伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年8月9日:左腎臓の摘出手術を終えて    GP生

 左腎臓の中心部にある腎盂に生じたガンの治療法は、患部腎臓全てを摘出するのが最善であった。事前検査で尿管や膀胱に転移がない事は判っており、手術により完治する可能性が高い事は説明されていた。事に臨んで不安は一切無かった。そしてその日を迎えた。手術前日に入院して、前段階の準備を行う事から始まった。

 入院当日は問診から始まった。看護士からは病歴やアレルギー、手術経験等の有無を聞かれた。次いで、薬剤師より常用薬の詳細な質問を受けた。幸いな事にこの歳になって生活習慣病系の薬物には一切お世話になっていない。その旨答えると珍しいですねと言われた。午後には麻酔担当医師が来て、小冊誌「麻酔説明書」を基に、麻酔方法の説明を受けた。今回は長時間に亘る全身麻酔である。身体臓器の機能に影響が生じるし、術後の副作用も懸念された。説明を受けて、全身麻酔が人体に危険を及ぼす行為である事は認識できた。30分以上の質疑応答を通じて担当麻酔医の経験や能力の一端を知る事ができ、信頼出来る医師であると感じた。最後に麻酔同意書にサインをして終えた。

 術前の食事は入院日の昼食で最後となり、21時以降、指定物以外の飲食は厳禁となった。食後、腸の煽動運動を高める薬剤を処方され、21時に下剤を服用した。同時に合計1リットルの補給液を翌朝6時までに全て飲むよう指示された。以降、下剤と補給液効果により、翌朝8時頃まで一時間毎のトイレ行きが続き、安眠とはほど遠い一夜であった。

 手術当日は朝7時の浣腸から始まった。夜間あれだけのトイレ行きにもかかわらず、かなりの排便が生じた。これで全て出尽くしたはずだ。残っていると厄介なことになる。8時に手術着に着替え、両足には血栓防止ストッキングを着装して準備全てが完了した。8時30分、徒歩で手術室に到着した。氏名、生年月日確認の後、手術台に身を横たえた。看護士達が心電計、血圧計、血中酸素濃度計の設置に忙しい。看護士に今の血圧値を聞いたところ平常値であった。術前の自律神経が安定しているのを感じ安堵した。麻酔医が左手首に静脈内留置針を取り付け固定した。複数の点滴薬を同時に注入する為の措置である。脊椎に全身麻酔導入のための麻酔薬が注入された。一時的な麻酔薬で、全身麻酔導入に伴う身体上の苦痛を意識させないためと説明を受けた。麻酔医師が硬膜外麻酔薬を注入するチューブの脊椎挿入を試みたが、狭くて入らず、無理をすれば脊椎損傷に繋がるとして諦めたと聞かされた。この遣り取りを最後に意識を失った。以下の記述は、術前の説明と腹部に残る施術痕、退院時の診療明細書に書かれた注射、点滴等の薬物の効能から、推測を交えたものである。

 全てが終えて病棟に戻された時は18時半を過ぎていた。実に10時間の長きに亘って手術室に居たことになる。聞くところによれば、手術に6時間、麻酔等の事前準備に2時間、覚醒に2時間を要したそうだ。麻酔は吸入による全身麻酔である。自発呼吸が出来なくなるため、チューブを口から気管内に挿入し、気道確保が行われた。酸素吸入だけでなく、麻酔薬吸入に用いられた。それ以外にも、局所麻酔の延長効果と血圧急性低下ショック防止の薬剤、麻酔時の筋肉弛緩剤、鎮痛作用麻薬、鎮痛作用効果のある合成麻薬、更に、麻酔時の血圧低下防止のための交感神経興奮剤等の注入が行われている。いずれも劇薬である。注入の度に患者の反応を確かめているはずだ。時間が掛かるはずだ。麻酔関係薬以外にも、消化器異常防止薬や上部消化管の出血防止薬、感染防止抗生剤が注入され、ミネラル補充点滴や乳酸リンゲル液、体液に近い輸液等が連続注入されている。身体これ薬漬けである。

