伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年8月8日: 職人さんとの出会いと別れ GP生

 一軒の家を建てる時、多種多様の職人さんの存在が必要である。木工、土木、電気、塗装、内装等々の技能を有する職人さん達だ。賃貸マンションの運営管理も、職人さん達の協力無しには成り立たない。鉄筋コンクリート製マンションは、外装はともかく、内装は入居者が入り替わる度に改装を要することが多い。住宅機器にしても、ガスレンジやエアコン、給湯器等の実耐用年数はせいぜい10年だ。機能は保てても古い機種では、入居者が魅力を感じられず、空き室要因になりかねないからだ。旧いマンションのトイレは、非水洗が多く、水洗トイレでもウォッシュレット機能を持たない設備も多い。入居者が変わる度に、最新機能を有するトイレに交換する必要がある。この時、旧トイレ撤去のためのコンクリートブレーク工事、新トイレ設置工事、電気配線工事、給水工事、床工事、壁天井工事が必要になり、それぞれの職人さん達が登場することになる。築年が旧くなればなるほど、修復箇所は飛躍的に増加する。緊急を要する工事も日常的に数多く発生する。賃貸マンション管理では、優秀な技能を有する職人さん達の存在は不可欠である。

 今年の初め、住宅機器設備工事を行っていたTrさんが引退した。昨年秋、脳梗塞で倒れた為だ。入院中、電話を掛けたところ、以前と同じ会話が出来たので言語障害は免れたようだ。懸命のリハビリにより車椅子は免れたが、杖突歩行がやっとで、車の運転は出来ない状態であった。Trさんの自宅は、千葉県の東京寄りの都市で、土日は車で帰宅しても、日常は会社の宿直室での寝起きしていた。Trさんは現在、喜寿に手が届く年齢である。自分が知り合ったとき、既にこの生活を行っていたのだから、変則生活を30年以上続いたことになる。

 Trさんの技能は超が付くほど優秀であった。賃貸住宅の住設機器及び周辺設備で生じる問題は複雑且つ多岐にわたっている。トラブルの原因を確認することが問題可決には不可欠である。修理復旧には豊富な経験と最新の設備に通じていることが必要である。Trさんは、自分が今まで接してきた職人さんの誰よりも優れた能力を有していた。問題が発生して困った時は、Trさんの携帯を鳴らすのが常であった。Trさんは技能だけでなく、極めて温厚な人柄であり、豊かな人間性の持ち主であった。顧客の誰からも信頼と好感を持たれたことは想像に難くない。当然仕事は多忙を極めていた。

 30年前、自分が父の代行でマンション管理を始めた時、工事は一社に限られていた。昭和20年代初め父がシベリア抑留から未だ戻らぬ時期、祖父母が相次いで他界し、貸地を幾つも処分する必要に迫られた。この時、本家から紹介された不動産の専門家がKwさんであった。その後、Kwさんは不動産斡旋業を始め、更に建築業にまで手を広げた。その第一号建造物が木造2階建ての我が家であった。次いで同じ敷地内に建てた2階建てのアパートを建築した。昭和47年にメインストリートに建てたのが、今に残る5階建てのマンションである。Kwさんはその後不動産管理業を始めた。父は物件の賃貸料管理を含め、全ての管理をKwさんに一任した。父が出征で不在であった時から、母が世話になった恩義を含め信頼関係があったからだと思う。

 このKwさんの建築会社に協力業者として、住宅設備機器工事を行っていたのがNmさんの会社であった。その会社で職人として仕事をしていたのが、若き日のTrさんである。自分がマンション管理の代行を始めた時、Kwさんは既に引退し息子が後を引き継いでいた。自分は、Kwさんの息子の会社から家賃管理代行業務は引き上げ、保守管理のみ依頼した。その後、Kwさんの息子と業務感覚とのずれが次第に大きくなり、暫くして全ての業務を断る事となった。

