伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年7月18日: 新型コロナ後のスポーツジム GP生

 振り返るとスポーツジムに最後に通ったのは2月29日であった。緊急事態宣言によりジムは閉館となり、「会費の引き落としは有りません」との文書が送られてきた。ジムがクラスターと恐れられているは、狭い脱衣所での三密、機械ジムでは同じ機器への接触、集団で行う各種密集運動等が有るからであろう。水中歩行はディスタンスを保ち、会話を慎むこと事で感染防止が出来るが、6月1日にスポーツジム使用が解禁されても、通う気持ちが湧かなかった。

 7月初め、思い切ってジム通いを再開した。ジムは身体を鍛える場であると同時に、高齢者にとって仲間達との交流の場でもあるのだ。プールや浴室でのたわいのない雑談は、一服の清涼剤となる。人との会話が少なくなりがちな高齢者にとって、ジムは貴重な場でもあるのだ。ジムに長年通うと、多くの知り合いが生まれる。おはようございます」の一言でも、気持ちが繋がるのだ。家族以外の者との会話は、認知予防に必須と考えジムを積極的に活用していた。この4ヶ月のブランクは辛い時間であった。

 先日、「外出や人との交流を! 高齢者の健康に不可欠」との新聞記事を目にした。「同居人以外との交流が頻繁な者に比べ、月1回から週1回未満の者は要介護や認知症になる割合が1.3倍以上多くなる。更に月1回未満の者は1.3倍以上早死し易い。」と書かれていた。人との交流は電話やメールを使った非対面交流であっても有効であり、社会参加している高齢者の要介護リスクや死亡リスクはかなり低くなるそうだ。高齢者にとって、人との交流は健康維持には必須であると言うことであろう。高齢者にとって外出自粛は、感染と同等の脅威なのかも知れない。

 久しぶりに訪れたスポーツジムは、全てが様変わりしていた。建物前には密集行列を避けるための立ち位置マークが描かれ、受付の手前に設置された体温計のディスプレーに顔を合わせると、「体温正常」のコメントが表示された。その隣に手や指に除菌液を吹き付ける自動スプレーが置かれ、これ等を全てクリアーしなければ、入館受付が出来ない仕組みであった。脱衣所の各所に除菌スブレーが置かれ、洗面所に並んでいたドライヤーは間引きされていた。清涼水は使用不可であり、機械ジムでは、各機器に対して1時間毎に除菌消毒を行っていた。事務員のマスク、受付の透明シートは当然の措置であろう。プールのスタッフは、透明マスクやフェイスガード着用していた。

 以前は9時半のオープンと同時に入館をした。当然脱衣所は混雑する。これを避けるため、今回は時間をずらして入館した所、脱衣室はガラガラであった。マスクをしたまま血圧測定を行い、水着に着替えた。血圧測定器は色々な人か接触しても、プールの水は塩素滅菌剤が加えられているので心配はいらない。4階プールの至る所に、「お互い接近は避けて下さい」とか、「プールでの会話は慎んで下さい」との掲示がなされていた。窓はフルオープンである。水中アクアダンスの定員は40名であるが、半数になっていた。見知った仲間に出会っても距離を置き、「おはようございます」は小声となった。お互い少し顔を背けながらの挨拶である。それでもプールに入ると、久しぶりの水は新鮮であった。水の感触をを味わいながら、ゆっくり歩き始めた。

 水中を歩きながら、見知った顔に出会うとうれしいものだ。それでも感染を恐れてか、何時もの顔が何人も見えなかった。自分は名前を知らない人達に渾名を付けている。顔中髭だらけで、活きよいよく歩く「将軍」と渾名した高齢者や、水を激しくかき回して歩く「暴れおじいさん」の姿も見られない。「暴れおじいさん」は90歳近い年齢でである。如何しているだろうか。大学や社会人時代、ラクビー選手としてならした通称「ラガーマン」も姿無しだ。何年も顔を合わせ雑談に興じても、お互い名前を知らない事が多い。姓名だけでなく現役時代の職業も判らない。それでも顔を合わせれば、親しく話が出来るのがスポーツジムである。

