伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2019年1月10日: 新たなる出発・膀胱ガン治療再開 GP生

 昨年12月21日の日誌の続きである。自分の膀胱ガンは膀胱筋層に浸潤していない上皮癌で、ステージT1の初期のガンであった。膀胱粘膜からキノコ状に腫瘍が出来るタイプは、悪性度が低く手術で完治する可能性が高い。自分の腫瘍は初期の乳頭状腫瘍で、写真を見ても赤く少し盛り上がった状態に見えた。素人目には腫瘍?の感じであった。主治医の説明を聞きながらよく見ると、やはり周囲の粘膜とは違っていた。キノコ状の腫瘍と違い、手術で切除しても残存する確率は高い腫瘍との説明であった。手術では、筋層の一部まで切除された。このタイプの腫瘍は初期であっても、悪性度が高く、何回も腫瘍が発生する厄介なタイプである。前回の手術後、念のため生理食塩水に抗ガン剤を溶かし、膀胱内に注入する治療を行った。もしガン細胞が残存していても完治の可能性は高くなく、あくまで、念のための治療であった。

 昨年、手術後の診察時、再発の可能性の高い悪性の腫瘍ゆえ、8週間以内に再度膀胱内の観察と膀胱粘膜の採取を勧められ、実施をお願いした。目的は、取り残しの有無確認と膀胱粘膜を各所採取し、病理検査によりガン細胞の有無を確認する事にある。検査とは言え、前回と全く同じ手術である。手術日は12月28日を勧められた。実施すれば、入院期間は年末年始にまたがることになる。主治医は12月末に退職が決まっていたので、責任感から申し出てくれたようだ。この場合、手術結果を説明するのは新たな主治医となり、いわば中途半端な形の引継ぎになってしまう。年末の入院は、家人に多大な負担をかける結果になる事、マンション管理上年末になすべき事等のため断る事とした。それでも早い方が良いとの主治医の意向から、1月3日入院、4日手術の日程が提案された。正月松の内の入院手術は、膀胱ガン治療の新たなる出発に相応しいと考え、主治医の提案に喜んで同意した。

 入院当日は休院中であるため、臨時の窓口で入院手続きをおこなった。入院病室は何時もの泌尿器科専用病棟である。昨年7月来3回目の入院であるため、顔見知りの看護師さんと何人も顔を合わせた。所謂お馴染みさんである。温泉旅館や飲み屋のお馴染みさんならともかく、入院病棟のお馴染みさんはいただけない。病室はベッドこそ違っても半年前と同じ部屋であった。ベッドに横たわり一息入れていると、当直医や看護師さん、薬剤師さんが次ぎ次に訪れて来た。手術時間の説明、血圧・体温測定、既往症の有無確認、既往薬確認、採血等が目的である。病棟での生活面の説明は、「お判りですね」の一言で終了だ。採血時に看護師さんから「綺麗な血液ですね」と言われた。泌尿器病棟の入院患者は高齢男性が圧倒的に多い。これらの患者の採血との比較で発した言葉の様だ。日頃の栄養管理の成果であろう。夕食後、21時に下剤を飲み、以降は病院から提供される、2種類の経口補水液計1リットルを翌朝6時までに出来るだけ飲む事と排尿時間・量の記録が義務づけられた。この間のトイレ行きは6回であったから、熟睡は無理である。翌日、午前中に5時間を要する手術が行われるので、午後1時過ぎの手術と言われていた。睡眠不足を取り戻す時間はありそうだ。

 手術当日の午前中、浣腸、手術着の着替え、血栓予防ソックス履きを行い、術前準備が全て終了した。後は待つだけである。手術室に入ったのは14時少し前であった。手術は電気メス付膀胱内視鏡を尿道から差し込んで行うが、問題は麻酔である。通常、下半身麻酔は泌尿器科医が行うが、前回の麻酔時に麻酔用針が背骨の皮膚下に入らず、最後は麻酔専門の助けをかり事なきを得た。今回の下半身麻酔は麻酔医が行うべく事前手続きを行ったが、どの様な医師が麻酔を担当するのか心配はしていた。手術室に入ると50年配の男性医師から麻酔前の説明を受けた。「本来は下半身麻酔のみで手術するが、今回の手術は神経に接触する可能性がある。その際、下半身麻酔だけだと躰が反応して動いてしまうため、下半身麻酔と全身麻酔を併用する。」と言われた。全身麻酔が解けるのにどの位時間が掛かるのかとの質問に、「手術が終わったら直ぐに解けますよ」答えてくれた。局所麻酔、麻酔針挿入・麻酔薬注入は一切の苦痛なくスムーズに進んだ。この間、僅か15分未満。確認して直ぐに点滴に混ぜられた全身麻酔薬により意識を失った。意識を取り戻したのは1時間後、手術が完了して15分後であった。前回の麻酔時の苦しみから考えると嘘のような結果である。年配の麻酔医は、麻酔部に3人居る教授の一人であった。苦痛なく、スムーズな麻酔は流石であると感心した。手術控え室で覚醒したとき、主治医から「前回の手術で腫瘍の取り残しはありませんでした。今回、多くのサンプルを採取しました。」との説明を受けた。