 当然、保守、点検、補修、改修等を行う協力会社を早急に整える必要になる。その頃、NmさんもKwさんの息子と意見が合わず、協力関係を解消していた。Nmさんとは何回か仕事上の関係があり、Nmさんの人柄は十分承知していた。以来、住宅設備機器の保守は彼の会社に一切を任せることとなった。工事の主体は何時もTrさんで、彼との長い付き合いはこうして始まった。Trさんが引退した後、住宅設備会社は弟子のNmさんが引き継いだ。Nmさんの仕事に対する真摯の姿勢は、彼が駆け出しの頃から好感を持っていた。いつの間にか良い職人さんに育っていた。自分は出来る限りの応援をするつもりでいる。3日後に給湯器交換工事が控えている。また新しい職人さんとの関係が始まった。彼の廃業を見ることは無いだろう。自分が先になることは間違い無いのだから。

 次いで内装・木工工事業者を探さなければならない。親しくしている不動産業者に相談すると、駅近くで、カーテンやカーペットを商いながら内装工事を行っているLハウスを紹介してくれた。ここの会社に若き日のYmさんが働いていた。最初は他の人が担当になったが、仕事に対する姿勢が気に入らず、最終的にYmさんに落ち着いた。30年以上も前の事である。Ymさんは何事についても前向き且つ積極的であった。新しい内装材の提案は毎度のこと、自分の古い感覚をそれとなく諭してくれたこともしばしばであった。簡単な工事や修理はYmさん自身が行ってくれた。自分が準備した機材の取り付けも自発的に行い、これらの雑工事の費用を請求される事はなかった。3年前、Ymさんは同じ社の後輩と一緒に独立した。新会社はYmさんの後輩が代表となり、Ymさんは技術担当として現場を飛び回っている。現在、自分は何回かのガン治療の結果、趣味を兼ねて行ってきた雑工事から一切手を引き、全てYmさんに託している。Ymさんへの依頼に多言は不要である。

 昨年の秋、マンションの給水ポンプの1台が揚水不能となった。ポンプは通常2台設置し、自動交互運転を行っている。早速、ポンプメンテ会社に連絡し修繕を依頼した。派遣された中年の職人さんが点検したところ、ポンプ2台ともあちこちの部品が消耗していることが分かった。部品を準備して再度修理に掛かったが、1台の修理に1日近く時間を要するとのことであった。ポンプを完全に分解し、部品交換の大仕事である。職人さんは必要なことは懇切丁寧に説明してくれたが、余計な話はせず二日間黙々と仕事をこなしていた。ポンプは新品同様となり復活した。今後、この優秀な職人さんと出会う事は無いかも知れない。当に一期一会の出会いである。別れ際に感謝の気持ちを手渡した。

 マンション周辺の樹木の手入れも植木職人さんに任せている。以前は全て自分で行っていたが、脚立に乗る高所作業に自信を持てなくなって久しい。旧友から紹介されたTnさんは50代の職人さんで新婚さんだという。年一度手入れをして貰っているが、今年で3年目となる。自分が生きている限りお付き合いは続きそうだ。刈り取りが終わった樹木の仕上がりは、自分のそれとは雲泥の差である。

 人と人との関係は、他の人には引き継げないものだ。サラリーマン時代、故あって早期退職するとき、自分が長年接してきた顧客を後継者に託したが、何れも関係は消滅してしまった。会社組織を背負っても、仕事は個人間の信頼関係によって保たれているからだ。現役時代は、仕事を受ける立場と発する立場の両方を経験してきた。受けた仕事を完遂して顧客に喜んでもらい、信頼関係を更に深めるには協力業者の職人さんの力に依ることが多い。過去を振り返ったとき、職人さんだけでなく多くの人達に助けられてきた事を思い出す。感謝あるのみだ。

 現在、協力業者の職人さん達は、高齢者が比較的少ない。高齢の職人さんは、いつの間にか一人消え二人消えである。長年の顔見知りがいなくなるのは淋しいことだが、人の世の常だから仕方無しだ。現在も多くの人の協力無しには、業務は成り立たない。人の世で、出会いと別れは避けて通れないが宿命である。現在お付き合いしている職人さん達の年齢を考えれば、次の別れは自分が先になる事に間違い無い。生きている限り、職人さん達との付き合いを大事にしたいと思っている。

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