伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年1月14日: プレミアムカフェ「ジイチャンと孫文のハワイ」T.G.

 朝食を摂りながらテレビを見ていたら、NHKBSのプレミアムカフェで「ジイチャンが生きたアメリカ」、「孫文への想いはるか」の二本立てのドキュメンタリーをやっている。いずれも100年前にハワイに渡った日本人と中国人の生きざまを描く内容である。ジイチャンが広島生まれの一介の日本人庶民に過ぎないのに対し、孫文が言わずと知れた中国革命(辛亥革命)を成し遂げた国家指導者であるところが違う。内容はいずれも日系アメリカ人の子孫とハワイ在住の華僑達の回顧談である。面白いので最後まで見てしまった。なかなかの力作で、こういうことに金を使ってくれるならNHKに文句は言わない。

 「ジイチャンの生きたアメリカ」は明治32年にハワイに渡り その後米国本土で105年の生涯を全うした尾崎喜代太郎とその子孫の1世紀をたどる内容である。“ジイチャン”は今は英語しかしゃべれない日系アメリカ人子孫の祖父、曾祖父の呼び名である。「孫文への想いはるか」は、ハワイで幼少期から青春時代を過ごした“中国革命の父”孫文を、海外から祖国を想う心情を共有する作家の陳舜臣さんが思索するハワイ紀行である。前者が淡々と日系米国人家族の100年の生きざまを描いているのに対し、後者は中国系アメリカ人である華僑の立場から孫文と辛亥革命を振り返る内容になっているのが対照的である。

 その孫文である。1866年に広東省の農家に生まれた孫文は、12歳の時ハワイに移住し、ホノルルのオイラニ・スクールで西洋的な教育を受け、キリスト教に目覚める。それを心配した家族が呼び戻すが、祖国には戻らず、当時イギリスの植民地であった香港で医学を学び、同じくポルトガルの植民地であったマカオで医師を開業する。中国革命の父と呼ばれながら、幼少期から成人するまで本国中国(清)の教育や社会的影響はまったく受けていないのが驚きである。1894年1月にハワイで在米華僑の支援を受け、興中会を組織したのが彼の革命活動の始まりである。その後、日本、アメリカ、イギリスを転々と渡り歩いて,ほとんど祖国の土を踏んでいない。1910年に辛亥革命が勃発したときもアメリカに滞在していた。実に革命の父らしからぬ振る舞いである。

 ここまで見てきて、中国の革命がいまだに不完全なままで、確固とした国民国家形成に至っていないのは、この革命家孫文の出自や人間性に原因があるのではないかと思えてきた。革命の指導者が幼少期から人格形成される青少年期をすべて外国で過ごしている。祖国での教育も社会的影響も受けず、人間関係も作れていない。当然祖国の社会的矛盾や成り立ちが骨身にしみていない。革命の結果である新国家のあるべき姿はすべて頭の中で考えた抽象概念に過ぎず、いわば妄想に近い国家観、革命観でしかない。当然というか、案の定と言うべきか、革命の結果出来上がった中華民国は国家統治が不完全でいびつなものになる。依然として袁世凱のような古手の清朝軍人などが入り乱れて跋扈し、法治や国家統治が行き渡らず、国民国家の体をなさなかった。孫文の辛亥革命は失敗に終わったと言っても過言でない。

 孫文の後継者である蒋介石も中華民国をきちんと統治できなかった。毛沢東との国共内戦に敗れ、台湾に追いやられるが、その大きな原因を作ったのは蒋介石政府の汚職、腐敗体質だったという。あまりの腐敗のひどさに、当時日本軍と戦う蒋介石政府に多大な軍事支援を行ってきたアメリカが根を上げたという話もある。共に戦う同盟国アメリカにそう思われるようでは、民衆の支持など得られるはずがない。毛沢東に敗れ、石もて追われるように台湾に逃れざるを得なかったのはは、それが最大の原因だったに違いない。要するに単なる権力闘争に過ぎない内戦に民衆が加担しなかったのだ。

 権力闘争の結果、その後を引き継いだ毛沢東の中華人民共和国もいただけない。文化大革命や天安門事件などの愚行を繰り返し、建国70年を過ぎるというのに、図体が大きいだけで未だに共産党一党独裁の専制国家のままである。法治も行き渡らず、国民の権利も自由もなく、ただ金儲けが上手いだけの世界の鼻つまみ国状態になっている。それもこれも、すべてが最初に革命を起こした孫文のボタンの掛け違いから生まれたものではないのか。

 ついでに言えば、隣国韓国の初代大統領、李承晩についても同じことが言える。日韓併合前の李氏朝鮮時代にアメリカに渡り、アメリカの大学教育を受け、アメリカに亡命する。ハワイに在住し、オーストリア人女性と結婚する。戦後の1945年に帰国するまで朝鮮の地は一度も踏んでいない。1948年にアメリカ主導のもと大韓民国が成立すると初代大統領に就任する。国民の信任があったわけではなく、在米期間の長かった李承晩を在朝鮮アメリカ軍司令部が便利屋に使ったという説が有力である。朝鮮戦争の後、暴政を繰り返して失脚し、1960年に再びハワイに亡命してそこで客死する。この体たらくでは、いくら韓国人であっても、とてもじゃないが建国の父とは呼べないだろう。北朝鮮の金日成の出自にも似たところがあり、この二人の国家指導者のいかがわしさが今の韓国、北朝鮮の出鱈目さに繋がっているのではないか。

 NHKのプレミアムカフェを見ながら、いろいろなことに思い至った。テレビもたまには面白い。

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