伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年11月9日:賃貸マンション・出会いと別れ  GP生

 スタートが亡き父親の手伝いに過ぎなかった賃貸マンション管理は、いつの間にか30年が経過していた。この間、多くの人達が入居し、退室していった。入居者は20代から40代の独身者や結婚を前提とした同棲者が多く、子供連れは極めて稀であった。カップルが入居中、女性の妊娠が判ると、皆、退室していった。エレベーター無しのマンションでは、階段の上り下りに危険を感じるからだ。10月末、6年間生活してきた四人家族が退室した。子供は二人、小学3年生と来春小学校入学予定の共に女の子であった。

 契約者の父親は、少年期を当地で過ごし、自分が通学した小学校を卒業していた。二人の子供達をこの小学校に入学させるために、自分のマンションを選択してくれた様だ。住まいと小学校は、目と鼻の先、徒歩2分の好条件にあるからだ。長女は幼稚園入園直前、次女は一歳にも満たない幼さであった。彼女達は成長するにつれ、エントランスや自転車置き場で出会う度に、自分と挨拶を交わすようになった。二人とも明るく活発な女の子であった。男の子しか経験のない自分にとって、女の子二人の家族はうらやましい存在でもあった。子供が成長するにつれ、2DKの間取りでは、生活が次第に窮屈になっていったようだ。昔は狭い部屋での大人数の生活は何処にでもあったものだが、今は居住空間にゆとりが求められる時代だ。今回の退室は、止むにやまれぬ決断であったのだろう。

 賃貸マンションでは解約時に「立合」と呼ばれる手続きがある。引越完了後、家主と借主が賃貸部屋で、入居前と入居後の違いを確認し、契約書に基づく過失が入居者にあれば、復旧費用の負担を確認する作業である。通常、入居者責任の復旧費用は、保証金たる敷金から差し引かれることになる。以前は強欲な家主が、不動産屋と結託して法外な修復金を要求する事案が多く発生した。敷金では賄いきれず、さらなる出費を強要されたのだ。これが社会問題となり、東京都は、入居者による費用負担を伴う過失を具体的に定め、通常生活による汚損・破損は入居者に責任が及ばない旨の条例を制定した。平成16年10月1日の施行である。これ以降、解約時に、敷金の殆どが払い戻される事が多くなった。

 10月末、4人家族が暮らした部屋で立合を行った。クッションフロア床、クロス壁は汚れが見られず、子供が破いて穴だらけになっていたはずの襖も、張り替えられていた。ガスコンロに生活の跡が残るのみであった。家主としては、綺麗に使用された部屋を見ることは感激である。この家族は遙か西の郊外に一軒家を購入したとのことであった。立つ鳥跡を濁さずではないが、見事な退室であった。良き出会いと別れでもあった。

 入居者の第一次選択は不動産業者の仕事である。入居申込者の性別、経歴、職業、同居者の有無、人数、連帯保証人の属性、入居時期等が記載された申込書が不動産業者から送られてきて、家主は入居の可否を判断することになる。運転免許証、パスポートなど、申込者の顔写真が確認できるコピーが添付されてくるのが最近の傾向だ。家主が了解すれば、契約手続きを経て入室となる。

 自分は引越作業が終わった事を見定めて、新入居者の元に挨拶に行く事を恒例にしている。書面だけでは判断できない入居者の人柄を知る事が大切だからだ。入居者にしても、家主がどんな人間であるのかは関心があるはずだ。東京に賃貸物件が少なかった時代、契約が終わると入居者は手土産を持って挨拶に来たものだ。賃貸物件の選り好みが出来る現在、家主は、手土産こそ持たなくとも、「入居有難うございました」と逆に挨拶に出向く時代だ。家主にとって、この時が入居者との最初の出会いとなる。自分は挨拶の後、入居後の必要事項だけで無く、雑談を交わすよう心がけている。入居者の人柄を知り、良好な人間関係を築くことは、賃貸マンション管理の基本であるからだ。

