伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年7月25日:高齢者がガンと向き合う時 GP生

 昨日、入院前に行った検査結果の説明と手術内容の詳細を聞くために泌尿器科を訪れた。同時に入院諸手続を行ってきた。今まで、何回か日誌に投稿してきた通り、腎臓の中心部にある腎盂に生じた悪性腫瘍の実態が分かり、左腎臓を切除する事になった。初期の腎盂ガンの場合、自覚症状は極めて少ないから、早い段階で見つかったのは僥倖であった。それでも、悪性腫瘍の治療には手術が必要である。高齢者にとっては、心身への負担は大きいものとなる。

 高齢者が悪性腫瘍の可能性を告知された時、如何なる思いに駆られるのであろうか。齢80歳前後になれば、人は誰でも自分の残された時間を考えるものだ。あと何年、如何に生きるか、無意識のうちに頭をよぎる事になる。自分も、サラリーマン生活をリタイヤして以降、縁あって学んだ分子栄養学の知見を食生活に応用してきた。お陰で、身体は十分機能して、日常生活には不自由がないだけで無く、家業を率先して営む体力を有していた。それでも、5年前、前立腺ガンが発覚し、今回、腎盂に生じた尿路上皮ガンに見舞われた。いずれも、自分の肉体上の弱点と思われる部位に発症している。転移を知るための各種検査の結果、他の臓器には異常は認められなかった。いずれのガンも血尿はあっても、身体に一切の苦痛は生じなかった。それでもガンである。今回、転移の可能性は少ないと診断されたが、現在の検査技術をもってしても、微少なガン細胞の塊を見つける事はできない。医者は、経験上の知見から、転移の可能性を云々するだけだ。神のみぞ知る領域の話となる。高齢のガン患者にとって、自分の病と如何に向かい合うかを問われる事になる。

 高齢者が健康診断で異常が見つけられる事は多い。70年、80年生きてくれば、全ての臓器が若いときと同じであるはずはない。今回の事前検査で、両肺に複数の不透明な索状痕が見つかった。検診報告書によれば陳旧性炎症性変化とある。肺炎とか風邪により肺に炎症が生じ、その後、治癒した痕跡だそうだ。通常の胸部レントゲンでは検出できない大きさである。何時、炎症が生じたのか、自分にも判らない。肺炎を患った事はないし、ここ20年以上風邪をひいたこともないから、若いときの傷跡であろう。一部、石灰化しているとも書かれていた。

 血液検査や尿検査、簡易画像検査等で異常が見つかれば、精密検査を勧められる。各種内視鏡検査やMRI、CT等の検査は、高齢者にとって身体上の負担は少なくはない。身体上だけではなく、結果が出るまでの心的負担は、高齢者を悩ませる事になる。異常なしと診断されたときの安堵感は如何ばかりだろう。もし、悪性腫瘍ありと診断されると、更に負担の大きい精密検査が待っている。あげく、年齢、体力等の問題から根本治療不可となる事も多い。高齢者が、治療できずに悪性腫瘍を抱えて生きることは、ストレス以外の何物でも無い。残り少ない余生の安寧は乱れ、不安の毎日を過ごす事になる。80前後になったらガン検診は忌避である。

 今回の自分のように、期せずして悪性腫瘍が見つかった場合、どのように対処すれば良いのだろうか。発見されてしまったのだから、無視はできない。逃げ場は何処にもないのだから、腹をくくって病と向き合うしかない。そのためには、自分の病巣が如何なるものであるのか、悪性度、大きさ、浸潤度合い、転移の有無等を知る必要がある。治療法の選択は医者に有るにしても、患者自身が自分の病を知る事は、医者の話を理解し、治療法の良否判断に繋がり、強いては心の安定に寄与するはずだ。

