけの生活になる事が多くなる。お互い虚飾がそぎ落とされ、本来の気質が色濃く現れてくる。お互いの気質が調和する割合が多ければ、夫婦間の不和は減少するが、違い多くなれば問題が生じる。高齢期を迎え、お互いが見事に調和した夫婦は赤い糸で結ばれた仲と言える。この関係のカップルは極めて少ないのではとの思いである。高齢者夫婦は、気質の違いを理解し合い、日々を過ごす努力が求められている。

 友人達を見ても気質は十人十色である。長い友人関係が続いているのは、お互いの気質を個性として理解しているからだ。気質は違っても人間関係に対する価値観を共通する事が多いほど、より親しい関係となる。若い時築いた友人関係が続いているのは、個性の違いをお互いより深く認識しているからだろう。夫婦関係と友人では気質の違いの影響は違う様だ。

 体質と気質は、加齢が進行するにつれ日常生活に大きな影響を及ぼす。我が身を考えても、親から頑健な体質を受け継いだことに感謝の思いである。これが有ったからこそ、自分の思う道を歩むことが出来たのだ。それが更に体質を強化する事に繋がった。素晴らしい財産を受け継いだのだ。我が身の気質は自分では客観評価は出来ない。残り少ない人生で、親から受け継いだ財産を大切に生かすことが大事と思っている。

目次に戻る