伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年11月12日:食欲不振の顛末 T.G.

 かって経験したことがない、極度の食欲不振に陥った。風邪を引いたりすると食欲が無くなることがあるが、その程度を越えている。何も食べる気が起きない。空腹のはずなのに空腹感がない。何を口に入れても味がしない。砂を噛んでいるようで、飲み込む気が起きない。普通は咀嚼しているうちに自然と嚥下反応が起きるものだが、そういう状態にならない。無理やり飲み込むが、一口食べただけで満腹になり、それ以上食べる気がしない。酒も飲む気にならない。無理に口に含むとただ苦いだけ。そういう状態が3週間近く続いた。58キロを越えていた体重が55キロを切った。

 切っ掛けは風邪である。9月末に仙台二高の昔の仲間会でSa君等と喜多方温泉に出掛けた。帰宅して三日目に喉の異常を感じた。いつもの喉風邪の初期症状である。その後、仙台で学生時代の道行寮のOB会があり、新幹線で出掛けた。マイクロバスを仕立てて仙台市内を回った。北仙台の道行寮があった場所はマンションが建ち並び、昔の面影はまったくない。その後、川内、青葉山、片平丁、瑞鳳寺を廻って、裁判所裏の広瀬川に面した料亭で会食をする。久し振りのコンパで気分良く酔っ払った医学部のドクターNaをタクシーに押し込んで、最終の新幹線に飛び乗り、帰宅した。風邪気味ながらここまでは酒もうまく、快適な1日だった。

 帰宅後、風邪の症状が進み始めた。咳が出始め、鼻水が止まらなくなる。熱はなく、食欲もあり、酒もほどほどに飲めた。そのうち食欲がなくなり、体もきつくなった。翌週に恒例の伝蔵荘の秋の例会があり、いつものようにSa君が車で迎えに来る。見るなり、顔色も悪く辛そうだ。風邪をうつされたくないから無理するなという。伝蔵荘で酒も飲めないのでは行く気にならず、言われたとおりにドタキャンする。病気で例会不参加は、40年前に伝蔵荘が出来て以来、初めてのことだ。

 その後10日間ぐらい風邪の症状が続いた。そうこうしているうちに鼻水も止まり、食欲も戻りかけたが、なぜか咳だけがいつまでたっても止まらない。軽い気持ちでかかりつけの内科医院に行くと、咳止めと痰切り薬のほか、気管支の炎症を止めるクラリスロマイシン錠と言う抗生剤を処方された。気にもとめずそれを飲んだら、翌朝には咳が止まっていた。後で考えたらこれが悪かった。しばらくしてさらにひどい食欲不振が起き始めた。その症状は前述の通りである。

 食欲がないと気分も落ち込む。毎日が楽しくない。朝起きると、何をどう食べたら最低限必要なカロリーをとれるのか、それしか関心が向かない。ちょっとでも食欲の湧きそうなものを思いついたら、栄養バランスなどそっちのけで食べに出掛けた。当然外食が多くなる。なぜかマグロの刺身とラーメンだけ食欲が湧いた。それを少しだけ掻き込んで食事代わりにした。足りない栄養はGP生君直伝の栄養ドリンクで補い、タンパク質補給に朝晩温泉卵を食べた。何もする気が起きず、不快で鬱々たる日々が続いた。

 月末の木金土の三日間に悪いことが重なった。木曜日に以前治療した歯根膿瘍が再発した。行きつけの歯科医に見てもらうと、もうこれは完治しない。気長に治療を続けるしかない。駄目なら抜くしかないという。落胆して帰宅した。
 その翌日の金曜日、以前から予約してあった市民病院の眼科の診療を受ける。2ヶ月ぐらい前から目のカスミを覚えていて予約していた。眼圧が高く、急性の緑内障だという。網膜欠損が進んでいない初期の症状だという。視力そのものは両目とも1.2ある。目だけは自信があったので、気落ちして帰宅した。処方された点眼薬は今も使い続けている。原因から一生続けることになるだろう。

