伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年1月28日: 「家」の相続と墓じまい GP生

 今朝のことだ、ジムに向かうため何時もの道を車で走っていると、角地にある家屋の取り壊し工事が眼に入った。小学校の同級生OK君が、昔住んでいた木造平屋の建物である。父親が亡くなった後、独りで住んで居た母親は施設に入居し、その後、永く空き家のままであった。自分は退職後、当時健在であったゴールデンリトリバーを連れての散歩は日課であった。OK君の家の前は善福寺公園への通り道で、OK君の母親とはよく顔を合わせた。気さくな母親との立ち話しは、記憶に鮮やかである。取り壊し工事は、母親が亡くなられた結果なのかも知れない。

 今年になってからも、自分の家の近くにある2階建ての家屋が取り壊された。昨年中頃から空き家になり、放置されていた綺麗な外見の二階家である。取り壊しはもったいないとは、自分だけの思いかも知れない。この街の住宅街は、広い敷地に瀟洒な邸宅と樹木に覆われた庭を有する物件が多かった。この落ち着いた町並みが多くの人を引きつけ、自分の営む賃貸業には追い風となっていた。

 邸宅が解体された後は、小さく区分された分譲地や建売住宅として売りに出されることが多かった。元の宅地のままでは、高額となり買い手がつかないからだ。軒を連ねた小住宅の群れから、以前の落ち着いた住宅地の面影は望むべくはない。所有者が亡くなり、相続が発生するため土地を売却した結果であろう。相続人が複数の場合、現金化する必要があるだろうし、一人の場合でも、発生する相続税は馬鹿にならない額となる。自分の街の地価はまだまだ高価だ。売却がベストの策になる。

 他人の事は言えない。自分の住居を眺めても、植木が密集し、盆栽と白梅や紅梅、甘柿、百目柿の木々に囲まれた当時の面影は無く、無機質な鉄筋コンクリート製の建物があるだけだ。昔を偲べるのは、敷地の片隅に鎮座している、お稲荷さんの社とモチノキの大木、南天の樹木のみだ。それでも、他人の手に渡っていな事をよしとしなければならない。

 家を継ぐ事は、それぞれの家で異なる形を取らざるを得ないのだろう。商家で家を継ぐとは、土地建物を相続することより、商売を受け継ぎ続ける意味合いが強い。複数の相続人が居ても、商売に要する不動産は、商売相続者の物とし、他の相続人は妥協することになる。自分の親が死去した際の相続は、当にこの伝であった。父親が生前、他の法定相続人への遺産分配について、十分な手筈を行ったため、自分が家業を継ぐことにトラブル一切は生じなかった。相続時のトラブル回避は、被相続人の責務でもある。

 旧い友人が最近、墓仕舞を終えたとの話を聞いた。父親が生前郊外に立派な墓を残したが、維持が大変で、この負担を子供にさせたくないとの思いからと聞き及んでいる。以前、多磨霊園に恩師の墓参りのため、友人達と訪れたことがある。広大な霊園のあちこちに手入れが全くされず、荒れ放題になった墓地が散見された。最近、ネットニュースを見ていたら、「墓地の墓地」なる記事が目についた。所謂、墓仕舞された墓石が、山の斜面を埋め尽くす写真には目を見張った。墓石の数10万基とあった。

 墓仕舞の要因は幾つかある。一つは維持管理が出来ない事だ。地方から東京に居住すれば、核家族が進んだ現在、地方に残された墓地の管理をする者が居なくなるからだ。また近い将来、維持管理が出来なくなる恐れもあるだろう。最近顕著に増えているケースは、子供達にお墓のことで苦労を掛けたくないと考える親が多くなったそうだ。また、地方では、お寺さんとお付き合いが面倒になったと言う理由もあると聞く。承継者がいない場合、供養して貰える永代供養墓を選ぶことも多い。しからざる場合、お骨の処置は、散骨や手元供養、納骨団地供養となる。何れにしても、現在の墓を巡る想いは、自分の意識とはかけ離れたところにある事は間違い無い。

