伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年12月23日: 店じまい・墓じまい・一年のお仕舞い GP生

 旧いビルで不動産仲介業を営んでいる社長とは、長年の間お付き合いをしてきた。今年の6月、社長から賃貸契約解消申入書を貰った。体力気力ともに衰え、仕事を続ける意欲が無くなった事が廃業理由であった。社長は誕生年月が自分と同じであるから、大台に手が届く寸前である。不動産仲介の廃業は、通常の店仕舞いと異なり、「本日をもって閉店致します。長年のご愛顧有難うございます」の張り紙だけでは済まない困難が伴う。長年、お付き合いをしてきた大家の処遇問題があるからだ。

 この業者の場合、80人近い大家の物件を取り扱ってきた。管理を行っている物件も多い。これらの大家を他の動産業者に紹介し、引き継いで貰う作業が必要となる。大家毎に事情は異なるし、受け入れる不動産仲介業者達も都合があるから、面倒な調整作業が必要となる。更に、長年に亘り蓄積された書類や物品は膨大である。この整理も同時にのしかかって来る。体力気力が衰えた者にとって、大変な困難に立ち向かわざるを得なくなったのだ。その結果、7月閉店が9月に伸び、漸く11月末をもって全ての処理を終え、店仕舞いに辿り着いた。傍で見ていても、如何なるのかとの思いに駆られる事が多かった。

 この社長が開業したのは30代初めであった。このビルの竣工時に入居したのだから、47年の歳月が過ぎ去っていた。開業時は将来に希望を持ち、がむしゃらに仕事に邁進することは可能だ。同じビルで整骨院を開業した青年もまた30代初めであった。誠実な人柄と優れた技量から顧客が増え、1人では対応が出来ず、2年目にして技能者を二人も雇い入れている。廃業した不動産業者の社長も同じ意気込みで仕事をしてきた筈である。物件提供者である80人近い大家と信頼関係を築き、47年の長きに亘り店を維持してきたのだから。

 サラリーマンの定年は60歳。何年か嘱託として仕事が出来ても、特別な能力を有する人はともかく、一般的には70歳までの勤務は無理であろう。その点、自営業者の定年は、他者では無く自らが決める事になる。後継者が居ればともかく、加齢により仕事が出来なくなった時が店仕舞いとなる。自分の街で何軒もの店仕舞いを見てきたが、商売内容が時代にそぐわなくなったか、後継者が居ないかの何れかの事由が多かった。サラリーマン稼業とは異なる自営業の厳しさであろう。

 裏通りに高齢者の婦人服を扱っていたブティックがあった。家人が親しくしてきたママさんは、小田原の「ういろう」の試供品を提供してくれたり、買ってきてくれた恩人でもある。このブティックが「本日は休業させて戴きます」との張り紙を貼ったまま、何日も扉が閉められていた。その内、店の商品が消え始め、服が少し残った状態が1ヶ月近く続いた。賃貸契約更新を機会に、もう少し小ぶりの店を開くとは聞いていたが、店舗移設ではなさそうだ。例の張り紙はそのままになっていた。家人が心配して何回も電話するが繋がらなかった。1ヶ月近く経ったある日、突然ママさんのSMSが届いた。突然の大病で入院し、店が続けられなくなったと書かれていた。どう見ても60代初め、元気に見えたママさんが大病とは信じられない想いであった。友人達と遊びがてら定期的に小田原通いを続け、ういろうを買い求めて元気に飛び回っていたのだから。辛く悲しい店仕舞いである。

 先日、久しぶりに小学校の同級生であるKo君とジムの風呂で一緒になった。自分は鍼治療を始めてから、身体を冷やさないため10月初めからプールを控えていた。ジムへは気分転換の入浴に留めていたので、時間帯が異なるKo君とは会う機会が少なくなっていたのだ。彼は大病から回復したが、体力の著しい低下から車と自転車を処分していた。話の中で、車を処分して墓参り如何するのか尋ねると、暫くはタクシー利用だけれど、何れは墓仕舞いをするつもりだと答えた。彼には男の子はおらず、二人の娘さんは既に嫁いでいる。墓を守ってくれる後継者が居ないのだ。

 以前日誌に書いた様に、家を継ぐとは墓と位牌を守ることであり、家屋敷の相続は付属物に過ぎないのだ。墓が遠隔地にあるため維持管理が出来ない墓仕舞いは多いが、後継者が居なければ墓を処分せざるを得ない。自分の檀家寺でも荒れ果てた墓地を時々見かける。Ko君は「自分と連れ合いの内、残った一人がこの世を去る前に墓仕舞いをすると決めている」と言っていた。とは言え、両親と自分たち夫婦が入る墓が消滅してしまうのだ。姓の異なる娘が墓を継げないのは現実である。幸いなことに、我が家には息子がおり、男の子の孫がいる。自分の生有る内に墓仕舞いの心配は無いが、彼等が仏壇や墓に如何なる想いを抱いているかは判らない。自分と同じ気持ちを求めることは無理であろう。先のことを心配しても詮無い事だ。

 「光陰矢の如し」との言葉がある。子供の頃は「早く来い来いお正月」の通り、楽しみを前にした時間は、流れが遅く感じたものだ。先々に楽しみと期待を持てる年齢であるからだ。残念ながら高齢者は、夢や希望とは縁遠い存在である。だから時の流れは速くなる。正月三が日が過ぎたら、年末までそれこそ一っ飛びの感すら覚える。

 歳をとっても生きている限り面倒事は予告無しに生じるものだ。仕事の上の雑事と想定外の事態は、長年身体に染みついた感覚が直ぐに目覚めるから苦にはならないが、自分を含め、家族に突然生じる病の発症が一番身に応える。今年は救急車要請を含めて何回も生じた。年末を迎え少し落ち着いてきたが、油断は禁物である。自分自身を考えても、今の体調が続き、年を越せたとしても、来年以降も同じ状態を維持出来るとは限らない。心身の衰えを感じる日々が続いているからだ。

 人の一生は見えない力に左右されているようにも思える。若い時のような夢は無理にしても、心の研鑽は心がけたいと思っている。この世に生を受けた者にとって、命題でもあるのだから。伝蔵荘日誌のテーマを考え、書くことは、老いた心の整理に繋がる行為と考えている。来る年に、ささやかな願いを込めながら、今年最期になるであろう日誌を書いている。高齢者にとって一年の終わりは、寿命の縮まりを感じる時でもある。冥土の旅の一里塚でもあるのだ。一年一年が貴重な時間となってきた。

目次に戻る