 先日、4ヶ月ぶりににMaさんに会った。彼女は上級者コースを優雅なクロールで、何往復もする中年女性である。泳ぐ姿が実に美しいのだ。彼女と話をする切掛は、小学校時代からの旧友Ko君である。Ko君はスポーツジムが開館したときから会員であり、気さくな性格から多くのジム仲間を持っている。Maさんもその一人であった。彼女は無類の犬好きで、小型犬を飼っていた。お互い犬好き同士、プールで出会うと犬の話で花が咲いた。

 久しぶりの出会いは、開口一番「4月に犬が死んだの」で会話が始まった。話す彼女の目は潤んでいた。死んだのは14歳であるから、小型犬としては寿命は短いかも知れない。彼女のワンちゃんは、高齢化と共に食欲不振や皮膚病に悩まされ、獣医さんを紹介したこともある。腎臓と肝臓の病が死因だそうだ。手が掛かった犬だけに辛い思いだろう。泣きながら、死骸を見続ける彼女の姿が目に浮かぶ。自分も手を掛けた愛犬との別れを3回経験している。彼女の悲しみは如何ばかりであろう。我が家の老犬2匹がいなくなったら、新たに飼うことは出来ないが、彼女はまだ若い。「気持ちが落ち着いたら、新しいワンちゃんを考えたら」と声を掛けた。久しぶりの再会は、辛い出会いとなった。

 昨日のことだ。脱衣室の入り口でWaさんに出会った。何ヶ月ぶりだろう。彼は、自分とは入館時間が異なるので、新コロナ以前にも顔を合わす事が少なかった。Waさんは隣町で占いを営んでいる。10年以上の付き合いであるが、何が切掛であったか記憶にない。プールで手相を見て貰ったことがある。「貴方の手には長生きの相が出ている。生命線が人差し指にはいっているから。」との嬉しい占いであった。例え、当たらぬも八卦であってもだ。彼は人柄の良さも手伝って、占いは繁盛していると聞いている。新コロナで、客足が如何なっているかは聞きそびれた。

 いつもプールで出会う顔は、4ヶ月前に比べ減ってしまった。最高齢92歳の優雅な女性、Kaさんの姿が見られない。超スローな歩行故、何時も追い越しているが、「お先にどうぞ」の優しい声をもう聴くことが出来ないかも知れない。新コロナ用心のために、姿を見せないのなら良いのだが。今まで姿を見せなくなった高齢者が、暫くして「亡くなった」と何度聴いたことだろう。最近も、認知症で高齢者二人の姿がジムから消えた。特に親しくしていた人達だけに、辛い思いに駆られる。

 水中歩行が有酸素運動から身体をほぐすだけの運動になったのは、いつ頃からだろうか。以前は2階の機械ジムで30分近く筋トレに励み、プールで1時間近く早足で歩いたものだ。機械ジムでのウオーカーを含めれば2時間近い運動であった。6年前に前立腺ガンを患ってから、機械ジムは諦め、水中歩行一本に絞ったが、その後2回のガン治療の結果、25bプール10往復が最大目標になってしまった。ジムでの運動量は問題ではない。ジムに通えることが大事なのだ。今までいつの間にか姿を見せなくなった人と同様、明日は我が身であるのだから。

 ウイークデイ午前中のジムは殆どが高齢者である。土日を除いて、若い人の姿は全く見られない。東京の感染者は、最近では20代、30代が7割近くを占めているが、スポーツジムがクラスターになったとの報道はない。細心の注意を払っている高齢者同士の感染は、極めて少ないと考えている。マスクを外しているのはプールだけである。脱衣所でも浴室でも、皆お互いに距離を取り、不要な会話は控えている。ジムの危機管理とお互いの注意により、プールでの感染率は極めて低いと思っている。

 ジムには車で通っている。1日一回はハンドルを握り、運転感覚を衰えさせないためだ。車中は自分だけの時間に浸れる最高の空間でもある。さらに、ジムで身体をほぐし、ジムの仲間と語らい、広い浴槽でゆったりと寛ぐ日々は貴重である。生きている証でもあるのだ。この生活がいつまで続くかは判らない。ジムでの仲間達との出会いが、少しでも長く続くことを願っている。

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