伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年10月17日: ポツンと一軒家 T.G

 テレビ番組の「ポツンと一軒家」が好きでよく見る。グーグル地図で人里離れた山中に建つ一軒家を探し、どんな人が住んでいるのか確かめに行く番組である。近くの集落に立ち寄り、情報を集めて探し回るのだが、ほとんどが所々未舗装の、曲がりくねった細い山道を登った山奥のどん詰まりに建っている。趣味や仕事場に使っている比較的若い年代の人もいるが、ほとんどが70代以上のお年寄りである。中には90歳を超える超高齢者も少なくない。独居老人は少なく、ほとんどが夫婦者で、誰も頼りにせず二人だけで毎日健康に暮らしている。感心するのは、どんな山奥でも電気が通じていることだ。電気がなければ暮らしていけない。たまに電気が来ていないところもあるが、少ない。日本の電力のユニバーサルサービスは大したものだ。

 先日、山形の山奥に住む89歳と87歳の老人夫婦の再放送をやっていた。コロナの2年前の録画だという。以前は50世帯ぐらい住んでいて、小学校も保育園もあった小さな農村。過疎が進んで今はこの老夫婦だけが築150年の茅葺き屋根の農家に暮らしている。89歳の夫はもう農作業は出来ず、足の悪い奧さんに代わって炊事洗濯をする。それ以外やることがない。少し腰が曲がって摺り足歩きになっているが、それでも茅葺き屋根の修理や多少の大工仕事は出来ると言う。昔農作業で使っていたコンクリート製のサイロがあって、それをハンマーでコツコツ叩いて少しずつ取り壊すのが仕事代わりの目的化している。もう3棟壊し終えて、今は最後の4棟目に取りかかっているという。

 コロナ禍の10月現在、連絡を取ったらまだご健在で、すでに91歳と89歳になっているが、2年前と同じ生活が出来ているという。4棟目のサイロも取り壊し済みだという。番組が放映されたら、全国からいろいろな反響があった。築150年の茅葺き屋根の写真を撮らせてくれと、やってきた人もいたという。山形市に住む息子さん夫婦から山を下りて一緒に住もうと言われているが、今は下りる気はない。奧さんも亭主が元気なうちはここで二人で暮らしたいという。ほとほと感心してみていたが、10年後の我々夫婦の姿、理想像だと気がついた。この先体を壊さず生きながらえて、寝たきりにもならなかったら、我々にもこの老夫婦と同じ生活が出来る。そう思ったら急に気が楽になって、なにやらホッコリした気分になれた。

 この話を羽鳥湖の仙人にメールしたら、「ポツンと一軒家、前に見たことがあります。撮影の際の報酬はどれほどの金額が知りませんが、よく撮影させたと驚きました。昨今こそ泥、強奪、殺傷事件が多発している。海外国籍者などの犯罪も多発、セキュリティも完全に出来ない山奥の生活者の実情を公表しているのは驚き。その家にたどり着くルートまでも撮影。簡単に追跡出来てしまうのは危険だと感じないのだろうか?」と感想が返ってきた。同じ80歳でも受け取り方が180度違っている。この違いは何なのか。考えてみたが、自分の体と健康状態に対する自信の持ち方の差と気がついた。超高齢者にもいろいろあると言うことだろう。自分と違って健康に何の不安もない仙人は、さぞ長生き出来るだろう。羨ましい。

 どこの山奥の一軒家に電気が通じているのに驚いていたら、今はスマホのWiFi電波も届いているらしい。ポツンと一軒家もコロナで番組作成が出来ない、代わりに2年前に放映した場所をリモートで再訪すると言う苦し紛れの企画だが、ほとんどの場所でリモート会話が成り立ち、リモート撮影が出来ているのは驚きだ。この老夫婦はスマホをやっていないので、代わりに麓の人が訪れてリモート会話や撮影をやってくれていたが、今やスマホの4G通信網もユニバーサルサービスになっていると言うことだろう。

 WiFi通信網のユニバーサル化には金がかかる。今話題の5Gは現用の4Gに比べてはるかに莫大なインフラ投資が必要だ。全国津々浦々に500m間隔でメッシュ状に通信設備を敷き詰めなければならない。それなのに菅首相は、なにを思いついたか携帯料金引き下げに血道を上げている。5G網建設は政府が金を出すわけではない。民間投資だ。これを押し通したら5G網に対する設備投資意欲が抑制されるだろう。日本が5Gで世界に後れを取るだろう。ひいては日本のデジタル化推進の障害になるだろう。近視眼で何でも値段を下げればいいと言うものではない。どうもこの政権はチマチマしたことをやり過ぎる。もう少し骨太になれないものか。

 話がそれたが、一軒家暮らしでもう一つ付け加えると、どこの山奥のご老人でも、ほとんどが車を持っていて、自在に乗りこなしていることだ。曲がりくねった急勾配の、車がやっと一台通れるような細い山道を楽々走っている。車がないと生活が出来ない。買い物にも行けない。だから周りの誰もが、車をやめろとか免許返上しろなどと野暮は言わない。ご老人もやめる気はない。中には90歳で畑をブルドーザーで耕し、車を楽々乗りこなしているスーパーご老人もいたが、車を降りて歩く姿は腰が曲がって、いかにもお年寄りの風体だった。都会の人が見たら、仰天して目の玉がひっくり返るだろう。車の運転はさっさとやめろと言うだろう。お年寄りの車の運転能力は、体や健康状態と同じで個人差が大きいということだ。一軒家番組を見ながら、いつも感心していることの一つである。

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