伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2018年9月21日:ある整体師の復活 GP生

 自分が住む街では、整体・鍼灸・整骨院が花盛りである。自分の家から徒歩5分圏内に10院以上が営業しているのだ。3院が20b以内に連なっている所すら在る。どの治療院も長く営業を続けているのだから、患者が途絶えていないのだろう。自分のマンションでも、昨年、整骨院が開院した。院長は30代半ばの若さで、隣町の大型店で修行し、そこの患者を連れての開院であった。院長と開院前に部屋の改装について色々話をしたが、極めて前向き且つ積極的な人柄は好感が持てた。マッサージと整体をミックスしたソフトタッチの施術で、高齢者の女性患者が多いようだ。一人では患者をさばききれず、最近、整体師を雇い入れた。テナントさんの盛況は大家として喜びである。

 何故、鍼灸・整骨院が流行るのだろうか。自分の街に整形外科病院が極めて少ない事情もあるかも知れないが、それでだけの理由ではないように思える。整形外科病院の患者は高齢者が多い。高齢者にとって肩腰膝等の疾患は、病名を付けられない事も多く、電気による温熱や湿布薬程度の治療しか行われない。電気治療とてせいぜい10分から15分程度だ。整体師を置いている整形外科も有ると聞くが、我が街では聞いたことが無い。高齢者の身体の痛みは、原因が不明なことが多く、歳だからと片づけられる事もある。鍼灸・整骨院が盛況なのは、鍼、灸、マッサージ、整体等の施術により、高齢者が痛みから解放される可能性は高いと思われているからだろう。

 接骨院の殆どは柔道整復師の看板を掲げている。この資格を得るには、専門の養成施設で3年以上の修学又は4年制大学で医学関係の基礎科目と柔道整復理論やリハビリテーション学など臨床系専門科目等を履修し、国家試験に合格することが必要とのことだ。かなり難易度の高い資格である。資格を有する治療院では、健康保険はもとより労災保険や自賠責保険が適用されるが、慢性的肩こりや内科的疾患に起因する腰痛などの施術は保険適用外になるため、高齢者の疾患は健康保険が適用されないことが多い。治療院での保険外治療は、10分間1,000円程度が相場である。施術師の技能レベルは、個人差が極めて大きいので、治療院選択の見極めが難しいのが通常だ。

 自分や家人が、初めて整体師の世話になったのは、20年以上以前に遡る。当時、大久保に在った歯科医院では、腰痛や肩こりは、歯のかみ合わせにあるとの理論で歯の治療を行い、光線治療室や整体室を併設して身体全体の治療を行っていた。ここの整体室で治療に当たっていた整体師がNaさんであった。自分が腰痛で通院したとき、ベテランとして紹介された整体師に治療をして貰ったことがある。終了して立ち上がろうとしたが、腰が抜けた状態で崩れ落ちてしまった。筋肉を緩めすぎた上、痛みが解消されていなかったからだ。次の機会にNaさんに治療して貰った所、力を入れないソフトな整体は心地よく、施術後、痛みは完全に消えていた。家人も何回かNaさんの施術により痛みから解放された。当時から、Naさんの整体は柔道整復師の施術とは異なっていた。

 そのNaさんが1年後独立し、Ma整体院として隣の区に開院した。Naさんは、所謂柔道整復師の資格は持っていない。若い時から色々な仕事をしていたが、生涯の職業として整体師に辿り着いたと話していた。施術法は全くの独学であるとのことだ。当然、保険はきかない。開業時は大久保時代の患者が殆どで、後は口コミで患者が増えていった。独立してからの整体術は、大久保時代より更に磨きが掛かったように思えた。整体というと、所謂ボキボキと躰の部分を動かす施術を想像するが、Naさんの整体は、腰痛でも患部の腰そのものに触れることは極めて少ない。腰の張り具合を確かめるために軽く触る程度である。柔道整復師が腰痛を治療する場合、患部の腰に各方向から力を加え、腰の張りや凝りをほごそうとするのが通常だ。Naさんは、首と両手、両足に手を添えて軽く動かすだけだ。治療中、「痛いでしょう」と言いながら、身体の別の部分を押すことがある。確かに痛いのだが、脚の何カ所かを軽く抑えると痛みが消えていくのが判った。治療は、全てこんな調子で進められた。患者とすれば、唯あちこちを触られている内に、痛みが消えてしまった感じであった。人体の不思議を思う気分であった。

 Naさんは、患者の躰に触れたまま目をつむって何もしないことがある。何も言わぬが、気を注入しているようにしか思えなかった。暫くすると躰全体がほてるような暖かさを感じてくるから不思議だ。家人の治療時に、自分の右手で家人の右手を握り、目をつむるように言われた。Naさんは右手で自分の左手を軽く握り、暫くして、家人に如何ですかと尋ねた。家人は凄く暖かいと答えた。Naさんによれば、二人分のエネルギーを送り込んだとのことだ。ある時、Naさんは、エネルギーを測定する機器で、自分のエネルギーを測ってくれた事がある。単位は忘れたが針は70台を指していた。家人のそれは10未満であり、Naさんは何と120であった。自分が60代後半の頃であった。Naさんによれば、年の割に高い値だと感心されたことを覚えている。それでもNaさんの値には遠く及ばない。Naさんは、整体術以前に凄いエネルギーを患者に与えているのだろうと想像した。

