伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年7月18日: たかが「ういろう」・されど「ういろう」 GP生

 家人は加齢の進行により身体の不調を訴えることが多くなり、掛かりつけの病院で処方された薬は常備薬になった。医者の処方薬は薬効が明確であっても、必ず副作用を伴っている。激しい副作用により、新たな体調不調に見舞われることもしばしばである。その点漢方薬は即効性には乏しくとも、長期の服用により薬効を発揮し、副作用が比較的少ない特徴を有する。家人は処方薬と漢方薬の組み合わせで体調管理を行ってきた。

 家人は最近、知人女性から漢方の丸薬を入手した。名を「ういろう」という。「ういろう」と聴くと名古屋の名菓、四角い菓子を連想する人が多いと思う。自分もその一人であった。直径3o程度の丸薬「ういろう」は、小田原でしか入手できない漢方薬であり、万病に効能があるとのことであった。効能について半信半疑であった。所が、家人が体調不良時に10粒飲むと、それまで続いていた動悸がピタリと止まったのだ。説明書を見ると効能の一つに心臓病とあった。消化器系の病にも効能があるとの記載もある。「ういろう」を常備薬にするには最適と考えた。問題は入手方法である。調べて見ると「ういろう」は、小田原にある外郎藤右衛門薬局でしか入手出来ない事が判った。通販は一切行わず、店頭販売に限られていた。

 「ういろう」を製造販売する外郎家の初代は、中国の元に仕える役人・陳延佑と言う人であり、650年前に元が明に滅ぼされた際、現在の博多に移住したと伝えられている。医術や占いに明るかった初代陳氏は足利義満に招聘されるも、初代ではなく2代目陳氏が上洛し、医療関係で幕府に優遇されたそうだ。2代目陳氏は、その後明国に帰国し万能薬「霊宝丹」の処方を持ち帰り製造した。この薬は、当時の武士がお守りとして珍重し、兜の中で丸薬が溶け良い香りがしたことから、時の帝より「透頂香」(とうちんこう)と名を賜わった。その後、外郎家が作っている薬なので「ういろう」と呼ばれるようになったと伝えられている。同時に、2代目陳氏が発案した菓子も「ういろう」と呼ばれている。

 江戸時代、人気のあった歌舞伎役者2代目團十郎は病気で声が出なくなり、舞台に立てなくなった。こんな時小田原の万能薬「ういろう」に出合い、病が快癒し舞台に立つことができた。2代目團十郎は、この素晴らしい万能薬「ういろう」を世に知らしめる為、歌舞伎十八番「外郎売」の演目を創りだしたそうだ。先日、テレビで市川海老蔵の長男勸??玄君6歳が、初舞台で「外郎売」の長台詞を見事演じていた。丸薬「ういろう」に関心を持ったばかりなので、興味を持って勸??玄君の演技を見つめていた。

 「ういろう」を入手するには、とにかく小田原まで出向かなければならない。10歳若ければ、車で直ぐに飛び出していただろうが、安全第一だ。新幹線を利用することにした。自分の住む町の駅から東京駅までは30分、新幹線で小田原まで35分しか要さないことを分かっていても、遠出することに億劫さを感じたのは、歳のためだ。小田原には、それこそあっという間であった。駅からタクシーに乗り、運転手に「外郎本店」までと言うと、「お客さん、今日は水曜日だから定休日ですよ」との返事が返ってきた。気落ちした心に鞭を打ち、「場所を確認したいので、お願いします」と伝えた。外郎本店は小田原城を挟んで駅の反対側、旧東海道に面した一角に在った。店は天守閣を模した巨大な楼閣であり、白壁がそそり立っていた。固く閉ざされたシャッターには、「毎週水曜日と第三木曜日は定休日」と書かれていた。ため息をつきながら、しばし城を見上げていた。

 翌木曜日、再度小田原に出かけるつもりで居たが、関東地方に大雨警報が出されていた。如何するか迷ったが、思い切って出かけることにした。幸い雨は小降りで、傘を使うことは最後までなかった。タクシーを降りると昨日のシャッターは上げられ、開店したばかりであった。店の正面は菓子売り場、右手が喫茶室、薬局は左手奥にあり、高齢の男性が売り手であった。「ういろう」は、税抜き1000円、3000円、5000円の箱入りから選ぶことになる。1000円の箱は「ういろう」141粒入りの袋が1袋、3000円の箱には同じ袋が3袋、そして5000円の箱には182粒入りの袋が4つ入っている。何れの箱も一人2箱が原則であった。1粒当たりの単価もあるが、小田原迄来て2袋しか買えないのであれば、5000円の箱以外は目が行かなくなるのは当然である。小田原通い2日目にして「ういろう」を手にした時は感激であった。

 「ういろう」の効能書きを見ると50余りの症状に効果ありと書かれている。胸腹痛、胃痛、胃痙攣、頭痛、下痢、胃腸炎、肝臓の不調、心臓病、口内炎等々、延々と続く。当に万能薬である。この薬が600年以上前から作り続けられてきたことに驚かざるを得ない。常用は一回5,6粒で良いが、症状に応じて10粒、20粒を1日何回か服用、頓服としては、症状に依って30粒、60粒とある。家人は体調不良時に何回も服用したが、素晴らしい即効性を発揮した。

 知り合いに40代の女性がいる。彼女は若いときから頭痛に悩まされ、頭痛薬を飲み続けてきた。頭痛薬は服用制限があるため、軽度の痛みは我慢せざるを得なかった。先日家人は見かねて、「ういろう」の小袋を送ったところ、半信半疑で服用した彼女は即効性に驚いた。勿論、副作用は一切無しだ。小袋の中身がなくなる前に、彼女は小田原まで出かけると話していた。

 「ういろう」は名古屋の菓子であるとの先入観が有り、何故小田原?の思いがあった。今から550年以上前、外郎家5代目は、時の北条早雲に招かれ厚遇され、以来、小田原の地で万能薬「ういろう」と菓子「ういろう」の製造販売を続けてきたと知った。現代の当主は25代目に当たるという。天下の名薬「ういろう」は、昔から小田原名物として巷間に知られていたようだ。知らなかったのは自分のみだ。江戸時代の武士が印籠に入れていた丸薬は、「ういろう」なのかも知れない。「ういろう」本店では印籠も売られていた。

 明国の万能薬「霊宝丹」は、現代の中国に伝えられているのだろうか。外郎家は600年以上に亘り明国から伝えられた製法を守り、販売を続けてきたのは驚きである。このような事は我が国以外に考えられない。原料は麝香、薬用人参、龍脳と説明書に書かれているが、それ等以外に十余種の生薬が使われているとあった。長い伝統に守られた製法は門外不出で外部からは窺い知れない。即効性は間違い無く実感している。しかも副作用は一切なしだ。

 家人に「ういろう」を教えてくれた知人女性も、母親の心臓病の為に小田原まで出かけているとのことだ。これから自分も定期的に小田原通いが続くことになろう。「ういろう」を常備薬にすることで、副作用の多い処方薬と縁が切れるのなら願ってもない事だ。「ういろう」の存在を教えてくれ、試供用に小袋を提供してくれた知人女性に感謝あるのみだ。一緒に買い求めた菓子「ういろう」は、甘みを抑えた独特の食感で、一度食べると後を引く旨さだ。たかが「ういろう」、されど「ういろう」である。

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