 自分が悪性腫瘍に冒されていると知ったとき、心の何処かに不安と心配の気持ちがあったのは事実である。人が誰もが有する心の弱さだから恥じる事はない。この不安と心配を薄めて、心の次の段階にステージアップする必要がある。そのために、検査データーの詳細を知らなければならない。幸い、自分の主治医は、検査データーを全てオープンにして判りやすく説明をしてくれた。時には、フリーハンドの図解入りでの解説もあった。これらは、説明終了時に全ての資料と共に渡してくれるので、帰宅後見直し読み直して考える事ができる。

 昨日の術前説明では、泌尿器科で作成した9ページのパンフレット・「腎盂・尿管腫瘍の手術につて」を元に説明を受けた。手術は腹腔鏡下で腎臓と尿管を剥離し、更に下腹部を5〜7p程度開腹し、膀胱の一部と共に腎臓と尿管摘出を゛が行われる。腎臓からの尿管は25p程の長さであり、一部が膀胱内に垂れ下がっているため、接している膀胱の一部と共に切除することになる。手術には5,6時間を要する。術後は入院病棟に戻され、翌日は病室でレントゲン検査、血液検査を行う。歩行も可とのこと。足の血栓を防ぐために術中マッサージを行うが、術後はできるだけ早く歩いた方が良いとの事だ。通常は、術後一週間程度で抜糸可能との説明であった。以前は、腹腔鏡無しの全開腹手術であったため傷跡も大きく、回復も遅れ、術後1週間程度の日数での退院は考えられなかった。自分は、進歩した医療技術の恩恵を受ける事になった。

 治療後、どの程度の生活ができるのかは、患者にとって重大関心事である。そのために、術後の身体状態を主治医から聞く事から始まる。主治医は、当然一般論しか語らない。どのような治療法であっても、患者自身の個人差が大きいから、事前に個々の状態を予測する事は困難だからだ。今回の術式では、術後は70%程度の腎機能は維持できると説明された。パンフレットには、高齢者の場合、術後腎機能が低下し、人工透析が必要になると恐ろしい事が書かれていた。自分の残された腎臓は、今までの検査で正常であると診断されている。腎機能に負担をかける、タンパク質やカリウムの制限は必要なく、術前と同じ食事は可能との説明であった。深酒は別にして、通常程度のアルコールは問題ないとは、有難い事だ。けれど、腎臓に負担をかけない生活が求められる。

 高齢者といえども、ガンが発覚した時、手術により完治出来る可能性が高いのなら、積極的に身を委ねる覚悟が必要だ。手術中、患者は全身麻酔下にあり、主治医に全てを任せる事になる。手術でも想定外の事態は生じる事もある。今回の説明でも、出血が起こる可能性を想定した輸血同意書にサインをした。主治医は、今までの手術で輸血した事はないけれど、念のためですと言っていた。今回の自分は、信頼出来る医師に巡り会え、一切を任せる事ができる事は、治療に不安を感じ無い最大要因である。高齢者に限らず、医師と患者の信頼関係は必要不可欠な条件である。

 前回の前立腺ガンの時も、長年に亘る人と人との巡り合わせの結果、最良の医師による最良の治療を受ける事ができた。治療後、5年以上経過した現在、安定したPSA値を保っている。今後、何年か、半年に一度の検診に通院する事になる。この時の主治医が転院したため、定期検診は、現在の主治医が担当となった。この主治医が腹腔鏡手術の専門医であったのだ。

 何回も、日誌に書いたように、自ら選択できない運命は、間違い無く存在する。それでも、運命を司るのは自力であり、他力では無いと考えている。高齢期の生活は、若い時からの生き方が集積された結果であるように、高齢者の運命も、それまでの生き方に支配されているように思える。人は、生きていく過程で必ず誤りを犯す。高齢者が残り少ない余生を悔いなく生きるためにも、自の誤りを反省し正しながら、手探りで生きなければと、心に言い聞かせている。明日が見えないのが人の世である。想定外のことは何時でもあり得るのだから、その時々で、対応策を求め思考する日が続くものと覚悟している。

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