伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年12月14日: 悩みの種は排尿障害 GP生

 人は加齢を重ねるにつれ、若い時に経験したことが無い排尿トラブルに見舞われることが多くなる。前期高齢者の知人は、夜間のトイレ行きが毎夜4,5回と聴いている。十分睡眠が取れるのは、せいぜい2回が限度だ。若い時は、就寝中のトイレ行きは稀であるし、一日6,7回程度であろう。昔を振り返っても回数に記憶が無いのは、意識をしたことが無いからだ。高齢になって泌尿器系の病を経験すると、治療後に生じるのが排尿障害である。

 6年前、前立腺ガンの放射線治療後、激しい排尿障害に見舞われた。夜間は4,5回、1日20回を超える日が続いた。放射線治療は前立腺に20本の中空針を刺し、この中に強い放射性物質を循環させる最新療法であった。外部照射で前立腺ガン再発率が高いのは、周囲の臓器損傷をさけるため低線量照射となるからだ。照射回数で補っても、生き残るガン細胞が有るのだろう。高線量内部照射では、前立腺内部のみに中空針を刺すため、高線量であっても周囲臓器に対する影響は少ないと説明を受けた。その後、通常治療の半分回数の的を絞った外部照射を受けた。その結果、5年経ってもPSA値は低位を維持し完治に近づいている。

 この時、治療後に生じた頻尿原因は明白である。20本の中空針を小さな前立腺に刺し、2日間に亘り治療したのだ。前立腺に24時間以上、中空針が刺さったままであれば、前立腺は腫れあがり、前立腺の中を通る尿道は圧迫される事になる。更に強力な放射線を受けている。膀胱内に尿が溜まり尿圧が高まった時、かろうじて前立腺内を通過できても、尿の排出で膀胱内圧が低下すれば、排尿不可となる。膀胱内は多量の尿が残るため、新たな尿を溜める容量は少なく、膀胱内は直ぐ尿で満たされる。再び排尿が始まる。これの繰り返しが、一日最大26回続いた頻尿の原因である。主治医によれば、一ヶ月程で回復するとのことであったが。

 退院3日後の通院時、主治医から利尿剤の処方を受けた。この薬は、尿路平滑筋に選択的に作用し、交感神経を遮断して筋肉を緩ませる作用を有する。尿路圧迫の改善で頻尿回数は多少減少したが、今度は尿漏れが生じた。交感神経の遮断で平滑筋が緩みっぱなしとなり、排尿コントロールが出来なくなったためだ。更に服用中、全身にだるさを感じた。薬が血管の平滑筋に作用する副作用の結果であった。

 トラブルは頻尿だけでは無かった。退院後何回か排尿不可の状態が生じたのだ。尿意はあっても一滴も出てこない。この時、下腹部に強い違和感と激しい苦痛が生じた。何回か同じ状態が続いた後、突然激しい排尿が始まり、尿と一緒に赤い血の塊が飛び出してきた。中空針が膀胱内壁を突き破り、出血の一部が膀胱内で血栓となったと思われる。頻尿は問題だが、全く出ないのははるかに大問題だ。

 前立腺ガンの外部照射が終了してから、排尿回数の記録を始めた。排尿回数には、後遺症からの回復状態が現れると考えたからだ。時の経過とともに排尿回数は減少を続け、夜間トイレから解放される嬉しい日々が続いた。そして4年半が経過した昨年7月、腎盂ガンが発覚し左腎臓の摘出手術を行った。腎臓から膀胱内に延びる尿管を摘出するため、膀胱の開腹手術が行われた。更に同年11月、膀胱ガンの内視鏡手術を行い4カ所のガン腫を切除した。今年1月、ガン腫取り残しの有無確認のため、再度、膀胱内視鏡手術を行った。この結果、膀胱と尿道は著しく傷つき、排尿トラブルが再発した。その後、3ヶ月毎の定期検診で膀胱内視鏡検査を行っている。その都度、トラブルが発生している。

 治療後の頻尿は、前立腺治療後ほどの激しさはなく、夜間のトイレ行きも1、2回で収まっていた。問題は尿漏れである。以前、急激な切迫尿意を何回も経験したが、今回は尿意を催した瞬間、尿が自然に漏れ出すのだ。「紙パンツまるで下着」の着用が唯一の対応策であった。尿道に内視鏡を挿入する前に、麻酔薬と潤滑剤を予め挿入するが、それでも挿入時の圧迫痛はかなりのものである。思わず呻き声を発する事もある。この時、物理的に加わった力が、尿道に何らかの影響を与えているのではないかと推測している。以前の切迫尿意は短時間でも我慢が出来たが、尿漏れは自然現象に近いのだ。膀胱内視鏡挿入後に、尿漏れが激しくなり、その後漏れ尿量が減少することから、尿道圧迫が原因に思えた。