 話をしていたら、Naさんは若い時から血圧が高く、本態性高血圧症の体質である事を知った。施術のため躰を触る手はポカポカと暖かかったことや、あの凄いエネルギーは高血圧と関係があるのではと想像した。本態性高血圧は遺伝因子により発症する為、食生活を含む生活環境によりコントロールするしか対処出来ない。通常、血圧が170.180を超えると頭がクラクラしてきて、立っているのが苦しくなるものだが、Naさんは全く正常感覚だという。若い時はともかく、高齢になれば血管の弾力性が衰えてくるから、高い血圧により、脳内毛細血管部で出血する恐れが生じる。自分の祖父は60代で脳溢血により昭和21年に死去した。戦中戦後の食糧難による栄養不足が原因であろう。翌22年、祖母も同病で死去した。

 5月の中旬のことだ。用事があり家人と車で遠出した帰り際、Ma整体院の近くを走っていたので、久しぶりに治療して貰おうと整体院を訪ねた。所が、Naさんは昨日家で倒れ、救急搬送されたと聞かされた。脳内出血のため、救急搬送時、意識は全く無く、出血部位も程度も全く不明であったそうだ。あの高い血圧では、何時かはと心配していた事が現実となってしまった。70歳に手が届く寸前であった。2ヶ月近く過ぎてから電話してみると、「ただ今、休院中です―――」の留守電メッセージが空しく響くだけであった。あの独特の整体術はもう無理であろうと諦めるしかなかった。考えてみれば長い付き合いであった。昨年夏、家人が30年近くお世話になった鍼灸師が体調不良で廃業したばかりで、家人の身体を治療できる治療師がまた一人いなくなった。整骨院や整体院が数多くあっても、真の施術師は極めて少ないものだ。

 9月初めの事だ。突然、Naさんから残暑お見舞いの葉書を貰った。そこには、9月1日をもってMa整体院を再開しましたと書かれていた。完全に諦めていただけに、晴天の霹靂であった。患者を治療できる所まで回復したとは驚きであった。自分は、退院して以来、朝起きたとき腰が重いことが気になっていた。時々痛みが出ることもあった。8月末からジムの水中歩行で躰の柔軟化を試みたが、腰の痛みは完全には解消出来なかった。Naさんから手紙を貰ったのはそんな時であった。一週間ほどして、思いきって朝一番に電話をしてみた所、懐かしいNaさんの声が受話器に響いてきた。少し弱々しい声が気にはなったが。

 午前中の予約をして、Ma整体院に車を走らせた。そこには精悍で眼光鋭い以前のNaさんとは全く異なる穏やかな顔付きの老人が立っていた。話を聞くと3ヶ月程入院し治療を受け、その内2週間近くはICUに入っていたそうだ。出血部位は脳の中心部で手術は不可であった。入院してしばらくの間、記憶は無く、意識が戻っても喋れなかった様だ。そのNaさんが復活して整体師として働き始めたのだ。人の生命力の強靱さに目を見張る思いである。言葉は、少し呂律が回らず弱々しい感もあるが、理路整然とした会話は以前と変わらなかった。

 自分の入院手術の経緯を話し、腰痛の状態を説明して治療に入った。Naさんの整体術は以前よりよりソフトになっていた。それでいて柔らかな手技の一つ一つの積み重ねで患部の痛みが和らいでいくのが感じられるのだ。Naさんは、入院中考える時間があるので施術の方法を研究したと言っていた。頭、両手、両足を触り少し動かすだけの60分で、自分の腰痛はすっかり解消していた。以前より、更に進化した整体術を経験した。「疲れませんか」と聞くと「力を入れていませんから」と返ってきた。

 家人はここ数ヶ月、身体の痛みと不調に悩まされていた。自分の体験を話すと早速予約の電話を入れ、その日の午後に治療を受けた。60分の治療後、長年の苦痛から解放された家人の姿がそこにあった。家人はそれまで、何軒かの鍼灸・整骨院で治療を受けてきた。治療後、少しは楽になっても、翌日は元に戻ることが多かった。Naさんの整体は、そんな家人の悩みを60分で解消したのだ。右顔面の痛みも消えていた。Naさんの言の通り、整体術は間違い無く進化していた。

 Naさんの完全復活は我が家にとってだけで無く、治療再開を待ち望んでいた多くの患者にとって朗報である。あれだけの脳内出血を経験したにもかかわらず、多少言葉は甘くとも、肝心の整体術は衰えるどころか、更にパワーアップしていたのだ。聞くところによれば、入院中、同室の患者に整体を施し治療したとの事だ。この治療意欲に、目には見えない力が応えてくれたのかも知れない。退院して、Naさんは、私物が全部整理されていた事を知ったそうだ。家族ですら諦めていたからだろう。Naさんの完全復活は、人は何歳になっても目的を持って生きることが、如何に大事であるかを教えてくれた。高齢者は斯く在りたいとの思いである。

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