 病室に搬送され、生理食塩水と抗生剤の点滴が続けられた。尿道に差し込まれた手術器具により尿道先端部に痛みが生じるのは毎度のことである。如何しても我慢が出来ず、看護師に痛み止めの座薬を挿入して貰った。効果が出るまで2時間近くの時間を要する。排尿管のお陰でトイレの心配はなく、座薬効果で痛みが緩和してきたので、この夜は熟睡が出来た。絶食は35時間続いた。 翌朝7時、血圧・検温担当看護師に起こされた。尿パックには赤く染まった尿が溜まっていた。唯、排尿管に溜まっている最新の尿は、血液の赤味が薄れている感じであった。昼頃パック内尿の計量後、パックは空になった。夕方頃、パックを見ると薄い赤色を呈していたが、排尿管内の最新尿は通常色であった。24時間少しで出血が止まったのだ。前回は、完全止血まで3日を要した。今回、出血が少なかったのは、取り残し腫瘍の確認と粘膜サンブルの採取が目的のため、傷口が小さかった事に拠ると思われる。排尿管は膀胱内に尿を溜めないための措置である。傷口に尿を出来るだけ接触させずに自然治癒を促す為と想像している。この病院では、術後3日目の午前中に抜管され、翌日退院の運びとなるが、出血が続いていれば別である。

 手術翌日、ツベルクリン検査が行われた。高校3年を最後とした、昔懐かしい注射である。今回の検査入院の結果如何に関わらず、次のステップはBCGの膀胱内注入治療である。もしツベルクリン陽性で有ればBCG治療は出来なくなる。結果は48時間を待って判断され、注射部の発赤直径が10o以下であれば陰性である。24時間後、発赤は全く見えず、48時間後も同様であった。過去の検査で陽性を呈したことはなく、毎回BCG注射がなされてきた。注射跡が赤く腫れあがり痛みを覚えたことを思い出した。今回大丈夫と思っていても、あれから60年以上の歳月が過ぎている。想定外の出来事は否定できない。結果が陰性であったことは、治療法が狭められることなく、一歩前進したことになった。

 退院前に次回通院日が決まった。3週間後である。この時、病理検査の結果が説明されるだろう。術後、取り残しは無かったと説明は受けても、あくまで肉眼鑑定が出来る大きさの腫瘍との条件付である。如何なる名医でも1o以下の腫瘍の判別は難しいだろう。そのための病理検査だ。結果、腫瘍なしと診断されたとしても、採取したサンプルではと条件付きだが、取りあえず一安心である事は間違いない。如何なる結果になるのだろうか。

 この日、第1回目のBCG治療が始まるはずだ。BCGはウシ型弱毒性結核菌である。BCGを生理食塩水に溶解して、尿道から膀胱内に挿入したカテーテルを通じて膀胱内に注入される。一定時間排尿せず膀胱内に接触させる治療法である。腫瘍が筋層に浸潤していない膀胱ガンに対する標準治療法だ。この治療法が確立しない以前は、膀胱全摘法が多かったと聞いている。この治療法により、2年後の再発率は20〜30%に低下するそうだ。週1回6〜8週間通院治療となるが、何回になるかは次回の通院時にはっきりするだろう。

 BCGは膀胱内の免疫に作用して、ガン細胞を駆逐する治療法である。問題はBCGの副作用だ。副作用一つ目は、頻尿、排尿時の痛みと、血尿等が発生する膀胱刺激症状である。二つ目は、萎縮膀胱で、膀胱が不可逆的に小さくなると激しい頻尿と下腹部痛がおこり、程度が強い場合は、治療の中断もありうるようだ。膀胱刺激症状を我慢して無理に治療を継続したときに起こると言われている。三つ目は、発熱、倦怠感、敗血症、肝障害とアレルギーショック等の副作用である。これらの副作用は個人差が大きいようだ。特に体力や免疫状態が低い場合、要注意と言うことらしい。

 BCGは膀胱粘膜から吸収され全身に回るため、全身症状が起こるのだろう。弱めているとは言え、生きている結核菌だ。加齢の進行による体力低下は避けられなくとも、肝臓での解毒作用を強化することは可能だ。薬物代謝系の肝機能に必要とされる栄養成分の大量摂取だ。免疫力の強化は腸管免疫を高める栄養成分を通常以上に摂取することに尽きる。適度の運動も欠かせない。これからの食生活と栄養物摂取を、根本から見直す必要があろう。

 退院してからの体調は、前回より回復が早いようだ。麻酔科医、泌尿器科医を始め多くの病院スタッフに恵まれた事が大きかった。感謝あるのみだ。次回通院まで暫く時間がある。この間、今まで以上に体力向上に努力する必要がある。BCG治療を行っても再発の可能性はゼロではないが、発生する副作用を克服して、予定の治療を完遂することが完治のための必要条件である。治療には、十分条件は存在しない。今までと同じように、自助努力を出来る限り行った上、後は運命を天に任せるしかない。自分がこの世に存在することがまだ許される事を信じて、今回の検査入院を新たな治療再開の出発点としたい。幸いなことに、前主治医は膀胱ガンの専門医にバトンタッチしてくれた。医者と患者との信頼関係は、病を克服する第一要因である。新年早々、名実共に新たなる出発点となった。

目次に戻る