 入居前に部屋を内見して契約をしても、家財道具を運び込み、生活者の視点で眺めると、不備なことや改善を要することが出て来るものだ。家主は良としても、入居者の視点は別である。転居ずれした入居者は、「困った事があったら遠慮無く言って下さい」との誘い文句に乗って、幾つもの改善要求をすることもある。最大7件要求の例もあった。要望事項はその場で具体的に対処することが肝要だ。自分で出来る案件は当日中に対処し、しからざる場合は、その場で工事業者に電話して入居者の都合に合わせて工事日程を決定している。その場での処理することで、以降、特別の場合を除いて苦情や注文は出ることは少なくなる。入居者も家主を見定めようとしているからだ。最初の出会いは、自分にとって真剣勝負の立合と理解している。賃貸マンションにとって、入居者との信頼関係の構築は長く居住して貰う要諦であると考えるからだ。

 最近、メイン道路に面して立つ一番古いマンションで出会いと別れを2ヶ月未満で経験した。入居者は若い独身女性である。彼女は昼間、不動産業者の案内で内見して入居を申し込んだ。部屋はベランダが道路に面していて、寝室に利用する和室から出入りする構造であった。入居して1ヶ月が過ぎた頃、退室したいと不動産業者に申して出てきた。夜寝ていると車の音が耳について眠れない事が理由であった。昼間は気にならない車の走行音が、就寝中は我慢が出来ない様であった。立合を行ったが、部屋に問題が生ずるはずも無く、円満な退室となった。30年間で初めて経験する短期間の出会いと別れであった。

 最長の別れは最短記録を作った真上の部屋で生じた。この建物の新築時に契約した夫婦が、幼い男の子を連れて入居したのは46年前であった。入居後次男が誕生した。2Kの部屋で親子4人が生活し、子供達はそれぞれ巣立っていった。自分が管理を始める16年も前の入居であった。入居時は知らぬが、退室後の立合は当然自分の仕事である。内部の造作は46年前そのままであった。畳は歳月により芯はフニャフニャ、畳表は全面すれ切れていた。壁は昔の漆喰でボロボロ、襖は変色して元の柄は判らなかった。至る所破損の後があった。男の子二人が少年期を過ごしたのだから当然である。立合で入居者の責任は一切問わなかった。いや、問えなかったと言うべきだろう。46年間、家主が負担するリホームは全くなく、この間家賃収入が途絶えること無く続いたのだから。退出の理由は、入居者夫婦が高齢化して、階段の上り下りが困難になったことだ。当人達は慣れた部屋に住み続けたい意向ではあっても、身体が耐えられなくなっていたのだ。同年配の家主とって、身につまされる別れであった。

 自分が居住するマンション2階の或る部屋は、何故か短期の居住者が続いている。10年前、50代の女性が80代後半の母親と一緒に住み始めた。母親は北海道夕張の出身で、気さくな人柄であった。エントランスで会うと長い立ち話となったものだ。娘さんの不在時困った事が起きると、自分にSOSの電話がよく入った。蛍光管の交換、テレビの調整、トイレや水回りのトラブル等だ。その都度出かけて対処し、お茶をご馳走になりながら雑談に供する事もあった。季節になると夕張メロンを持ってきてくれた。その内、この母親の姿が見えなくなった。心配をしていると、母親が亡くなったので退室したいと娘さんが申し入れてきた。もしやと思っていたことが起こってしまったのだ。娘さんは自分が所有する他の2Kのマンションに転居していった。高齢者とはいえ、親しくしていた入居者との別れがこの世との別れになるとは。

