伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年4月5日: 令和の元号改正騒動 T.G.

 新元号が発表されて1週間経った。マスコミの異様な大騒ぎに辟易していたが、やっとおさまり静かになった。国民はもともと静かである。静かに受け止めている。「令和」と言う新元号について賛否があるが、昭和や平成の時も同じことで、違和感、慣れの問題だろう。慣れてしまえばどうと言うことはない。単なる年代記号である。

 祝賀気分のマスコミのお祭り騒ぎを見ていて、どうにも気になることがある。元号改正はおめでたではない。平成の時は昭和天皇崩御の直後で、国民は喪に服していた。さすがのマスコミも浮かれ騒ぎは出来なかった。粛々と受け止めざるを得ず、しばらくは娯楽番組やCMを自粛した。崩御による喪中の元号改正は、大正、昭和も同じだっただろう。30年経って、国民もマスコミもそのことを忘れている。

 もともと生前退位による元号改正はごくごく異例のことである。まったく想定されていなかった事態で、制度や法律を含めてなんの準備もなかった。その異例の事態が天皇の一言で瓢箪から駒のように生まれ、実現した。天子様が口にされたことは勅命で、誰も抗えない。今さらながら「天皇」と言う存在の威力、影響力の大きさを知らされた。ここにこぎ着けるまでの安倍内閣の苦労は大変なものだっただろう。憲法を含め、どこにも想定されていない無理難題を押しつけられ、超法規的に短期間で解決しなければならなかったのだ。下手をすれば政権が吹っ飛びかねない未曾有の事態である。常々立憲主義を標榜している左翼野党が憲法違反を言い出したら、大混乱に陥ったに違いない。

 明治以来、天皇の生前退位による譲位は憲法で封じられてきた。それ以前の歴代天皇は崩御ではなく、生前譲位による皇位継承の方が多かった。初めて譲位をした第35代皇極天皇以来、歴代天皇はしばしば生前譲位を行い、明治天皇が即位する前までの92代のうち、崩御による譲位は28代に過ぎず、実に64代が生前退位による譲位であるという。大半が今回と同じ生前退位による譲位だったのだ。

 その生前譲位が、イギリスに倣った立憲君主制を目指す明治憲法で排除された。戦後に作られた日本国憲法でも、譲位の規定はない。あるのは摂政である。天皇に関する憲法第5条には「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。」とあり、皇室典範には「天皇が精神もしくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により摂政を置く」とだけ書かれている。つまり天皇不如意の場合は摂政を立てる決まりになっており、譲位と言う概念はない。それをむりやり押しきっての生前退位であり、元号改正なのだ。憲法に関心がない多くの国民は、そのことに思いを致さない。天皇が政治や憲法から遊離し、完全にシンボル化しているのだろう

 退位による生前譲位を禁じたのは、立憲君主制を安定的に維持するための先人の知恵である。現在と違い、過去の天皇は単なるシンボルではなかった。存在がまつりごとに多大な影響力を持っていた。錦の御旗を担いだ新政府軍に幕府が抗えなかったのがその好例である。玉を手にした側が権力者になれたのだ。古くは、天皇の譲位が互いに正統性を訴える有力臣下の派閥対立に利用され、南北朝時代の争乱の原因となった。そのことをよく知っていた維新の元勲、初代総理大臣の伊藤博文は、明治憲法を作るに際し、天皇譲位の際に生起しかねない政治の混乱を未然に防ぐため、憲法に譲位の規定を盛り込まず、摂政のみとした。天皇はその時代に唯一無二の存在であり、崩御によってのみ代替わりするとし、退位による生前譲位を排除したのだ。

 摂政には好ましき前例がある。生来病弱であった大正天皇は、途中から公務を執り行えないほど病状が悪化した。原敬首相を中心に憲法の趣旨に沿った摂政の準備が行われ、大正10年に当時20歳だった長男の皇太子裕仁親王に摂政を委ねた。以来亡くなるまでの5年間、後の昭和天皇である裕仁親王が天皇に代わって摂政の役を果たされている。昭和11年に起きた2.26事件では、首謀者の反乱将校やそれを画策する高級幹部の一部が、陸軍軍人であり、かつ軍にシンパシーを持つ弟君の秩父宮を天皇に擁立しようとしたといわれている。クーデターが鎮圧されたため真相は謎に包まれたままだが、火のないところに煙は立たない。まさに伊藤博文が懸念した通りの事態が出来したのだ。

 この退位による生前譲位排除は、今の憲法と皇室典範にも厳然と引き継がれている。立憲君主制を安定的に維持する知恵である。今回の退位による譲位を前提にした元号改正は超法規的であり、いわば憲法破りなのだ。それゆえ今回限りの特例である。安部内閣は繰り返しそれを訴えている。今回のような事態は、意図的な憲法改正をしない限り、二度と起きてはならないことなのだ。国民はそのことをどのくらい正しく理解しているのだろうか。理解した上で令和を祝っているのだろうか。どうやら軽佻浮薄なマスコミはそうではなさそうだが。

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