伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年9月26日: 高齢者の運転免許証 GP生

 先日、大学1年生の孫が、自動車教習所に通いたいと言ってきた。孫は入学はしたものの新コロナの影響により通学できずリモート授業を受け、自宅待機中であった。野球部の寮に入る予定が入寮できずにいた所、先日監督から「11月に4年生が現役引退をするので、その後に入寮する様に」との電話を受けた。以前から、「自宅学習中に自動車免許を取るならら、応援するよ」と言っていたが、何時、入寮の連絡が来るか判らないので孫は躊躇していた。入寮時期の目鼻が付いたので教習所に連絡した所、待機期間中は無理と判った。待機学生で埋まっていたのだ。他の教習所も事情は同じであり、孫は免許取得を諦めた。孫には、「免許証取得後、車のハンドルを握らないと本当の運転感覚が身につかないから、現役引退後の取得の方が良いかも知れない」と話した。免許証を取得しても、野球部現役中はハンドルを握る機会が無いからだ。

 孫と免許証取得の話をしていて、自分が教習所通いをしていた遙か昔を思い出した。自分が免許証を取得したのは、30代始めの事である。当時、離島の鉱山勤務をしていたが、一念発起して免許証取得を志し、島唯一の自動車教習所に通い始めた。マニュアル車4台のみの小さな教習所である。勤務が終わる頃を見計らって指導員が迎えに来てくれ、自分を含め鉱山組3人が峠を越えて教習所に通ったものだ。行きは良くても、帰りは最終バスでの帰宅である。全ての教程を終えても、佐世保市に在る自動車運転試験所で合格しなければ、免許証は交付されなかった。

 東京出張の帰り佐世保に立ち寄り、受検手続きを行った。その晩宿泊した旅館は、県内各地からの受験者で満員であった。翌日、一発合格を祈念して法規試験と運転試験に望んだ。もし合格しなければ、休暇延長を会社に連絡しなければならない。合格を申し渡された時、指導教官の一言が忘れられない。「貴方は試験には合格したが、運転技量は未熟だ。これから走りながら、技量を磨いて下さい。」であった。当時の実習は教習所の周回コースのみ、路上教習はない時代である。路上運転は未経験の分野であったのだ。免許取得一ヶ月後、転勤辞令を貰い、島では車を運転することはなかった。

 勤務先は横須賀の採石所であった。採石後、跡地を宅地造成するのが最終目的の事業である。会社は近隣にある戸建てを社宅として借り上げ、更に車を準備してくれた。免許取得後、初めて運転した車は、忘れもしない日産ブルーバード510、当時名車の誉れ高かった車である。この車で初めて首都高速道路を走った時の記憶は、今でも鮮明だ。ランプから走行車線に入る時、走行車の合間を見計らって一気に加速する時や車線変更する時の緊張感は並大抵では無かった。一般道とは異なるスピードでの運転は緊張の連続で、恐怖を覚えた瞬間もあった。今でもこの原体験は身体に深く刻み込まれている。

 あの体験から50年近くが過ぎ去った。この間、何度運転免許証の更新を続けた事だろう。更新は、いつも府中自動車運転試験所で行った。視力検査と写真撮影、講義室でのビデオ学習受ければ免許証は発行され、更新手続きは半日で終了であった。交通違反が無ければ、特別講習は免れた。振り返れば良き時代であったのだ。

 高齢者の自動車事故が社会問題となったのは、いつ頃からだろうか。オートマ車が普及した事が、高齢者の事故と無関係では無い様に思える。運転操作が容易になり緊張感が薄れ、運転に慣れが生じるからだ。高齢者は反射神経や視力のみならず、頭脳の働きが劣化することは避けられない。運転脳力の低下は、慣れによる惰性運転下でとっさの判断が遅れ、運転操作を誤らすのだ。高齢者の自動車事故を防ぐため法規が改正され、後期高齢者の免許証取得が厳格化された。厄介な認知症試験が免許証更新手続きに加えられたのだ。

