伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年2月2日: 追悼・ダックス犬ショコの死 GP生

 先月末のことだ、ダックス犬ショコが急死した。犬達の餌の時間は、朝食8時、夕食5時が決まりだ。8時になると犬達は、餌場近くをウロウロしている。「ご飯だよ」と声を掛けると餌場に走ってくるのが通例であった。例え、寝ていたとしても、直ぐに躰を起こし餌場に直行である。この日の朝、ご飯だよと声を掛けてもショコが起きてこない。不審に思って、寝床を見に行くとショコは息をしていなかった。触ってみると躰にぬくもりが残っていた。感触から死後2時間は経過していないと思われた。この朝、自分は5時過ぎに目を覚まし、PCを2時間近く操作していた。この時、ショコはまだ生きていたと思われる。呻き声も、苦しむ声も聞こえなかった。眠ったまま、ショコの魂は静かに旅立って行ったのだろう。予期しない突然の死であった。

 自分が検査入院を終えた日、預けていたペットホテルから、ショコとチャコを連れ帰ったのは、1月8日であった。ホテル滞在中、ショコは食欲もあり異常は見られなかった。帰宅後、軟便や下痢便が続いたが、獣医病院の治療で回復した。昨年末から、ショコの体重は減少気味であり、ホテル滞在時の体重は、昨年より1s近く減っていたことは気になっていた。死ぬ10日前に獣医科病院の治療時に測定した体重は、更に1s減少していた。その頃から食が次第に細くなり、餌を残すことが続いた。大好きな缶詰のビーフも完食出来ない時もあった。死ぬ前日の夕食は殆ど手を付けなかったので、大好きな焼き芋をあげると喜んで完食した。これがショコの最後の食事であった。

 ショコは昨年5月、口内に発生した悪性黒色メラノーマの手術を日本獣医生命科学大学の付属病院で行った。口内腫瘍は進行すれば餌を食せなくなり、最後は安楽死が避けられない。これだけは御免だ。高齢であったが、手術に踏み切った理由である。右下顎の骨を含め腫瘍は全て切除された。喉近くに転移していた腫瘍も除かれたが、他の部位への転移は不明である。抗ガン剤治療が残されていたが、主治医と協議して手術を以て治療終了とした。

 術後、左顎と両前歯は健在であったが、以前のように物が噛めないので、ドライフーズを止め、缶詰食とレトルト食を与えた。柔らかい餌に慣れた頃を見計らい、うるかしたドライフーズを混ぜて食べさせた。最初はぎこちない食べ方をしていたショコであったが、次第に舌と残された歯で上手に食べ始め、1ヶ月もするとドライフーズのみの餌に戻ることが出来た。入院で減少した体重は増加し、以前のふっくらとしたショコの体型が戻って来た。ただ、右顎が無いため、ダックス犬独特の長い舌が、何時も外に垂れ下がっていた。悪性黒色メラノーマの転移は覚悟していた。ダックス犬の平均寿命からすれば、後1年、長くて2年の寿命であったろう。せめて、今年中は生きてくれたらの想いであった。退院後、時間が経つにつれ、ショコ本来の憎めない行動が始まったので、ホッとしていた。それも束の間、15歳9ヶ月の生涯であった。

 死去当日、獣医科病院を訪れ、長年お世話になった先生にショコの死を告げた。先生から、ショコの最後の便、呼吸状態を聞かれた。軟便であるが、血便は無く正常色であり、呼吸に異常が無い事から、消化器系への転移、肺への転移は考えられないとの診断であった。犬も人と同じで、ガンは肺に転移し易いようだ。それでも、今回の突然の急死は、転移したガンによるものであることは間違い無い。真実は、日本獣医生命大学に検体提供すれば判明するにしても、そこまでの気持ちは起こらなかった。自分は肝臓への転移を疑っている。食欲減退後、苦しむこと無く、静かに死を迎えたことも、肝臓ガンでの死を現している。15年近く前、12歳8ヶ月で死んだゴールデンリトレバーも肝臓ガンであった。食欲の減退のパターンがショコと良く似ていたし、自分の腕の中で、静かに死んでいったゴールデンとショコの死が重なるのだ。「苦しまずに死ぬならガンで死ね。治療はするな。」の犬版である。

 犬が死んだ後の処置を如何するかが問題となる。以前、自分のマンションに住んでいたご夫婦は、17歳になるダックス犬を飼っていた。自力散歩が出来ないダックスをご主人が抱いて歩いているのをよく見かけた。溺愛していたようだ。このダックスが死んだ時、大枚をはたいて郊外の犬専用葬儀場で葬式を行ったと話してくれた。ご夫婦が愛犬に注いだ愛情の深さが良く理解出来た。墓は如何したかは知らない。短期契約であったのため、暫くしてご夫婦は転居された。

