伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2020年3月28日: お彼岸の墓参り GP生

 毎年、春と秋のお彼岸の前に彼岸供養の案内が菩提寺から送られてくる。お寺さんでの供養の日程と卒塔婆の申込を兼ねた通知書である。卒塔婆とは、ご先祖の供養追善のため、墓の後ろに立てる上部が塔形の細長い板である。表には梵字と経文が、裏面には供養者の名が記されている。お彼岸の墓参は、お寺さんで卒塔婆を受取り、献花と線香を墓前に手向ける事で始まる。間近の故人である両親の好物を供えることもある。自分は墓前で手を合わせ、ご先祖達に感謝の思いを伝えることにしている。

 人はこの世に単独で存在して居るように見えても、先祖との繋がりが有ってこそでる。日常生活の中では、雑事に追われ意識することはなくとも、墓参時には雑念が払拭され、先祖との繋がりを意識することになる。墓地に立てられた墓名碑には故人の戒名と実名、没年月日が刻み込まれている。江戸時代末期、本家から分家されたのが初代当主である。この当主についての詳細は、名前から次男であった事以外、一切分からない。仏壇に祀られている位牌が、その存在を示しているだけである。子供が居なかった二代目が亡くなった時、跡を継いだ三代目は、養子であったから伝承が途切れてしまったのだ。初代は明治12年に逝去している。古地図を見ても畑と林しか無いこの地で、初代は、どの様な生活を営んで居たのだろう。当時を偲ぶ藁葺きの母屋を撮した白黒写真が一枚残されている。

 日本のお寺は、宗派の連携の中で存在している。菩提寺は、真言宗智山派に属している。真言宗は空海を祖とする宗派で、智山派は京都の知積院を総本山として、全国に3000の寺を擁しているそうだ。これらの事は、格式を重んじるお寺さんには大事なことであっても、檀家にとっては重きをなすことでは無い。現在の菩提寺は、自分が居住する区域からかなりは慣れた場所に存在して居る。遙か昔、本家の当主が、墓参に不便なこの寺から近隣の寺に、菩提寺を移したと聞いている。この寺も十分由緒ある寺であるが、昭和30年代の中頃、当時の本家が、より格式が高いとされる現在のお寺を一族の菩提寺とすべく、多額の寄進を行い、一族10家の墓地を取得した。本家の号令のより、亡き父は隠坊と一緒に墓地から先祖の遺骨を掘り起こし、現在の墓地に移したと聞いている。移転の費用は全て本家の負担であった。

 年月を経て、身体不調で対応出来なかった父の代行として、自分は一族の仏事に何回も列席してきた。仏席では分家の序列により、参列者の座る席は自然に決められていた。昭和60年代の事である。現在は、本家も分家も代替わりを繰り返し、以前のような一族の付き合いは完全に消滅している。墓地だけは健在である。

 墓地には、新旧二つの墓石と他家の墓石群が存在している。旧墓石は祖父が建立した物であり、新墓石は父が建てた物である。父は、自身で墓石を建てたいとの想いを長年抱いていた。父が入院し再起不能の状態に陥った時、父の思いを遂げるため、自分は父の代行で墓地を一新した。入魂の儀式に車椅子で参列した父が、住職の読経に耳を傾けていた姿が、今も目に焼き付いている。半年後、父の遺骨は、自ら建立した墓地に埋葬された。さぞかし満足であったろう。

 墓に葬られているのは遺骨の一部に過ぎず、墓地に魂が宿っているわけでは無い。もし魂がそこに有るとすれば、成仏出来ない証であり、好ましいことでは無い。遺骨は墓地の中で何れ土に還る存在である。自分は遺骨を埋葬するとき、骨壺から出して散骨している。骨壺のまま埋葬すれば土に返る事ができないからだ。遺骨は、先祖と一体にとなつて土に返さねばならない。墓地取得が困難な現在、納骨団地に骨壺を埋葬すれば、永遠に土に還る事は無い。土葬にして、身体全てを土に返すのが本来の埋葬なのであろう。出来ない相談ではある。

 墓前で手を合わせる時、何に対して祈るかは人それぞれであろう。人の死は、この世で生きた肉体の終焉であって、魂が消滅する訳では無い。人の臨終に何回か立ち会うと、人の死が如何に荘厳であるかを目の辺りにする。人は肉体と魂が一体となって、人として存在している。臨終時、魂は肉体から離れ、残された肉体は物体に化すのだ。魂が抜けた人の肉体は、単なる物体では無い。この世で生きた証を全身に残しているからだ。肉体の一部とは言え、故人の遺骨を墓地に葬る行為は、故人の存在を深く記憶に留める行為でもあるのだ。

 墓地には他家の墓石が存在している。祖父が生前親しくしていた家の当主から、墓石と位牌の永代供養を頼まれたと聴いている。恐らく跡を継ぐ者が居なかったのだろう。仏壇の奥置かれた二組の位牌には、数多くの戒名が刻まれ、墓地には5基の墓石が存在して居る。これらが祖父に託された物である。お彼岸やお盆の供養はこの家の分も行い、卒塔婆は2本お願いしている。この家が何処に在ったのか、どの様な家なのか、何故家が絶えたのかも知らない。祖父から親へ、そして自分へと供養が引き継がれてきた。祖父は、永代供養の代償として200坪の土地を預かった。戦後の食糧難の時代、小学生であった自分も耕したこの土地は、我が家の命綱であった。この土地は、父の代に手放し、現在はマンションが建っている。父の葬儀時、火葬場に向かう霊柩車の運転手にお願いして、かっての畑の前を走って貰った。車の速度を落とし棺の父に語りかけたのが、ついこの間のことのように思える。あれから27年が過ぎ去っている。

 今年、自分は父を見送った時の年齢を少し超え、何が起こってもおかしくない歳になってしまった。墓参時に、墓前で手を合わせたとき、無機質にすぎない墓石が何かを語りかけてくる様に思える。両親を始め、ご先祖の想いが墓石に込められているからかも知れない。自分と家族の生活の安定は、ご先祖の存在無しには考えられない。感謝あるのみだ。

 彼岸とはあの世を意味する。現世に生きる係累があの世に存在して居るご先祖を追善供養するのが、お彼岸の墓参である。墓地は単に遺骨を納める場所だけでは無く、あの世とこの世の接点になっているのかも知れない。ご先祖の存在と繋がりを考え、自分がこの世に存在して居る事に感謝の念を捧げるのが墓参であると信じている。

 墓地と仏壇は代々引き継がれていく遺産でもある。やむを得ない事情があるにしても、墓仕舞いはご先祖に対する不敬極まりない行為と思っている。相続とは墓地と仏壇を引き継ぐことであり、その他の遺産は付属物に過ぎないのだ。人があの世に持って行けるのは、この世で生きた記憶を宿した魂だけである。現世で得た物は現世に残すのが定めであるからだ。金品に執着する心は、あの世に還る魂を汚す事になる。人がこの世を去った後、魂はあの世に、肉体は土に還る事が定めなら、残り少ない余生を悔いなく生きたいと願っている。

目次に戻る