 手術は左側部を上にして行われた。左側腹に小さい孔を三カ所開け、腹腔鏡手術により腎臓摘出が行われた。腎臓は長さ10p、幅5p、厚み3p程の臓器と聞いている。これが躰の脂肪組織にくるまれて安定を保っているようだ。この脂肪組織から腎臓を切り離すことが腹腔鏡手術の目的である。どのような手技が行われたかは想像外だが、高度の技量を要する手術である事は間違い無い。次いで、下腹部が6p程開腹された。切除した腎臓を取り出すことと膀胱の一部を切除するためである。腎臓から膀胱へは20p以上の長さを有する尿管が伸びている。尿管の一部は膀胱内にまで伸びているようだ。従って不要な尿管切除のため膀胱を切ることになる。腹腔鏡後の孔は絆創膏で止められ、下腹部は金属製ホチキスでとめられた。主治医の話では、手術に時間を要したのは、腎臓か予想以上に大きかったことと、5年前の前立腺ガン治療時、放射線により膀胱粘膜の損傷が大きかった事に有ったそうだ。それでも手術自体は問題なく終了しているから心配はありませんとは嬉しい話しである。

 術後、回復室に運ばれ意識を取り戻したのは18時頃のようだ。意識は回復しても、朦朧としていた。事前に筋弛緩回復薬を静脈注射されていた。下腹部と左腕には幾つもの管が繋がれた状態だ。口には酸素マスクがはめられている。会話も思うようにはならない。身体に取り付けられた排液管は三本である。一本は排尿管であり、排尿量と尿質から残された右腎臓の機能を確認する為である。他二本は腎臓摘出部と膀胱切除部に差し込まれていた。これらもそれぞれの小パックに接続されていた。切除部の出血状態と体液の状態を確認するためと説明を受けた。排尿パックは12時間毎に担当看護士が確認し、パック交換を行っていた。体液は担当医師が定期的に確認しに来た。左手の静脈部には乳酸リンゲル液や電解質、抗生剤、痛み止めの合成麻薬が点滴注入されていた。合成麻薬は1時間に1ミリリットルの割合で静脈に点滴注入され、痛みが強いときは、コントロールボタンを押すと10分間に1ミリリットルの割合に切り替わる。以後何回もボタンを押すことになった。手術翌日の昼から痛み止めの錠剤1週間分が処方された。薬剤名はカロナール300rである。三食後と就寝前の計4回、一回は2錠を指示された。一日2400rの大量投与である。しかも、初日は胃が空っぽの状態である。副作用の心配をしながら飲んだ。下腹部の痛みに耐えかねたからだ。腹腔鏡手術の孔は絆創膏を貼っただけの措置で、痛みは全く生じていない。両脚には血栓防止のエアーマッサージャーが連続稼働していた。当日の夜は合成麻薬の効果による経験したことのないウトウト状態で過ごした。

 翌日の午前中から歩行訓練が始まった。最大目的は血栓防止である。病室に戻ってからも、一日一回血栓防止薬の注射が行われた。全身麻酔の最大リスクは血栓であるとは、術前に説明を受けていた。血栓防止薬は血液サラサラ効果である。もし術中に出血すれば止血が困難になる可能性もある。そのリスクはあっても、血栓防止は至上命令なのだ。歩行前にまずベッドに座らなければならない。ベッドの背中部を起こし、身体をベッドの淵にずらすことから始めた。強烈な痛みが下腹部を襲い悲鳴を上げた。体制移動時に如何しても下腹部に力が入る。肝心の下腹部の傷口が塞がっていないのだから、当然の痛みだ。行動前に痛み止めの点滴量を増やしたが、それで抑えられる痛みではなかった。死に物狂いで身体を起こそうとした時点が限界であった。全身脂汗だらけでダウンした。酸素マスクを付けたままのアクションであった。

