伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2020年2月21日: 令和2年・心と身体と伝蔵荘日誌 GP生

 色身不二と言う言葉がある。色は精神、身は物質を意味する仏教用語である。不二とは、二つに見えて実は一つである事を意味する。色身不二とは、精神即ち心と物質である身体が一体となって存在する人を意味している。人はこの世に誕生したとき、身体も心も未熟な存在であっても、時の経過とともに身体も心も成長を続ける事になる。身体の成長は両親から受け継いだ遺伝子によって定められた成長を続けるが、心は両親から独立した存在である。何人の兄弟が存在しても、肉体的特徴は共通の物を宿しても、性格は同じでは無い。心がそれぞれ独立した存在であるからだ。心こそ人が人たる由縁であろのだろう。

 人の心は、育った家庭環境により際立ってくる。自分の子供時代、兄弟姉妹は自分と三つ上の姉の二人であった。その後、15歳年下の弟が誕生した。自分は弟が物心つく前に進学のため家を離れたので、弟と一緒に生活した経験は無い。姉とは戦後の苦しい経験を共有している。歳をとり離れて暮らしても、姉と心は繋がっている。弟とは残念ながら同じ関係では無い。心の繋がりは、血縁だけで強まるものでは無いからだ。

 人の心は、この世に誕生したときから独立した存在である。幼少期、青春期、そして長い成人期を生き老齢期を迎えれば、過ごしてきた環境と人生経験の違いから、それぞれの個性が際立ってくるのは当然であろう。友人達との付き合いにおいても、当然個性の違いは存在している。それでも互いに共鳴する心が存在すれば、何十年も続く付き合いとなり、しからざる場合は一瞬の交友で終わる。人の持つ心の不思議さである。

 令和2年を迎え、自分も更に馬齢を重ねた。最近とみに気力の衰えを感じる事が多くなった。事を処理しなければならない現実を前にして、なすべき事に面倒を感じる様になったのだ。これは年齢だけが理由では無い。振り返ると、2年前の7月に腎臓摘出の手術を行い、更に同年11月膀胱ガンの内視鏡手術を行ってから、意欲の低下が強まったように思える。腎臓一つの生活を考えたとき、腎不全に陥る不安が心から離れることは無かったし、膀胱ガンは再発の可能性も捨て切れない。それぞれの手術後、体調は回復し、日常生活に不便を来すことは無かったが、腎不全を心配する心が、意欲の低下を招いたように思えてならない。

 ただ一つの腎臓に、無理を掛けてはならないとの思いは、それまでの日常を変える切掛になった。趣味を兼ねて行ってきた工事は全て業者に依頼をし、不要になった作業衣は処分した。大工道具を初め、買いそろえた工具や機器類は全て物置に眠っている。方向転換はしたものの、人は長年行ってきた習慣を簡単に替えることは困難である。高齢者の身体に染み込んだ習いは、一朝には転換できないのだ。現役時代、諸般の事情で異なる技術分野への転職を3回余儀なくされた。全て最初からの出発であり、懸命に対処して、技術を自分の物としてきた。それに比べれば、今回の変更はさしたる問題では無いはずだ。違いは年齢であろう。過去の経験は全て40歳前である。年齢とともに、心も身体も柔軟性を失って久しいのだ。

 身体が病に冒されたり、種々の事由により不調を招いたとき、精神力で補えるのは、精々1日2日であろう。健全な肉体に健全な心が宿ると昔から言われている通りである。色身不二の存在である人にとって、肉体の健康が何物にも優先されるのだ。高齢者とっては尚更だ。自分にとって、腎臓に対する不安を解消出来ればとの思いが、頭から離れなかった。単に身体に負担を掛けないと言う消極的な対処法では、解決できないからだ。

 昨年11月から鍼灸治療を始めた。この経緯は最近、伝蔵荘日誌に投稿している。優秀な中医師に巡り会えたのも運命の然らしめる結果である。週1回の鍼灸治療と腎経を強化する3種類の漢方薬の処方により、腎経の機能は間違い無く改善されると中医師は明言してくれた。時間が掛かる治療とは言え、腎臓に不安を抱える自分にとって心強い言葉であった。

 更に僥倖は続いた。今年1月半ば、伊藤レーター製「超短波・負電荷治療器」を購入する機会を得たのだ。毎日、定めたスケジュールにしたがって、超短波・負電荷治療を行って1ヶ月以上が経過した。前回の日誌に書いた時より、治療効果は明確に現れてきている。排尿に勢いが出て来た事で、排尿回数が減少し、就寝中のトイレ行きが無くなる事も起きてきたのだ。足や顔の浮腫みも減少してきた。下腹部が暖まり、下半身の血行が改善したことで、膀胱の弾力回復と腎機能の活性化が進んだと思われる。鍼灸治療との相乗効果も考えられる。腎機能が回復したとしても、腎臓が一つしか無い現実は変わり無い。手抜きは禁物である。今月末、大学病院での定期検査が待っている。排尿状態の改善が検査結果にどの様に現れるかは判らない。各数値が悪化していないことを願うのみだ。

 伝蔵荘日誌は心に浮かんだ思いを整理する場として貴重な存在である。通常、日記ないし日誌は第三者の読者を対象とせず、自分の心の内を書き記すことを目的としている。10年前、伝蔵荘主であるTG 君から、文章を書くことは老化防止に繋がるとの言葉に後押しされ、投稿を始めた。世の中全般の事象をテーマとするTG 君とは異なり、自分は、日常の生活で感じた事や想いをテーマに投稿してきた。その時々の想いを文章に残すことは、何れこの世を去るまでの記録になればとの気持ちもあった。

 投稿を始めてから2年半が過ぎた頃、前立腺ガンに見舞われた。初めてのガン宣告である。誰しもガンと宣告されれば受ける衝撃は大きい。自分も同じであった。前立腺ガンの病状と治療経過、その後の身体状態等を日誌に投稿し続けた。自分の病について投稿する事は、病状を客観視することに繋がり、冷静に対処出来るのではと考えたからだ。そのために前立腺ガンについて多く学び、主治医から得た知見と合わせて考察することで病の実相を知る事に繋がった。更に、日誌を書く事は、心の安定にも繋がる行為でもあった。

 その後、腎盂ガンや膀胱ガンに見舞われ、ガンショックは途切れることは無かった。日誌は、自分の病に関する記述が多くなった。前立腺ガンから始まった病と治療経過を記載した日誌は、自身にとっての貴重な記録となった。どの様な経験をしても、時の経過とともに記憶は薄れていく事になる。過去のガン関連の日誌を読み返すと、当時のことが鮮明に蘇るから不思議である。文章の持つ力を感じる。伝蔵荘日誌は、心と身体の記録になっていることは間違い無い。日誌のテーマを発想し文章にする事は、衰えつつある頭脳の老化防止に繋がっている。TG君が元気で、貴重なブログを何時までも運営してくれることを願っている。

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