 今年11月末に膀胱3ヶ月検診を行った。新たなガン腫が見つからなかったのは、慶賀の至りであったが、12月初め、今まで経験したことがない排尿障害に見舞われた。早朝、尿意を催してトイレに行っても一滴も排出されないのだ。排尿圧が下腹部に掛かっても排出されない苦痛は言葉では表現できない。血栓のためではない、尿道の何処かで閉塞が生じていることだけは間違い無い。夜間1時過ぎにトイレに行った時、排出量は少なく勢いもなく、やっとの状態であった。朝は完全閉塞である。家の中を動き回っても駄目だった。尿意が有っても出ないのだ。9時半過ぎ何時ものスーパー出かけ、買い物ついでに店内を歩き回っていると、激しい尿意に襲われた。慌ててトイレに飛び込んだが、幾ら頑張っても一滴も排出されないのだ。苦痛は半端ではなかった。

 自然回復は期待薄と覚悟した。掛かりつけの大学病院に飛び込んでも主治医の診察日ではなく、予約無しでは後回しにされるのが落ちだ。診察を受けても、利尿剤を処方されるだけなのは目に見えている。思いあまって、10月から腎機能回復のために通院を始めた隣町の中医鍼灸院に電話を入れた。事情を説明すると受け入れ可能との返事であった。タクシーで直行し、10時半から治療が始まった。鍼灸師からは、「前立腺ガンによる父の排尿障害を何年も治療してきてから、治療法は分かっている、心配はしないように」と声を掛けられた。救われた思いであった。

 触診の結果、「下腹部が張り、冷え切っている。血行が結滞しているため、泌尿器関係が弾力を失っている。その結果、排尿機能に問題が生じたと思われる。」との診断であった。思い起こせば、定期検査で膀胱内視鏡を挿入される度、激しい苦痛を覚える場所が存在していた。主治医からは、膀胱出口の尿道が狭くなっていると指摘されていた。鍼灸師の診断を聞き、今回の障害は膀胱出口の平滑筋が冷えと血行不良により、弾力を失った結果と想像出来た。鍼灸師は下腹部と脚に鍼を刺し、鍼専用モグサをセットした。腎機能回復時のツボと明らかに異なるツボであった。更にうつ伏せとなり同じく鍼灸を行った。最期はマッサージである。今までとは明らかに異なるマッサージであった。排尿機能を増すツボを刺激していると説明された。治療はこれだけでは無かった。仰向けからうつ伏せに移る途中、漢方薬の利尿剤を処方されたのた。通常は1時間程度で終わる鍼灸とマッサージ治療は、1時間半を超えていた。

 治療終了後、尿意を覚え治療衣のままトイレに駆け込んだが、尿量は僅かであった。所が着替えを終え、事務所で会計をしている時、突然、尿意に襲われた。トイレに行く間もない程の激しさであった。尿は勢いよく紙パンツにほとばしったのだ。これが都合3回続いた。当然紙パンツの容量オーバーである。これ程気持ちの良い排尿は、経験したことがない。最期のトイレ行きから10時間以上が経過していた。体力の消耗から乗ったタクシーの中で、更にもう1回の排尿があった。鍼灸師から漢方薬の利尿剤5日分が処方された。1日3回、食間の服用である。服用中、排尿回数は飛躍的に増加した。利尿剤のお陰か、顔のむくみが幾らか緩和したように思える。

 膀胱出口の硬化は、放射線治療の後遺症である。膀胱の内視鏡検査の度に、膀胱内膜の写真を何枚も見せられた。写真には膀胱内膜に毛細血管が浮き出ている部分が何カ所も見られた。放射線により膀胱内膜が変成していたのだ。膀胱全体も組織が厚くなっているとは、CT検査の結果である。内視鏡挿入時、痛みを覚える部位は膀胱出口である。前立腺と一番密着しているこの部分が、放射線障害を最も受けていたのだ。放射線の外部照射エネルギーはCTの100倍から1000倍と言われている。内部照射時のエネルギーはこれよりも桁違いに大きいのだ。前立腺ガンは消滅しても、新たに膀胱ガンを誘発した可能性を否定はできない。

 今回の排尿障害は鍼灸治療で解消したが、鍼灸師であれば誰でもが治療出来るわけではない。経験豊富で優れた技能を有する中医鍼灸師に出会った経緯は、以前日誌に書いた通りである。腎臓一つの身で、将来生じるかも知れない腎不全→人工透析の恐怖が遠のいたのも、中医鍼灸師との出会いが有ったからこそだ。膀胱ガンの定期検査が続く限り、排尿障害は続くであろう。それでも、優れた鍼灸治療師に出会い、不安が解消されたのは救いである。漢方薬の服用と週一回の通院は、生きている限り続けるつもりでいる。悩みの種が消える事は無いのだから。

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