伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2020年7月8日: 人工透析の恐怖から逃れるために GP生

 人の臓器は一つとして不要な物はない。心臓は血液循環、肺は呼吸代謝、頭脳は全身のコントロール等、人体で最重要の臓器である。沈黙の臓器と言われる肝臓や腎臓は黙々と働いている。特に腎臓は目立たない臓器である。もし機能不全となれば、体内の水分や老廃物の排出が出来ず、尿毒症により生命の危機に直結する事態となる。機能不全となった腎臓の代わりをするのが人工透析である。透析患者数は33万人をオーバーした。父が人工透析を受けていた平成初期の患者数は10万人未満であったから、患者が急増したことになる。

 腎臓の機能は尿を作る事で体内の水分を一定に保つだけでなく、血液中の老廃物除去やナトリウムやカルシウム等のミネラルバランスの保持、血圧の安定、赤血球産生や骨の維持にも関与している。腎機能の目安となるクレアチニンは、筋肉の老廃物として産生され、腎臓で濾過され尿中に排出される。血中のクレアチニン濃度が上昇する事は、腎機能が低下している事になる。

 父は74歳の時、駅のホームで転倒、大腿骨付け根を骨折し救急搬送された。治療は別の大学病院で人工関節を埋め込む手術を受けた。高齢でもあり長期間の入院を余儀なくされた。この時の検査で腎機能不全が発覚した。入院中に人工透析が始まり、退院後は隣町の透析病院へ週3回の通院となった。出勤前、父を車で病院に送るのが自分の役割となり、帰宅は母や家人、息子が輪番で付き添った。通院は6年間続いたが、心臓のトラブルにより最後の半年は入院透析となった。人工透析は血液中の老廃物を濾過し、余分な水分を排除する人工腎臓である。全血液を透析器に通すため、心臓に多大の負担が掛かる。心臓は次第に肥大し、多くの人は心不全で死去する事になる。父の最後もそうであった。苦しむこと無く、あの世へ旅立っていった。死後の安らかな顔は今も心に深く残っている。

 人工透析をスムーズに行う為には、食事の栄養管理が不可欠である。まずは水分摂取量の制限である。血液中の水分量が増えると、透析中人体への負担が増加するからだ。老廃物の殆どはタンパク質に由来する生成物である。食事のタンパク質摂取量は厳しい制限を受け、厳密に計算する事が要求される。その上、カリウム、ナトリウム等のミネラルの摂取制限である。ナトリウムは食塩の管理で事足りるが、カリウムは野菜類に多く含有されているため、野菜は長時間水に浸けカリウムを抜く必要があるのだ。カリウム含有が多い果物は、食することが出来ない。この献立は高齢の母には無理で、全て家人が行った。大変な労力を要求される仕事だ。

 透析患者を支える側の労苦は大変であるが、当人の苦しみはそれを遙かに上廻っていた。父は透析が終わってからコップ一杯の水が最大の楽しみであった。一気に飲みたいのを我慢して時間を掛け、少しずつ味わいながら飲んでいる姿が目に浮かぶ。その後、タクシー乗り場までの僅かな歩行が難儀なのだ。青信号で渡り始めても渡りきれず、路上で立ち往生してしまう事もしばしばだ。帰宅してもベッドに倒れ込んみ、食事はベッドで執ることになった。日常が戻って来るのは翌日の午後である。2日目は通常生活を過ごせても、次の日はまた透析だ。一週間で普通の生活はせいぜい3日であった。宿泊を伴う外出は不可能であり、今まで出来た作業も無理であった。透析患者は全く新しい生活スタイルを作らざるを得ないのだ。

 父は支那事変と大東亜戦争の出征と、4年間のシベリア抑留を経験している。若い時代の経験とは言え、どれだけ身体を酷使したのだろう。帰国してからも生活のための過酷な労働が待っていた。優秀な印刷工であった父が家族のため懸命に働いている姿は、子供心にも理解出来た。栄養よりまず腹を満たすことが優先された時代である。積み重ねられた身体の酷使により、40代の中頃に急性腎炎で入院した。幸い回復したが、その後加齢の進行と共に腎臓機能低下が少しずつ進行ていたのかも知れない。父は生来腎臓に弱点を持っていたようだ。自分も父の弱性遺伝子を相続している。

