伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2020年3月2日: スポーツジムの高齢者達 GP生

 旧い友人であるKo君に勧められ、スポーツジムに通い始めて15年近くが経過した。当初は、機械ジムで筋肉トレーニングの後、プールで水中歩行をするのが常であった。無酸素運動と有酸素運動を組み合わせる事で、身体を鍛えることが目的であったからだ。プールの後、スチームサウナで身体を温め、更に浴槽に身を沈めてリラックスして終了である。スポーツジムで都合2時間近い時を過ごすスケジュールは、金曜日のジム休館日を除いて毎日続けていた。平日、午前中のジムは若い人の姿は殆ど見えず、男女とも高齢者である。ジムは単に身体を鍛える場だけでは無い。高齢者にとって交流の場でもあるのだ。

 機械ジムは1人黙々と筋トレ器具に取り組み、時を過ごすのが常である。筋トレ中に他の人と話す機会は全く生じない。所がプールでは、他の人を意識しないと水中歩行は出来ないのだ。歩行者が少数の時はともかく、人数が増えると25bプールは混み合い、自分のペースで歩くことが難しくなる。殆どが高齢者の男女である。歩くペースの個人差が極めて大きいのだ。特に女性は二三人が固まりお喋りをする事が多い。歩く事は二の次で、お喋りが目的である彼女達のノロノロ歩きは、障害物と化す事もある。歩行の遅い人達に遭遇した時、追い抜くか、Uターンするかを常に考えて歩行をしなければならない。水中歩行は、かなり濃密な人間関係の中で行う運動である。

 毎日、同じ時間帯にプールに来ると、顔ぶれが同じになる事が多い。何年も同じ時間帯に通うと、何時もの高齢者達が存在する光景が常態になってしまう。時間帯が違うと、他所のプールに来たかのような錯覚すら覚える。雰囲気とは人が醸し出す情景でもあるのだ。殆どの人はお互い顔は見知っても、名前すら知らない関係である。エレベーターで一緒になった時、「おはようございます」と挨拶を交わしたり、プールで女性と軽く接触したとき、「ごめんなさい」と、お互いに詫びることもある。これら些細な事の積み重ねが、プールサイドや水中歩行中に雑談を交わす関係に発展して行った。友達の友達は、また友達である。一人と親しくなると、更にその人の知人と親しくなり、人の輪は少しずつ広がっていった。

 自分が挨拶を交わしたり雑談する相手は、殆どが男女とも70歳以上、最高齢は92歳の女性である。お互いの過去は、よほど親しくならない限り判らない。現在、何処に住み、何をしているのかも判らない。プールでの関係は過去の職歴や経歴とは無関係、唯今の付き合いが大事なのだ。長い間ジム通いをしていると、見知った顔が見えなくなる経験が多くなった。プールサイドで親しく話していた女性が、長い入院生活で意識を回復する事無く亡くなられた話を聞くと胸が痛む。特に親しかった92歳の男性は、奥様の介護のため共に施設に入居し、ジムから姿が消えていった。毎日クロールでプールを20往復している彼は、人柄の良さも相まって、高齢者の鑑であり目標でもあった。顔を見せなくなった理由が分かる人の方が少なく、殆どは何時の間にかジムから姿を消してしまうのだ。

 最近、Ayさんの姿が見えなくなった。Ayさんは極めて強い個性の持ち主である。昔、プールを歩行中、彼の面前近くをUターンした時、大声で「バカヤロー」と水を掛けられたのが付き合いの始まりであった。彼は色々な人と物議を醸す存在でもあった。先月のことだ。彼が更衣室で事務員と何やら揉めていた。ロッカーや下足入れの鍵が開かないと苦情を言っているようであった。どうやら彼はロッカーを間違えていたのだ。何日かして、また同じ光景に出くわした。暫くして彼の姿がジムから消えた。昨年中頃から彼に朝の挨拶をすると、顔を向けても返事がない事が度々あった。おかしいしいとは思っていたが、何かが静かに進行していたのだろう。大声で事務所に苦情の電話を掛ける彼の姿を、もう見ることが出来なくなった。

 最近、最高齢の女性であるKaさんの姿が見えなくなった。彼女はKo君と親しい関係であることから、自分とも話をする間柄になった。プールでの歩行は、超が付くほど遅いが、優雅な歩きであった。自分が「お先に失礼します」と声を掛け追い抜くと、彼女は上品な声で、「お先にどうぞ」と返してくれたものだ。時々、自分はバック歩きで彼女と世間話を交わすこともあった。彼女はジムから徒歩20分ほどの場所に居住しており、バスで通っていた。バス停で見かけた彼女を自宅まで送った事もあった。多趣味の彼女は、ジムには週2回程しか現れないが、今年になって一度も顔を合わせていない。何があってもおかしくない年齢だ。如何しているか心配している。もうプールでの穏やかな会話は叶わないのかも知れない。