 次に入居したのは年配の夫婦で、他所に自宅はあるが、仕事のための一時住まいとしての入居であった。高齢のダックス犬を連れて来ていた。傍目にも老犬に見えるので、年を聞くと16歳であった。眼は白濁して失明寸前、後ろ足は立たず室内では匍う状態であるそうだ。ご夫婦ともダックス犬に対する思い入れは大変なもので、ご主人は犬を抱いてよく散歩をしていた。自分も高齢のダックス犬を飼っている。飼い主の犬に対する思いはよく理解できた。ご主人と会うと犬の話に終始した。翌年このダックス犬が17歳になった時、息を引き取った。ご夫婦は悲しみ、郊外の専用施設で葬儀を行った。聞いてみるとビックリするほどの費用であった。短期契約であったので、暫くして解約となった。犬との別れが入居者との別れに繋がった感もする。この部屋には現在単身赴任の年配者が生活している。短期契約では無いので暫くは入居してくれるだろう。

 最近嬉しい経験をした。同棲で入居した男女が籍を入れ、結婚したのだ。そして今年男の子が生まれた。マンション管理30年、子連れ家族は入居したことは有っても、子供が誕生したのは初めての経験であった。早速家人と相談してお祝いの品を贈った。子供は日増しに大きくなり、エントランスやエレベーターで出会うと笑顔を見せるようになった。心温まる出会いであった。

 賃貸マンションには住居だけで無く、店舗や事務所用物件が何軒かある。自分の管理物件での商売が繁盛してくれるのは、家主にとって大きな喜びである。賃貸条件は、事業を応援する意味もあり、近隣の物件に比べてもリーズナブルに設定している。昨年の今頃の事だ。旧いマンションの一階に在った事務所が転居した。15年の長きに亘り契約が続いたが、扱う商品が時代の流れに合わなくなっての閉所であった。家賃の滞納は長きに亘って続き、現在も進行中である。残念な退室、そして別れであった。

 この部屋に福祉関係の仕事をする事務所が入居したい旨の申込みがあった。契約書等の関連書類を渡したが、契約が成立しないうちに何人かの社員が事務所用品を運び込み始めた。何事かと聞くと、役所の認可をとるため事務所の体裁を整え、写真を撮る為だという。契約書が交わされ、決められた入居日以降、初めて入居者に物件使用の権利が生ずる。契約違反行為である。責任者に聞くと、社長の指示だという。調べて見ると、相当のワンマン社長だ。担当者の役職は名前だけ、権限が委譲されていないことも判った。直ちに物品の撤去を命じ、不動産業者には契約行為の中止を依頼した。このような相手に貸すと、以後トラブル発生は必須だからだ。出会いと別れ以前の問題である。

 現在この部屋では30代半ばの施術師が整骨院を営んでいる。入居するか否か考えている内に先の問題会社に決められてガッカリしたが、念のため来てみると空き室になっていた。喜んで即入居を申し込んだそうだ。苦労の末、念願叶って自分の店を持った施術師の喜びは半端ではなかった。リホームは終わっていたが、彼は自分のイメージ通りの店にすべく、次ぎ次に改装計画を持ち込んできた。家主が金をかけた内装を改修する工事でもあった。何回か話をしている内に、彼の熱意が本物であることが判ってきた。彼の熱意に押され、店先の天幕を寄贈した。あれから1年近くが経過した。整骨院は何時覗いても繁盛している様子であった。手が足りなくて、最近若い施術師を雇い入れた。事務職も有能な年配女性が頑張っている。この町には整骨院が溢れ、競争の激しい業界である。事業は人なりである。応援者として、彼が今の繁栄に慢心すること無く、精進してくれることを願っている。恐らく自分が健在の間に、彼との別れを経験することしないだろう。

 賃貸マンションの管理が続く限り、出会いと別れは続くことになろう。同時に面倒の種も絶えることは無いはずだ。マンション管理は我が為だけで無く、入居者の為でもあるのだ。この世で縁が有ったからこそ入居者との出会いがあり、家主の預かり知らぬ理由で別れが生ずる。動き続け止まることが無いのがこの世での営みであるならば、マンション管理に真摯に取り組むことは家主に与えられた使命であると感じている昨今である。

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