 そんな父の苦しみを目の辺りにして、人工透析だけは絶対に御免だとの思いを強く抱いていた。自分の前立腺ガンが発覚したのは奇しくも74歳であり、腎盂ガンにより左腎臓を摘出したのは78歳の時であった。手術は成功し予後が安定はしても、残された腎臓に過大の負担が掛かるのは避けられない。医師は一つの腎臓で正常の場合の7割は処理が出来ると言うが、残りの3割が如何なるのだろうか。食事を制限すれば腎臓への負担は理屈上は軽減出来るが、どの程度ににすれば良いかは判らない。医師とて指導できることではない。すべては患者本人の自主管理に委ねられているのだ。

 加齢の進行と共に、臓器の機能低下は避けられない。腎臓とて同じであろう。手術後のクレアチニン値と尿素窒素は基準値の30%強オーバーが続いた。医師は許容範囲と言うが、腎臓の負担が増えている事は間違い無い。今後腎臓が正常に機能してくれる保証は何処にもないのだ。万が一の場合は人工透析をせざるをえなくなる。父の6年間を目の辺りにした者として、人工透析の恐怖が頭をよぎる事になった。

 腎機能を高める手段は現代医学には無い。全く無力なのだ。昨年11月、膀胱機能の低下に起因する排尿障害改善と腎機能維持のため、鍼灸治療と漢方薬の服用を始めた。新コロナ予防のため、鍼灸治療は2月をもって中断したが、漢方薬の服用は継続した。漢方薬は腎機能を高める「亀鹿仙」と、血行を改善する「冠元顆粒」を共に1日2回服用し、更に排尿障害改善する「地黄丸」を1日3回、排尿機能を強化した「牛車腎気丸」を就寝前に服用している。「冠元顆粒」の主成分「丹参」が腎不全に対し著しい効果が認められている。服用により人工透析を免れた症例も多いと聞いている。「冠元顆粒」は血管力を高める効果から、生活習慣病の予防を期待できる優れた生薬である。「地黄丸」と「牛車腎気丸」は眼精疲労改善効果も有し、最近、眼のちらつきや疲労感が低減した。

 下肢や腹部の血行が結滞しすると、腎臓への血流が滞り、顔や下肢に「浮腫」が生じてくる。漢方で言う「お血」が、腎機能のみならず膀胱機能まで低下を招くことになるのだ。血行結滞は冷えが最大原因である。積極的に加温する事が大事になる。老化した人体は血行悪化を招きやすいのだ。高齢者の頻尿がその証である。鍼灸治療は週1回である。この間、腹部や下肢を加温する必要に迫られた。

 今年の1月に超短波治療器を、2月に遠赤外線治療器を購入した。目的は自宅で下肢と腹部の加温を行う為だ。この経緯は以前日誌に書いた通りである。新コロナの影響で鍼灸治療をストップしてからは、不可欠な治療となった。これらの治療は生活スケジュール上最優先事項である。治療効果は排尿状態に現れてきた。正常な排尿回数は一日6,7回、夜間排尿は0回と言われている。鍼灸や漢方薬、超短波治療や遠赤外線治療が軌道に乗ってから、排尿回数は次第に減少し、現在夜間は0、1日8回平均にまで落ち着いてきた。

 今月から鍼灸治療を再開した。初回の診断では、腹部の冷えと踝、眼の周囲に浮腫が認められた。鍼灸治療の中断が原因である。最近、歩行時に脚の重さを感じていたのは、踝の血流結滞が原因であった。それでも漢方薬と温熱療法により、浮腫の程度は軽い状態であった。鍼灸や漢方治療によりマーカー値が急速に低下する事は期待できないが、人工透析を免れれば良しとすべしだ。透析は命を守る手段であっても、生かされている感は拭えない。もし透析となった時、生きる意味を見いだすことが出来るだろうか。どの様に、老後を過ごしたら良いかは想像外である。優れた中医師と出会い、漢方薬服用と鍼灸に依る腎経の治療を続ければ、人工透析は避けられるか可能性は高い。父と同じ苦しみから逃れられるなら、万難を排し継続する事だと心に決めている。

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