 さらに極めつきの悪いことが重なる。日曜日から会社同期の友人達と伝蔵荘で泊まりがけのゴルフをする予定があった。それまでに食欲不振をなんとかしたいと、前日の土曜日にかかりつけ医院へ行く。いつもの若先生ではなく、手が空いていた父親の名誉院長の診察を受ける。ろくな問診もせず、どこか内臓に問題があるのだろうと採血をされ、胃カメラとエコー検査の予約を強引に入れさせられる。血液検査には消化器系の腫瘍マーカも含まれている。明らかに長引く食欲不振の原因に癌を疑っているのだ。癌の疑いを言われて気落ちしない人はいない。暗然たる気分で帰宅した。食欲不振はますますひどくなる。ほとんど食べ物が喉を通らない。まさに欝の発症原因の三連発である。

 思いあまって会社同期のOb君に電話する。事情を話すと、君がやめたいというなら中止はやぶさかでないが、家に引っ込んでいても食欲が出るわけではなかろう。気分転換に出掛けてみたらどうか。そうしたら気分が晴れて食欲が改善するかも知れない。明日の朝、Ar君が車で迎えに行くから、とりあえずそれに乗ってこいと言う。伝蔵荘に着いても調子が戻らないようなら、そのまま帰宅しても構わないと言う。そう言われてとりあえず行く気になった。

 伝蔵荘に着いても食欲は起きない。翌朝ゴルフ場で朝食を取るが、ご飯を三口ぐらい食べたらそれでお終い。ほとんど何も食べない状態でコースに出たが、18ホールはそこそこ廻れた。体がきついと言うこともない。半年クラブも握らなかったが、ドライバーもそこそこ飛んだ。お陰で気分も少し晴れた。それでも食欲だけは戻らない。暖炉脇で食事しながら皆がいろいろ元気づけてくれたが、食欲不振のまま帰途に着いた。帰り道、Ar君と甘楽SAで朝食を取る。ラーメンが美味しそうだったので、朝っぱらからそれを注文する。久し振りに完食できた。少し食欲が戻ったらしい。

 帰宅してさっそく血液検査の結果を聞きに行く。前に診察を受けた年寄り名誉院長が不在で、息子の若先生院長から説明を受ける。血液検査結果も腫瘍マーカの数値もすこぶる良好で、消化器系に何ら問題はないという。予約してあった胃カメラもエコー検査も必要なしという。口ぶりから、父親の名誉院長の意図的誤診に辟易している様子も窺える。この医院は息子が引き継いでから胃カメラ検査が売りの胃腸内科で、オヤジの名誉院長は設備投資の償却のために,検査で金を取れる患者をせっせと呼び込んでいるのだろう。検査結果をOb君ら同期の友人達にメール連絡したら、良かったと皆が喜んでくれた。持つべきものは友人である。

 最も気懸かりだった腫瘍マーカーの数値に何ら問題がない。癌の疑いが晴れた。それだけで欝の気持ちがいっぺんに吹っ飛んだ。人間はつくづく気分の動物だ。そうなると食欲も少しずつ戻ってくる。急に牡蠣フライが食べたくなった。牡蠣フライは得意料理の一つである。我ながらとても上手に出来た。久し振りにワインも飲む。実に美味しい。こういう晩酌付きの食事はほぼ4週間ぶりのことだ。

 GP生君には、以前から食欲不振の原因は抗生剤クラリスロマイシンの副作用だと言われていた。癌で急に食欲がなくなるわけがないとも言われていた。どうやら図星だったようだ。副作用のことを若先生に聞いたら、即座にあり得ることと認めた。医者は処方する薬の副作用は口にしたがらないものだ。最初に老先生に同じことを尋ねた時は、副作用は1週間も続かない。原因はほかにあると言われ、強引に胃カメラ検査の予約を取られた。小生と同じ80歳近い年代の老医者で、医療知識も古いのだろう。

 ネットでクラリスロマイシンを調べると、いくつかの副作用の中に食欲不振がある。この抗生剤はピロリ菌除去にも使われるという。昨年胃カメラを飲んでピロリ菌除去をやった羽鳥湖のSa君にそのときの様子を聞いたら、7日間飲み続けたが食欲不振にはならなかったという。副作用は個人差が大きいのだろう。それやこれやでほぼ一ヶ月ぶりに食欲が戻った。そうなると毎日の夕食の献立が楽しみになる。酒も美味くなる。不安が消えたので、夜もぐっすり寝られるようになった。快食、快眠、快便が健康の証しであることを、身に滲みて理解した。滅多なことで抗生剤など飲むものではないことも分かった。

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