伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年9月3日:1ヶ月ぶりの伝蔵荘日誌 T.G.

 GP生君から電話をもらった。元気そうである。お互いしばらく日誌を書いていないではないかと言う。言われてみれば1ヶ月近く何も書いていない。丸ひと月書かなかったのは、2005年に伝蔵荘日誌を書き始めて以来、初めてのことだ。GP生君の日誌は自身の身の回りの出来事がテーマだが、小生のはGP生君に言わせると時事ネタがほとんどである。この一ヶ月、日誌に書く意欲が起きるような時事ネタがなかったと言い訳すると、いろいろ事件や出来事があったのに、老化で好奇心が低下しただけではないかと言われた。 さもありなん。要反省!

 つらつら思い出してみると、日大アメフト部、ボクシング連盟のスキャンダル、最近では体操協会のスキャンダルなどなどがテレビのワイドショーを賑わせた。凄腕ボランティアの二歳児救出劇、自民党総裁選も話題になった。どれも立派な時事ネタではある。テレビではさんざん大騒ぎしたが、どうにも書く気が起きなかった。どうでもいい話ばかりに思えて執筆意欲が湧かなかった。意欲が湧かないのは暑さや時事ネタのせいではなく、GP生君が言うところの老化が原因に違いない。以前ならこれらのネタで日誌が軽く五つ六つ書けた。そう思って老化防止のために先月の時事ネタを日誌に書いてみる。

 まずはアメフト、ボクシング、体操スキャンダルである。しばらく前の女子レスリングもおなじだが、どれも年寄りのヤクザまがいの黒幕連中が、寄ってたかって若者のスポーツを食い物にしている。それが物事の本質であり、構図である。どの団体にも文科省からしこたま補助金が注ぎ込まれている。会長、理事、本部長と言った年寄りの黒幕連中はそれで飯を食っている。おそらく平均的サラリーマンの何倍もの高給をもらっているに違いない。それに加えて定年がない。だから70歳を越えた古狸の天国である。ボクシング連盟の78歳の山根某に至っては終身会長だという。民主主義国の公共団体にはあるまじき運営である。ヤクザの組長だって定年はある。彼らは補助金の配分権限を駆使して好きなように悪さが出来る。体操協会の71歳の女山根は、孫のような18歳の小娘を「言うことを聞かないとオリンピックに出さない」と恫喝した。こういう底意地の悪い頑迷固陋な年寄り達が、寄ってたかって若者とスポーツを食い物にしている。世も末である。補助金など止めたらいい。

 お上がばらまく大金に頭の黒いネズミが群がるのは世の常だが、彼ら以上に悪いのは大金を注ぎ込んで見て見ぬふりをしている文科省である。役人どもは頭の黒い年寄りネズミとつるんでいるに違いない。そのことは日本医科大学の入試スキャンダル見ればよく分かる。大方の文科省の役人どもは、補助金の見返りに黒幕達からうまい汁を吸わせてもらっている。まるで越後屋と悪代官である。ほかのスポーツ団体も似たり寄ったりなのだろう。こういう悪しき構図を断ち切らない限り、問題は解決しない。これではオリンピックどころではない。オリンピック協会は年寄りの頭の黒いネズミの総本山に違いない。それにしても文科省はつくづく役立たずの有害無益な官庁である。今すぐ廃止してもなにも困らない。困るのは群がっている黒幕連中だけだ。

 今月20日の自民党総裁選である。事実上の総理大臣選挙である。立候補者は安倍と石破しかいない。二人の一騎打ちだが、趨勢は安倍のぶっちぎりだという。面白くもおかしくもないので、テレビはワイドショーネタに使わない。新聞がたまに書くくらいだが、今頃の若い人は新聞を読まないし、テレビも見ない。だから世の中の話題にならない。総裁選などどうでもいいことと思っている。総理大臣選挙がこれでは世も末である。

 その石破である。彼の言い分を聞いていると、「正直、公正」一点張りでこの国をどうやって運営していくかまったく見えてこない。これでは総理大臣にしようがない。総理大臣は小学校の学級委員長ではない。正直、公正ではやっていけない。少なくとも外交、安全保障、金融、経済に確固たる方針や考えが必要だが、それが皆無である。少なくとも彼の口からは聞こえてこない。安倍がやることは何でも反対で、アベノミクスもトランプとの仲良しも、慰安婦合意も加計森友も、何にでもケチをつける。万年野党の枝野ではあるまいし、反対を言うなら対案を示す必要がある。加計森友のガセネタに乗せられているので、朝日、NHK、文藝春秋のお気に入りで、ペット扱いされている。総裁選にこんな低次元候補しか出てこない自民党にも問題がある。昔の総裁選には三角大福中などと言った凄腕の海千山千が群がったものだ。

 数百人の警察、消防隊が三日三晩かけて捜索しても見つからなかった迷子の二歳児を、大分の78歳のボランティア尾畠さんがわずか20分で発見したニュースには驚いた。 各地の災害現場で活躍している凄腕ボランティアだと言うが、これでは警察消防の面目丸つぶれである。テレビで見ていると、警察消防は草むらや川底を棒でかき分けて探していたが、明らかに遺体捜索である。尾畠さんは声をかけながら探したという。迷子の男の子が生きていることを前提にしている。この違いは大きい。お役目で指示どおりの探し方をする警察消防と、子供に愛情を持って探すボランティアとの違いである。尾畠さんの見返りは受け取らないというボランティア主義も話題になったが、これでさぞボランティアのハードルが高くなったことだろう。ボランティアが集まらない東京オリンピック委員会は困るだろう。

 こんなところがこの8月の時事ネタ日誌である。

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