伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年2月10日: ITオンチの日本企業 T.G.

 日経ビジネスの「荏原製作所の挑戦、70万点の設計図をデジタル化」と言う記事を読んで驚いた。凄いことをやっているという驚きではなく、日本のITは未だにこれほど遅れているのかという驚きである。その程度のことは世界中の企業がとっくにやっている。わざわざ日経がニュースにする方がおかしい。荏原も日経もどっちもどっちである。日本企業のITオンチは分かっていたが、これほどとは思わなかった。これではアメリカはおろか、中国、韓国にも負けるわけだ。ITに関して、日本は周回遅れではなく10週遅れに近い。

 30年前、アメリカでCALSと言う企業効率化運動が起きた。国防省が主導して、軍需産業と国防省の装備品調達の効率化のために、商取引や兵器の設計図面をデジタル化して、ネットでやりとりするのが目的である。今で言う企業のIT化のはしりである。当時はまだインターネットもデジタル化技術も貧弱で、なかなか実用化が進まなかった。当時アメリカのCALS関係者との情報交換や連絡をファクスでやっていたのを憶えている。ネット万能時代の今では考えられない。この運動はその後2000年代に入って、今世界を席巻しているアマゾンやグーグル、フェイスブックなど巨大ネット企業の誕生、隆盛に繋がった。スケールは小さいが、日本で言えば楽天、ヤフオク、メルカリなどである。インターネットもそうだが、アメリカ技術の発達は常に軍需が先導している。

 通産省(今の経産省)はなかなか目端の利く役所で、90年代の初めにこのCALSを日本でもやろうとプロジェクトを立ち上げた。数十億円の予算を確保してCALS推進協議会を作り、NECや富士通、日立などを巻き込んで東京ビッグサイトでCALSの大会を開いた。一時期話題になったが、インターネットが未発達だったことありやがて立ち消えになった。当時は今のような光ファイバーによる広帯域インターネットが普及していなかったのだ。その失敗に懲りて、経産省はテーマをCALSからEC(電子商取引)に切り替える。ECの方が技術的に容易で応用範囲も広いからである。EC事業振興のために100億円ほどの補助金をつけ、各社から事業化のプロポーザルを募集した。

 当時我が社にはIT担当部門がなく、誰も応じようとしないので、やむなく小生が一人でプロポーザル作りをした。社内の数人の自発的協力者に手伝ってもらい、出来上がった提案書を通産省に説明に行った。めでたく採用され、20億円の補助金をもらった。今でも憶えているが、内容はまさしく今の楽天と瓜二つの事業デザインである。その頃はまだ楽天もアマゾンもなかった。当時のNs社長は、金を取ってきたらいくらでも使ってやると豪語していて、さっそくEC推進本部を立ち上げたが、寄せ集めの組織で社員は誰もやる気がなく、1本のプログラムも作らず、20億円を経費で使い果たして解散した。金を振り込ませて食い逃げする。まるでオレオレ詐欺である。一流企業のやることではない。その6年後に楽天が出現する。90年代半ばに本のネット販売で細々と始まったアマゾンが、今のような巨大サプライチェーンになるのはそのずっと後である。

 当時日本最大のネットプロバイダー部門を傘下に抱えていた我が社は、代表的なインターネット企業と見なされていたが、見事にITに乗り遅れ、事業化に失敗した。ネットとITは同義ではないのだ。その後やることなすこと上手く行かず、5兆円あった売り上げが半分になり、気息奄々、潰れる寸前である。プロバイダ事業も二束三文でとっくに売り飛ばしている。

 当時就任したばかりのNs社長はインターネット企業を標榜していた。ECはまさしくインターネットのトップ企業であった我が社が取り組むべき事業だったが、それに乗り遅れるどころではなく、手も出さなかった。これではIT企業にはなれない。これは我が社だけの問題ではなく、日本産業界全体の体質であり問題だろう。遅れて事業化した中国のアリババは、今や事業規模でアマゾンを凌駕すると言う。日本の楽天はいつまでたってもアマゾンとは雲泥の差、足下にも及ばない。日本にはIT企業はないと言っても過言でない。

 先日株主に送られてきた我がN社の事業概要を読んでいたら、副社長に元通産省のIs氏の名前があった。当時CALSプロジェクトを立ち上げた人物で、ECのプロポーザル説明に行ったときの担当課長補佐である。先見性のある若手のお役人で、その後事務次官候補にもなられたと聞いていたが、懐かしい名前を見て当時のことを想い出した。Is氏は当時まさしく日本企業のIT化推進の先頭に立っておられた。その先見の明があるIs氏が、副社長の立場で今の振るわない我が社をどう見ておられるか、聞いてみたいものだ。

目次に戻る