 自分は、過去二匹の犬を死なせている。1匹目は9歳で早世したシーズー犬ムック、次いで先のゴールデンである。ショコは、ゴールデンが死ぬ1年近く前に飼った犬だ。生後2ヶ月半のショコは、何時もゴールデンの後をついて歩いていた。一緒に散歩に出かけたこともあった。ゴールデンは肝臓ガンの進行で食が細り、排泄もトイレに行けず垂れ流しとなった。一日数回の排泄物の処理と汚れた下半身の湯せんを1ヶ月近く続けた。犬とて高齢になるにつれ介護が必要になる。ペットを飼うことは最後まで看取る覚悟が必要である。

 以前、死去した二匹の犬は、何れも区の清掃局に埋葬をお願いした。犬の死骸は、動物専用霊園を営む「平和会ペットメモリアル」が預かり、川崎市にある霊園で合同火葬後、共同墓地に埋葬される。分骨は不可だが、霊園内にある動物慰霊碑への参拝は可能だ。供養料を支払えば、台帳への登録、塔婆供養をして貰える。自分は、何時も魂が抜け去った遺体の埋葬だけをお願いしている。長年の犬との交流は、自分の心に確りと根付いているからだ。ショコの遺骸を段ボール製のお棺に納め、家人が花を添え、自分は焼き芋一本をショコの口元に置いた。ショコが体調不良時でも喜んで食し、最後に口にしたのが焼き芋であったからだ。清掃局の担当者は、ショコの遺体を確認すると頭を下げ、合掌してくれた。自分もショコの最後の顔を目に焼き付け、蓋を閉じた。心が締め付けられる瞬間であった。

 ショコは意図して飼った犬では無い。15年以上前、開業したペットショップのウインドウを家人と一緒に覗いていた時、3匹のミニチュアダックスフンドが眼に入った。老犬ゴールデン一匹との生活に寂しさを覚えていた時でもあったため、これらのダックス犬は極めて魅力的であった。可愛い顔に引きつけられた。家人も同じ気持ちであった様だ。その場でメスのダックス犬購入を決めた。それがショコである。当時5歳であった孫が名付け親である。茶色に輝く毛並みからショコラを連想したようだ。従って、保健所に届けた正式名はショコラであるが、ショコが通り名になった。

 ショコについては、つい先日「犬三匹は我が家族」のタイトルで日誌に書いた。人に甘える仕草は魅力的なのだが、最大の欠点は吠えることだ。何かを要求する時も吠え、来客や宅配便の配達人にも吠え続けた。嬉しくて吠えるのだ。躾教室に通ったが効果は無かった。家の中で寝ている時以外、何か行動する度に吠えるのだ。マンション住まいでは、他の住人には迷惑千万であろう。そこで、思い切って声帯切除手術を行った。それでも、声が全く出ない訳では無い。喉を震わせた低音を発生させるようになった。ダックス犬の本性は去勢不能である。

 ショコが死んだ日、残された二匹の挙動が普段通りではなかった。仲の良かったシーズー犬チャコが、特に落ち着かないのだ。部屋の中を行ったりきたりし、時々ストレス発散の床ガリガリが始まるのだ。大好きなショコが死んだことに気付いている感じだ。シャンプーや入院時の不在時は、このような挙動は現さなかった。落ち着かせるため、チャコを膝の上に載せ、抱いていると、いつの間にか眠ってしまった。何時も泰然としているシーズー犬NANAも普段の落ち着きは見られなかった。2,3日経過してもチャコは何となく寂しげで、家人の後を付いて廻っていた。

 ショコは自分が部屋にいる限り、トイレと水飲み以外は、側の寝床で寝るのを常とした。自分が外出すると、他の二匹が寝ているリビングの大型寝床で横になっていても、自分が部屋に帰ると、いつの間にか寝床に戻って来た。日誌にも書いた通り、手術入院から戻ってきてから甘えが激しくなった。時々、膝の上に載せると、腹を上にして眼を細めたり、自分の顔に出来るだけ近づいて横になったりしていた。ボスとのタッチが、ショコに取って最高の幸せであったのだろう。出来の悪い子供ほど可愛いとは、犬とて同様である。

 ショコが死んで暫くは気持ちが落ち着かなかった。15年以上、手をかけさせられたお馬鹿さん犬ショコの死は、自分の心にポッカリと孔を空けた。今、この日誌を書いている自分の横に、何時ものようにショコが寝ている感じが抜けきれない。過去二匹の犬の死と今回のショコの死とは自分の心に与えた影響は異なっているようだ。お世話になった、ペットホテルの担当者にショコの死を電話で知らせたが、話していると、自分が涙声に近いことを感じた。自分が歳をとったからかも知れない。

 残された二匹は13歳と10歳である。この二匹も現実を受け入れ始めているようだ。今まで別々に寝ていたのに、始終一緒の寝床で寝るようになったのだ。NANAは頭脳明晰犬であるが、身体上のトラブルが多い。チャコは動作がのろい、おっとりした犬だが、身体は丈夫である。今迄、この二匹の間でバランスを取っていたショコはもう居ない。これから、性格が真逆な二匹だけの生活が始まる。縁あって、家族の一員になった犬達を最後まで面倒を見たいものである。いつの日か再び、辛い現実に直面することになるだろう。その時が、遅いことを願うのみである。

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