伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年11月17日:ジムのプールに見る高齢者の哀感 GP生

 ジム通いを始めて、10年以上が経過した。最初は機械ジムで30分程度の筋トレ、その後プールで有酸素運動を兼ねて60分の水中歩行を行っていた。齢を重ねるにつれ、筋トレは5年ほどで終了し、その後はプールで歩くことに終始した。後期高齢期を迎えると歩行時間は次第に短くなり、30分が目標となった。腎盂ガン手術の1ヶ月後、水中歩行を再開したが、歩行時間は僅か15分、現在でも20分で終了している。有酸素運動とはほど遠く、堅くなりがちな身体をほぐす事が主目的になってしまった。この程度の運動なら、気分転換を兼ねてジム通いの継続は可能だ。

 午前中のジムは何処を眺めても中年老年の女性達と、自分を含めた爺様しか眼に入らない。若者は紛れ込んでいる感じである。プールでも同じだ。中高年女性群が8割以上を占めている。昨日のプールでは男性は自分を含めて僅か二人であった。女性達は歩きながらおしゃべりを楽しんでいる。水中歩行が主なのか、おしゃべりが目的なのか判らない。二人のおしゃべり歩きはともかく、三人、四人ともなるとスピードは極端に落ちて、他の歩行者には障害物となる。彼女達にとっておしゃべり命にさえ思える。

 長い間ジム通いをすると、いつの間にか知り合いが増えてくる。同じ顔ぶれで同じ時間帯に毎日顔を合わせる。これが5年10年と続けば、お互い存在することが当たり前に思える様になってくるからだ。そんな時、プールや浴場、脱衣所でのちょっとした事が切掛で言葉を交わし始めるのは、自然の成り行きである。話はジム内の話題から始まり、世間話に発展する。何年たっても、話し相手の名前を知らないことも多い。ジム内の会話に名前は不要である。何かのきっかけで名を知ると、親しさは更に増すことになった。男性の殆どは、元サラリーマンの様だが、話し相手の属性を知る事も不要である。裸同士の付き合いには、過去は関係無く、現在のみが有るからだ。

 プールでは何人もの女性と会話を交わすようになった。女性の多くは小学校の同級生であるKo君の知り合いであった。気さくで飾り気がなく、話し好きなKo君は、おばさんやおばあさん達に人気があった。自分がKo君と特別仲が良いことを知ると、彼女達は安心して自分に話しかけてくれた。当にKo君の人徳の賜である。彼女達の名前は殆どKo君が教えてくれた。朝の挨拶だけで終わる女性は多いが、お互い名前を知るようになると、会話内容にも深みを増す事になる。歩きながら彼女達の悩み事を聞くことも多くなった。

 そのKo君だが、彼の姿がプールで見られなくなってから一年近くが経過した。二年前は脊椎管狭窄症の手術でジムを休んだが、暫くして復帰してくれた。昨年は両膝の変形性膝関節症治療のため、人工関節を入れる手術行い、長いリハビリに耐えて再度復活した。しかし、今年の初めに食道ガンの手術を余儀なくされ、退院後、ジムは無理と判断して退会してしまった。体調が回復した現在、ジムを勧めても手術痕が大きく、裸になる気持ちにはなれ無いようだ。来年の復帰を心から願っている。彼がいないプールは、気の抜けたビールと同じだ。

 ジム仲間でも、脊椎管狭窄症の手術を経験した者は何人もいる。良い医者を求めて、遠く関西の病院に入院した仲間もいた。この手術は傷跡が小さく傍目にはわからない事が多い。手術経験者はみな術前より元気な姿で戻ってきていた。

 80歳半ばで手術したHaさんは、毎日1000bを泳ぐのが日課で、90歳を過ぎても変わらなかった。水泳を始めたのが70代半ばであるから、凄い意欲と身体能力である。その元気なHaさんが姿を見せなくなった。先月、Ko君の自宅にHaさんからジムを退会した旨の電話があった。GP生さんに宜しく伝えて下さいとの伝言もあった。認知気味である80歳後半の奥様を介護するため、共に施設に入ることになったそうだ。Haさんは現役時代、中央官庁の高い地位で仕事をしていたと聞いている。プール内でのHaさんは、昔を語る事は無く、気さくに話しかけてくれた。誰に対しても同じ目線と態度で接し、ソフトな話し方をする人柄は、プール仲間から一目置かれている存在でもあった。90歳を過ぎても、25bプールを休むこと無く20往復するスタミナは、高齢者にとって羨望の的であった。ゆったりとしたHaさんのクロールは、もう見ることは出来ない。