 自分は75歳の時、始めて認知症試験を経験した。一番厄介なのは、画面に表示される1パターン4種の図柄、計4パターンを覚え、続いて意味のない数字の操作の後、図柄名を書かされる事だ。結果は幾つかの図柄を思い出せず84点に終わった。一応合格点である。その後、日を改め視力試験や視野試験、運転実地試験を行い、免許証は最寄りの警察署で交付を受けた。この時は認知症試験から実地試験には、それほど時間を置かず教習所で予約が出来た。

 問題は2回目、78歳の更新の時に生じた。更新通知は免許証更新時期の半年前に送られてくる。前回がスムースに事が運んだので、更新期限の2ヶ月前に申し込んだところ、認知症試験は1ヶ月半先にしか予約が取れなかった。高齢者の更新が増加していたのだ。合格はしたが、次の実地試験は2ヶ月先まで詰まっていた。これでは免許失効が長期間続くことになる。指導教官に相談すると「鮫洲の自動車運転試験場に電話して、空いている教習所を教えて貰ったら良い」とアドバイスされた。翌日朝一番の電話をかけ紹介されたのは、遙か西、多摩市に在る教習所であった。予約は出来たものの、時期は免許証が切れる2週間以上先であった。現実を甘く見たつけは大きく、運転が出来ない日が続いた。

 最近、TG君に免許証更新通知が送られてきた。認知症試験は、指定の日時に地元の警察署で受検するよう定められていたそうだ。一般の自動車教習所では対応しなくなったのだ。考えて見れば、極めて安い受講料で10人程度の高齢者認知試験は割に合わない。しかも免許証更新の高齢者は増加の一途である。警察が引き受けたのだろう。警察は受講者の希望を聞く面倒を避ける為、選択の余地のない日時指定となったのかもしれない。高齢者は免許証を早く返上しろとの意志を感じるのは、自分だけだろうか。

 友人達の話だと、家族から免許証返上を促される事が多いようだ。80歳と言う年齢だけで決断を求められている。心配してくれる気持は有難いが、高齢者が運転する車に同乗して、運転能力の衰えや危険性を認識しての免許証返上ならともかく、年齢だけで「返上」と言われては堪らない。運転に必要な、反射神経や視力のみならず前後方・左右に対する気配りや流れに乗る速度感覚、後続車に迷惑をかけない車間距離の確保、集中力維持等の低下程度が問題なのだ。人は高齢化に伴い、これらの能力の低下は避けられないが、全て個人差が大きいのだ。

 長年、運転をしていると慣れが生じ、無意識の運転操作が多くなる。自分は一日一回は車を運転する様心がけている。運転感覚を衰えさせないためである。この時、運転していることを意識してハンドルを握り、運転操作に集中することを心がけている。運転は街中に留め、長距離走行は行っていない。スーパー等の駐車場へはバック入庫とし、意識して駐車スペースの真ん中に車を止める努力をしている。駐車後、左右の線と車の間隔が全く同じであれば100点とし、間隔のずれを採点材料にしている。自己採点で80点以上は合格だ。バック駐車は運転技量の衰えが一番現れると思っているからだ。

 自分がいつまで車を運転出来るかは判らない。羽鳥湖仙人たるSa君は88歳まで頑張ると宣言しているが、自分はそこまでの自信は無い。高齢者が安全に運転する要諦は、集中力の維持であろう。そのためには、ながら運転は禁物である。ハンズフリーの電話は無論、街中の運転では好きな音楽を聴くことを止めている。若い時は、仕事でも幾つかの並行作業を無意識にこなしたが、今同じ事を行えばどちらかに手抜かりが生じる。車の運転での手抜かりは事故に繋がるのだ。

 来年4月は運転免許証更新の時期であるから、年内に更新通知が届くはずだ。警察署であれ運転試験所であれ、難関の認知症試験が待っている。今回は更新試験を受けたとしても、更に3年後の更新は如何なるか予測の限りでは無い。1年先はともかく、それ以上先を予測出来ないのが高齢者である。それでも3年毎に免許証を更新し、日々車を運転出来る事は高齢者にとって生きている喜びである。何れは免許証返上の時を迎えることだろう。それまでは、ボケ防止を兼ねた自覚運転を心がけるつもりでいる。高齢者にとって一日一日が勝負であるのだから。

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