伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年3月16日: クライストチャーチの惨劇 T.G.

 ニュージーランドのクライストチャーチでテロが起きた。銃を持ったテロリストがイスラム教のモスクに押し入り銃を乱射、死者49人、重軽傷者50人に達したという。実行犯のテロリストがヘルメットに装着したカメラで犯行の一部始終を撮影し、そのライブ映像をSNSを通じて全世界に流した。約17分間の映像は凄まじい。

 車に乗ってモスクに押しかける場面から始まり、モスク入り口から自動小銃を乱射しながら内部に押し入り、行き当たりばったりに信者達を撃ち殺していく。倒れた信者にはとどめの銃弾をぶち込む。脳漿が床に飛び散る場面が実に生々しく残虐である。映像の最後で、犯行に使われた車が小生の車とまったく同じタイプのスバルレガシィであることに気がついた。ニュージーランド政府の要請でフェイスブック社はこの残虐映像をただちに削除したが、時すでに遅く、すでにネットを通じてコピーが世界中にばらまかれてしまった。多くの人がそれを目にしていて、小生もその一人である。

 宗教は一般的に不寛容だが、一神教であるキリスト教とイスラム教は特にその傾向が強い。互いに憎しみ合い、受け入れず、交わろうとしない。西洋中世史の半分ぐらいは十字軍に始まるキリスト教とイスラム教の軋轢である。イベリア半島は中世にイスラム化されたが、現在のスペインに残っているのは、アルハンブラ宮殿などイスラム遺跡だけであり、イスラム社会は駆逐されている。最近のアラブ情勢でヨーロッパ各地にイスラム難民が押し寄せ、欧州人口の4.9%がムスリムだという。不寛容同士が交わることはない。その結果、欧州各地でテロや紛争が多発するようになったのは必然である。ヨーロッパから遠く離れたニュージーランドでも、人口の1%がイスラムだという。日本だったら120万人に相当する数である。在日朝鮮人よりはるかに多い。

 今回のテロはキリスト教系オーストラリア人が起こしたもので、ムスリムは被害者だが、キリスト教とイスラム教の相互の不寛容さが事件の根本要因であることには変わりはない。シリア内戦でシリア人口の半分、約650万人が国外に逃れた。多くはトルコにとどまっているが、100万人単位のシリア系イスラム難民がドイツ、フランス、イタリア、スエーデンなど、ヨーロッパ各地に逃れている。今後ますます地中海世界からのイスラム難民は増え続けるだろう。

 彼らムスリムはヨーロッパ社会に溶け込むつもりはなく、多くが生活習慣や宗教を変える気がなく、社会と孤立した生活をしている。その点が他の一般的移民と異なる。ドイツなど、最初は人道主義を建前にして受け入れていた各国政府も持て余し気味で、この先の展望はまったく開けない。キリスト教徒とムスリムの相互の不寛容さが改まることはなく、社会的に同化し合うことはない。中世と違って、政治や軍や社会がコントロールできないこの異宗教民族の混交が続けば、同種のテロや紛争はますます増えるだろう。その結果ヨーロッパ社会は混乱し、疲弊していくに違いない。イギリスのブレグジットはその現象の一端である。

 不寛容さに関してはキリスト教もなかなかなものだが、イスラム教はそれをはるかに上回る。それを象徴するのがムスリム女性の服装である。地球上どこにいても、常にヒジャブと称する布で頭と顔を覆う。遠い異国にいても手放そうとはしない。生活習慣を変える気はさらさらない。今回のクライストチャーチ事件でも、被害に遭ったムスリムの女性達は例外なくヒジャブファッションだった。当人達は単なる服装習慣とでも思っているのだろうが、異教徒から見たら異様なファッションである。それと同時に、あなた方とは交わりませんよと言わんばかりの拒絶姿勢にも見える。

 ムスリムがどこへ行っても豚肉を食べないのは、食事の嗜好や好き嫌いではなく宗教的なタブーであり、イスラム以外の異世界の拒絶である。これでは多数派のキリスト教社会とは交われない。いつまでたってもよそ者であり、お客さんである。日本でもイスラム旅行者のインバウンドを見込んで、ムスリム食を用意するレストランが出てきたが、お客さん扱いしているだけで、同化の意図はない。クライストチャーチは文字通り“キリスト教の教会”を意味する地名だろうが、その静かなキリスト教の町中に、忽然と現れた異教徒のモスクは不寛容と拒絶のシンボルのように見えるだろう。テロの犯人はその社会的不条理を理解できず、憎悪したのに違いない。新しい形のイスラム侵略に遭った西欧社会は、この先ますます混迷の度を深め、疲弊衰退に向かうだろう。少子化対策で移民政策を採り始めた日本がそうなりませんように。

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