 小学校の一年後輩Hoさんとは浴場で親しくなった。ロッカールームで顔を合わせると、小柄な躰を曲げて挨拶する姿が特徴的であった。Hoさんの機械ジムは10分程であったが、浴場では30分近くを過ごしていたので、短時間の水中歩行を終えて浴場に行くと、必ず顔を合わす事になった。7月末の入院二日前、浴場でHoさんと話したのが最後であった。退院後、体調不良でジムどころではなく、一ヶ月後、復帰して浴場に行ってみると、Hoさんの姿が見えなかった。その時は気にもしなかったが、この状態が毎日続いたので、体調を崩しているものと勝手に想像していた。先月の中頃、所用のためKo君のお宅を訪ねた時、Hoさんの姿が見えないことを話すと、「Hoさんは血液のガンで亡くなった」と聞かされた。晴天の霹靂であった。いつかは判らない。自分がジム休止中の死去であったようだ。機械ジム10分、浴場30分は理由があったのだ。腰の低い挨拶をするHoさんの笑顔は、もう見ることが出来ない。

 70代半ばの女性Urさんと親しくなったのが、いつ頃であったのか、切掛が何であったのかは、記憶が定かではない。Urさんは、歳をとっても美人の範疇に入る魅力溢れる女性であった。水着姿も見事であった。物怖じしない積極的な性格から、話し相手の多くは男性であった。若い頃は言い寄る男性数知れずとは、Urさんの言である。嘘ではないだろう。有名企業の元会長さんが土日に、プールで歩くのを日課としていた。顔を見れば誰でも判る有名人である。誰もが敬遠気味で、話し相手はいないようだった。自分は、挨拶+α程度の会話は交わしていた。物怖じしないUrさんは、元会長さんに積極的に話しかけていた。ある時、Urさんは会長さんから「皆、僕のことをどう思っているのかな」と尋ねられると、「誰も貴方のことを気にしていないわよ。裸になれば皆同じでしょ」と答えたそうだ。当意即妙は、Urさんの魅力の1つである。UrさんはHaさんとも親しい仲でもぁった。今年の春頃からUrさんの姿がプールで見られなくなった。Haさんに聞くと、最近、Urさんの話すことに、不審を感じる事が多くなったと話してくれた。Haさんは、Urさんが認知気味ではないかと疑っていた。暫くして、Urさんが退会したと耳にした。Haさんの疑いは真実であった様だ。また一人、楽しく話が出来るプール仲間が居なくなった。

 長い時間軸でプールを見ると、何時の間にか人が入れ替わっている事が判る。10年前を思い出しても、当時からの人は数えるほどだ。高齢者にとって、ジムに通うこと自体が大変なことだ。ご主人の車で毎日送迎して貰っている高齢の女性は幸せの部類だ。長年の顔見知りが、いつの間にか姿を消すのは淋しいことだ。最近、あの人が見えないけれどと知り合いに聞くと、「亡くなられたのよ」との返答が返って来ることもしばしばである。

 Ko君の縁で親しくなった91歳の女性Kaさんは、週一回しか来られないとぼやいている。「幾つものお稽古事に、時間をとられて忙しいの」とは彼女の弁である。プールでは30分以上ゆっくり歩き、マッサージプールで休んでからまた歩き始める。何時まで歩くのかは判らない。自分は彼女より遙かに早く切り上げてしまうからだ。彼女とは歩きながらよく話をする。姉と話しているような気分だ。自分は聞き役であるが、楽しい時間を過ごさせてもらっている。姿を見せなくなった高齢者の辛く、悲しい話が多い中、Kaさんの存在は一服の清涼剤である。何時までも元気で居て欲しいものだ。

 ジムに通え、プールで歩くことが出来る事は、心身とも大丈夫との証であろう。それでも何時までジム通いが出来るかは判らない。腎臓が1つしかない生活では、無理が出来ない事が次第に判ってきた。残る1つが機能不全になれば、週3回の人工透析しか生きる道はない。亡き父親の辿った道である。勿論、ジム通いどころでは無くなるだろう。プールで歩き、広い浴場で一時を過ごし、親しくなった人達と雑談が出来るジム通いは、高齢者にとって生き甲斐に通じる。仲間達も同じ気持ちであろう。プールでの歩き方は、人それぞれだ。同じ歩き方をする人は一人としていない。高齢者それぞれの生き方そのものかも知れない。何時まで続けられるかは考えず、その時が来るまでジム通いに精を出すことにしている。

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