 自分は家を継ぐとは、墓と仏壇を引き継ぐことであると思っている。墓地には、先祖の肉体の一部であるお骨が祀られている。仏壇に並ぶ代々の位牌には、法名、俗名、没年月日と没年齢が刻み込まれている。祖父母の記憶はあっても、それ以前の先祖は、位牌に刻まれたこと以外は判らないが、先祖の魂が込められている事は間違い無い。仏壇と墓を守るとは、先祖の魂と肉体の一部を祀る事に通じるのだ。自分の存在は、先祖の存在抜きには考えられない。ならば、祖先から引き継がれた遺物を尊重する事は、人としての務めであろう。

 先祖から代々引き継いて来た土地は、墓と仏壇の附属物に過ぎないと思っている。この付属物あるお陰で、現在の生活安寧がもたらされていることを思うからこそ、墓参の時は、墓石の前でご先祖に感謝の気持ちを伝えている。自分の世は、一代かも知れぬが、人の世は子から孫へ、更にひ孫へと継続している事を思うと、例え僅かな土地建物であっても、親の死後、疎かに扱ってはならないのだ。されど、現実は厳しい。自らが育ち親と共に過ごした土地建物を、泣く泣く手放さざるを得ない事もあるだろう。しかし、墓と仏壇は別である。先祖との繋がりが残されているのは、この二つしか無いのだから。

 子が家を継ぐ意識は、育ってきた家庭環境により異なるはずだ。自分は、幼い時のトラウマに縛られているのかも知れない。自分の祖父母は故あって養子養女、父親は養子であり、自分は三代目にして生まれ男子であった。昭和22年に亡くなった祖母には特別可愛がられた。溺愛されたと言っても良いだろう。祖母が脳溢血で急死する直前まで、祖母に抱かれて寝ていたのだ。布団の中で「おまえは跡取りだ、跡取りだ」と頭をなぜられた記憶が心から離れない。三代目に生まれた男の子は、祖母にとって天からの授かり物であったのだろう。自分は、若い時は、思うままの人生を送ってきたが、結局この家に戻り、長男としての役割を果たすことになった。祖母の思いは、間違い無く自分に伝わっていた。

 家を継ぐ事の意義を、次の世代を担う息子や孫達が、自分と同等の想いを重ねることは無理であろう。育ってきた環境が違いすぎるからだ、自分の想いの一端を言葉にしても、彼等の心に残るわけがない。「家を継ぐ」の言葉自体が多くの家庭では死語であろう。農家・商家ならいざ知らず、都会に住む家族にとって、家を継ぐ意味が消滅しているのだ。家の継続など意味を持たない。結婚しない息子や娘の話は、我が町でも多く聞くようになった。代は途絶えることになる。

 家を継ぐとは、形ある物だけを継ぐ事では無い。両親や祖父達から無形のしきたりを引き継ぐ事でもあるのだ。我が家には、先のお稲荷さんや仏壇の他に、天照大神を祀る大神宮様と竈の神様がある。几帳面な亡き父は、これらを大切に守り手入れをしてきた。自分は、とてもこの父には及ばない。先日、八幡神社から、初午の御札が届けられた。我が家の守り神たるお稲荷さんの御札である。お稲荷さんの社を清め、御札を納めるのは後継者の役割である。

 人は一人では生きられない。例え高齢者が独居生活を強いられたとしても、かつて両親や祖父母が存在していた事を思えば、心は全くの孤独では無いはずだ。親が家屋敷や墓地を残してこの世を去ったとすれば、子達には、どれだけ幸せなことだろう。家を継ぐ事は、親の心を継ぐ事に繋がるからだ。如何なる理由があろうと墓仕舞は、先祖に対する不敬の際であると信じている。先祖から子孫に至る、連携の輪が、無限に継続するとしたら、どれ程素晴らしいことであろう。継続の証が、仏壇と墓地なのだ。そのためには、今を生きる我々が、家を継ぐ意味を噛みしめる必要がある。

 自分は、人がこの世に誕生する背景には、大きな意味があると信じている。人は何のために生まれ、何を目標にして生きるのかは、誰にとっても大きな命題であるはずだ。若い時はともかく、意識するのは70歳の坂を越え、自らが高齢者として生きざるを得なくなってからだ。自分がこの世から去った後どうなるかは判らない。息子や孫達に、自分の気持ちが伝わっていることを信じたい。

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