 午後、再度のチャレンジとなった。痛みをこらえ何とかベッドの淵に座ったが、頭がクラクラして体勢維持が出来ない。低血圧の結果である。入院中最高血圧が105から115の状態が続いていたのだから。2日目午前中はベッド脇で立ち上がるところで終わり、午後は病棟半周が限界であった。点滴パックや排液パックをぶら下げたスタンドが杖代わりとなった。3日目はレントゲン室までの往復に成功した。勿論、看護士の介添え付きだが。4日目以降は、随時病棟内歩行を行った。術後2日目から食事が始まったので、腸の動きを活発にするため、歩け歩けと看護士達の叱咤であった。体勢変化時、下腹部に激痛が走るが我慢の範疇であった。歩行前に合成麻薬増量ボタンは欠かせない。5日目に痛み止めの点滴が止められ。同時に酸素マスクも外された。入院後半の病棟歩行は、退院時へのリハビリに替わった。

(流動食)

 食事は、術後2日目の昼食から始まった。水同然のお粥と溶けかかった高野豆腐の味噌汁が小さな器に入っていた。それと飲むヨーグルト一パックである。以降、次第に固さと量が増え、通常食に近い食事になったのは5日目であった。当然低タンパク、低ビタミン食である。この頃から密かにタンパク質とビタミンの補充を始めた。特にビタミンB群の摂取を始めてから、元気が出てきたように思えた。自力歩行が出来るようになってから、8階の売店に行き、嗜好品や乳製品、ミネラル水、お茶の類いを購入した。術後4日目に全ての点滴が外れたので、水分補給は飲料に頼ることになったためだ。

 術後3日間は寝返りを打つことすら出来なかった。この間、背中が板状になっているのを感じていた。看護士に見て貰うと背中から腰にかけ真っ赤に腫れあがり、皮膚はザラザラ状態であった。腹部や両腕に赤い斑点が出ていた。看護士が背中を拭いてくれた上、冷パックを準備してくれた。シャワーが浴びられる状態になり、ベビー用泡石けんで洗う事を懲り返すと皮膚のゴワゴワ感が次第に薄れていった。原因は、鎮痛剤カロナールの副作用の可能性が高い。持参したタブレット端末で調べて見ると、副作用に赤色斑点とある。寝返りが出来ず、血行が悪化していた背中から腰に集中した様だ。空腹時に飲み始めた事にも原因があるかも知れない。薬剤師の話では、抗生物質の副作用の可能性も捨てきれないそうだ。この背中一面の赤色斑点は帰宅時にも残っていた。帰宅後、γリノレン酸を主成分とする月見草油にビタミンEを溶かし込んだリキッドを塗布したところ、現在僅かな赤見を残すところまで回復した。

 術後1週間目に下腹部に設置された3本の排液管全てが引き抜かれた。腹部2カ所の孔は絆創膏の処置のみで、2日程度で癒着するとの事であった。下腹部にある17個の金属製ホチキスは、同時に撤去された。これで治療の全てが終了した。今夜は熟睡できると安堵したのは間違いであった。尿管が抜かれれば、排尿は自力である。午前10時に全ての措置が終わってから暫くして、トイレ行きが始まった。以降、翌朝8時までのトイレ回数は17回を数え、熟睡とはほど遠い夜を過ごす羽目になった。膀胱が過敏になっていた為だ。翌日が退院日である事が、唯一の励みであった。

 今回の手術が成功裏に終了したのは、主治医を初めとする医療スタッフの医療技術とチームワークに寄ることが大きい事を実感している。5年前の前立腺ガンの治療に比べたら大手術である。しかも自分の高齢化は進んでいる。想定外の事態が起こる可能性は捨てきれない。スタッフ達は慎重に事を進めたことは想像に難くない。今回の手術を通じて、患者の体力が如何に大事であるか痛感した。体力が無ければ手術自体が不可になることもあるだろうし、寿命を縮める事になりかねないのだから。今回使用された薬物の種類と量は半端ではない。患者に薬物の副作用が団体で押し寄せているはずだ。赤色斑点の副作用はあっても、身体に致命傷を与えるものではない。生活習慣病がなかった事と薬物常習がないことも幸いした。高齢者にとって、日常生活を健康で過ごすことが、万が一の発病に対処する必要条件である事を実感した。

 これからは腎臓1つの生活が生涯続くことになる。主治医は日常生活に支障はないと言ってくれるが、無理は厳禁である。残された腎臓が機能を失えば、人工透析しか生きる道がないからだ。自分にとって、今は人生第三の出発点と心得ている。心ときめく余生ではないが、もう少し頑張ってみるつもりだ。

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