伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年9月4日: 令和元年・心と身体と伝蔵荘日誌 GP生

 令和元年は自分にとって新しい出発の年となった。平成31年3月、膀胱ガンの治療が全て終了し、令和元年5月、更に8月、術後検診で共に異常なしと診断されたからだ。膀胱ガンは再発し易いガンとして知られているだけに、喜びもひとしおである。振り返れば、平成26年に前立腺ガンに対する放射線治療を行い、平成30年夏に腎盂ガンの左腎臓摘出手術、更に11月の膀胱ガン内視鏡手術を行った。過去5年間、泌尿器系のガンに3回も見舞われた。医師の適切な診断と治療により救われたと言って良い。

 伝蔵荘日誌は、学生時代に共に山で過ごした仲間のブログとして、2004年に伝蔵荘主であるTG君が始めた。時の経過とともに山行記録の投稿は減少し、山行以外をテーマにした日誌形式の文章を掲載して現在に至っている。ブログは不特定多数の読者を意識した内容に進化してきた。自分が初めて投稿したのは10年前である。TG君から、文章を書くのはボケ防止に繋がると勧められ、恐る恐る投稿した。山仲間以外の読者が居ると聞けば躊躇するのは当然である。

 自分は今まで、それぞれの発ガンの経緯と治療、その後の経過状況の投稿を続けて来た。読者にすれば同病でも無い限り、誰もガンの闘病記など読む気にならないだろう。それを承知で投稿を続けたのは、自分の心を整理する必要に迫られたからだ。人がガン発症を知った時、誰しもが大きなショックを受ける事になる。詳しい病状は分からず、不安が先に立つ。心配のあまり、夜眠れない事もあるだろう。自分がガンであることを受け入れることが出来ない事もあろう。発ガンのショックは人それぞれである。治療に対する心のあり方も、千差万別だ。人の身体と心は一心同体である。「病は気から」と言われているが、逆に病は平常心を失わせる。病にどの様に対処するかは、心の問題であるのだ。

 6年前、前立腺ガンの発症は青天の霹靂であった。まさか自分がガンになるとは予想すらしなかったからだ。「今まであれほど栄養と身体を考えて来たのに、何故ガンなの」とは家人の言である。自分も同じ気持ちであった。とは言え、病にどの様に立ち向かうかを考える必要に迫られた。不安だけでは前に進めない。病の実相を知るため、主治医には日頃の疑問を問うことが多くなった。ガン情報は正誤を問わずネットに溢れている。前立腺ガンに対する書物も発行されている。これらを合わせ、自分の病を客観的に知る努力を行った。知識は頭の中にだけ溜めておくと、思考が空回りすることが多い。その時々での情報整理と病状の見極めが不可欠であった。

 思考を整理する手段として、伝蔵荘日誌への投稿を思い立った。プライベートの極致のような内容を投稿するのに躊躇はしたが、出来るだけ客観性を持たせる努力は行った。文章を書くことにより、感情を排して病状と治療を第三者的視線で考察することは、心の安定に繋がればとの思いからだ。不特定多数の読者が存在する事を意識するからこそ、自身の病に対して客観視が可能になったのだろう。これが自分自身だけの日記帳であれば、違う結果になっていたかも知れない。

 振り返れば平成25年の前立腺ガン発症以来、30編以上のガン日誌を投稿してきた。特に前立腺ガンに対しての投稿数が多いのは、最初の発ガンでもあり、ショックが大きかった事と治療に長時間を要した為だ。最初に激しい血尿に見舞われたことも、不安の増幅に繋がった。前立腺ガンの一般的知見を知れば、発症は年齢的に妥当であったことが知れるが、後知恵である。最初の投稿は、「血尿騒動の結末」であり、最後の投稿は、3年半後の「前立腺ガン治療後の後遺症」である。この間の投稿数は17編に上る。長期間のガン治療に対処するため、病状の変化や後遺症に対する心の整理を迫られた為である。

 その後、腎盂ガン、膀胱ガンと悪質な泌尿器ガンに見舞われた。前立腺ガンを経験した後、更なる泌尿器系ガンが発症するとは思いもよらなかった。前立腺ガンは、治療により再発の可能性が薄れて来た時であったから、ショックは大きかった。特に、腎盂ガンの治療では、左腎臓の摘出に至リ、残された腎臓一つで、今後機能を維持できるかの不安にさいなまれた。主治医は一つの腎臓でも正常時の70%の機能を発揮出来ると言うが、それは腎臓に20%の過負荷を掛けることになる。転移がない事が確認されているので、再発の可能性は極めて低いことは確かであるにしても、加齢の進行により全ての代謝機能低下していく中、残された腎機能を如何に健全に保つかが大事になる。他の臓器機能を維持しながらだ。投稿日誌を執筆しながら、心は常にそこにあった。

 膀胱ガンは粘膜表皮に留まっていたため、内視鏡手術とBCG内部注入で根治の可能性が高いと主治医から説明を受けた。同時に再発の可能性も極めて高いとも言われた。極微細な腫瘍の肉眼鑑定は出来ないからだ。手術は膀胱内視鏡で確認できる腫瘍しか摘出できない。そのためのBCGである。投稿の主眼は、再発の可能性を自分なりに見極め、心の安定を求めることにあった。8月末の6ヶ月定期検診では、新たな腫瘍は見つからなかった。主治医によれは1年以内の再発の可能性が最も高いそうである。あと半年、安定が続けば、ガン関連の投稿はこれが最後になるのだが。

 人は高齢期を迎えると、若い時代には想像できない事態に遭遇することが多くなる。日々平穏、悠々自適は理想であって、現実は日常の些事と悩みに追われるのが常である。記憶力や思考力の退化も避けられない。変化の乏しい日常の一寸した経験から、日誌のテーマを発想した時は、惰性に流されがちな心を奮い立たせる事になる。曖昧な記録は過去を調べることで鮮明になり、不明な事はネット検索で思考が更に広がる。TG君の言の通り、まさに老化防止に繋がる行為である。

 高齢期を迎え活動領域が狭まるにつれ、心は萎縮し、行動する事に億劫さを覚えるようになった。そんな時、伝蔵荘日誌の投稿を始めた。日常生活で心に浮かんだテーマを熟成させ、文章にすることに意欲を覚えるようになった。原稿の推敲は、暇な時間を活用する事ができる。損得に絡む心遣いは疲労をもたらすが、伝蔵荘日誌への投稿は心を育む事に繋がる。昔の親しい山の仲間に投稿を勧めても、色よい返事は貰えない。皆、日常に忙しいようだ。病をテーマにした日誌は、これを最後にしたいものである。

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