 何時も挨拶をする高齢者の多くは名前すら判らない。そこで自分は彼等に勝手にあだ名を付けていた。短い顎髭を耳近くまで生やし、勢いよく歩く高齢者が居る。その堂々とした歩きぶりと顔付きから「将軍」と名付けた。「将軍」はどんなに歩きが遅い人が居ても、決して追い抜かずUターンを繰り返すのだ。早いペースでストレス無しに歩行する「将軍」なりの手段であるのだろう。「バタバタオジさん」と名付けた恰幅の良い高齢者は、上半身と両腕を激しく動かし、水面を叩くようにかき回しながら歩くのだ。後ろ姿は、バタバタしている様にしか見えない。戦時中、陸軍でトラックの運転をしていたと聞いたことがあるから、かなりの年齢だ。その「バタバタオジさん」の姿が見えなくなって久しい。何時も更衣室で雑談を交わした彼の不在は、淋しい限りである。

 最近、プールには行かず風呂だけで帰ることが多くなった。その時々の体調で、下腹部を冷やしたくない思いが多くなったからだ。高齢者にとってジムの浴場は、家庭の風呂場に無い開放感が味える場所である。プールでなくとも気分転換を図れるのだ。プール仲間の何人かは、プール前に風呂に浸かる人は多い。その一人に逞しい骨格の高齢者がいる。何時の間にか風呂で挨拶を交わし、雑談をする間柄になった。名前も経歴も住まいも一切判らない。共通の話題はジムやプールの事だ。付き合いが進むにつれ、彼は学生時代、社会人になってからも、ラガーマンとして活躍して来た事を知った。歳をとり筋肉が落ちても、骨格に若いとき鍛えた名残を残していたのだ。直裁でスカッとした話しぶりは嫌みが無く、聞き手の心を和ませる力を持ってた。心底からスポーツマンであるのだ。

 スポーツジムに通う高齢者は、一見元気そうに見えても病を克服してきた人が多い。意外と多いのは脊椎管狭窄症である。高齢者特有の病でもある。加齢の進行とともに、背骨の軟骨は減少していく。症状は出なくとも、身長低下や前屈みの姿勢に現れてくる。自分も若い時に比べ、4p近く身長が短くなった。幸い痛みは現れていない。街を歩く時は、意識して胸を張るようにしている。脊椎管狭窄症の手術をした高齢者達は、「術後の経過の善し悪しは、病院と執刀医の腕次第である」と、皆口をそろえている。和歌山の名医に、手術して貰った人も居る。彼等は皆、泳いだり歩いたりして元気である。Ko君も何年か前、世田谷の病院で脊椎管狭窄症の手術をしたが、医者がガーゼを残してしまった。再手術で退院が一週間延びる悲運を経験している。自分も何回も手術を経験しているが、医者と病院の当たり外れは病人の運命である。

 人は歳をとるにしたがって、何かを成す時に億劫さを感じる事が多くなるものだ。今日できることを明日に延ばすのだ。これは体力の衰えでは無い。気力の劣化である。独居老人が引き籠もるのは理解出来る。羽鳥湖仙人である同期のAt君は、東北の山中に一人住み、山歩きやスノーシュー、ドライブ、そして読書と、有り余る時間をフルに活用している。彼はレアケースである。悠々自適は高齢者にとって理想であっても、現実は困難であるからだ。

 自分は気力の低下を自覚しても、ジム通いに億劫さを感じたことは無い。車で片道10分足らずの距離であっても、ハンドルを握ると気持ちが落ち着き、無意識に気合いが入るのだ。ジムでの高齢者達との雑談は、最高のボケ防止である。2年前の手術以来、プール歩行は15分から20分程度で終えている。有酸素運動などとはおこがましい、堅くなりがちな身体をほぐす事が目的になってしまった。短時間の水中歩行と風呂なら何時までも続けられそうだ。高齢者同士のジムでの付き合いが、何時まで続くかは判らない。自分にしても、今は大丈夫でも、車の運転が不可となった時、ジムを止めるか否かを悩むであろう。ジムでは元気に見える高齢者達が、何時の間にか姿が見えなくなり、暫くして「亡くなられた」と何回耳にした事だろう。高齢者に明日は無用だ。お互い今が大事なのだ。今日もまた、同じ仲間達に出会える事を願っている。

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