伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年7月13日:腎盂ガン病状確定 GP生

 先日の日誌の続きである。先月初め、激しい血尿に見舞われ、病院に電話をして飛び込んでから一ヶ月が過ぎた。この間、造影剤CTや尿中の細胞診、MRI等の検査を受け、腎盂に腫瘍があることが判った。その後、入院検査により、尿管にカテーテルを挿入し、造影剤を注入するX線撮影と腫瘍の一部を採取する病理組織検査を行った。膀胱から腎盂に至る尿管は細くて長い。当然カテーテルの挿入で、管内部が損傷し、癒着する恐れがある。癒着して排尿出来なければ、面倒事が起こる事になる。そのため、膀胱から腎盂まで細いステントを挿入し、尿道の確保と癒着防止の処置が行われた。病理検査には時間を要するため、最終診断は二週間後の診察時に説明を受ける事になった。ステントはその時抜去される予定である。

 検査入院による逆行性尿路造影検査は、2泊3日を要した。所が退院後、激しい血尿に見舞われたのだ。出血部位は、尿道か尿管であろう。2時間近くを要した検査の間、尿道や尿管に、カテーテル等が出入りしたのだから。膀胱内視鏡による検査での出血は3日程度で止まったが、今回は、完全停止まで一週間を要した。入院中は、感染症防止の為、抗生剤の点滴が行われたが、退院後に抗生剤の処方は無かった。但し、水分を出来るだけ摂取する様にとの指示は徹底していた。

 検査入院の障害は、血尿だけではなかった。今まで落ち着いて居た頻尿が再発したのだ。排尿回数は、それまでの倍以上になった。尿管に挿入されたステントの影響のようだ。ステントは直径2o、長さ20センチ程度の管である。先端の丸い輪状物が膀胱内にぶら下がっているらしい。通常は、左下腹部に何となく違和感を覚える程度だが、排尿時には痛みを覚えるのだ。膀胱満タン時の排尿はそうでも無い。問題は、少量での排尿だ。膀胱に溜まった尿が少ない時は、排尿意識は強くともスムースに排出されないのだ。そこで無意識に下腹部に力が入り、力む事になる。その時、左下部に今まで経験したことのない不快な痛みが走るのだ。ステント先端が膀胱壁を刺激するのかも知れない。日中、一時間毎のトイレ行きがストレスとなった。何をするにも意欲が湧かない。早めにベッドに入る日が続いた。二週間後の通院を心待ちにする毎日であった。

 昨日がその日であった。主治医は、病理組織検査の結果を説明してくれた。病名は、左腎盂に生じた尿路上皮ガンであった。腎盂は腎臓内で濾過された尿が集まる臓器で、尿路の範疇に入る。尿はその後、細く長い尿管を通って膀胱に至る。腎盂から膀胱までの粘膜組成が同一のため、一括して尿路と呼ばれているようだ。この尿路に発生する悪性腫瘍は全て尿路上皮ガンと呼ばれている。病理組織診断報告書のコピーを貰った。病名は英文の専門用語で書かれていた。英文を直訳すると「非浸潤性乳頭状尿路上皮ガン」となる。程度はLow gradeと有った。

 腫瘍サンプルは、微少な検体しか採取出来なかったと、検査入院時に説明を受けていた。腫瘍が小さいため採取に苦労したようだ。報告書は、この微少な検体の分析結果であった。主治医は、「腫瘍は尿路上表面に乳頭状に増殖をしている。異型の程度は軽度〜中程度である。筋層までは浸潤していない可能性は高い、悪性度が低い尿路上皮ガンである。ステージTないしUに相当する。」と説明してくれた。治療法は、「左腎臓周辺に3,4の孔を創り腎臓の切除を行う腹腔鏡手術と下腹部を10p程度開腹し、腎臓と尿管を摘出する手術になる。全身麻酔による手術で、5,6時間を要する。」であった。尿路上皮ガンは腎盂で発症しても、膀胱に容易に転移するようだ。このガンは初期段階では、自覚症状は殆どなく、進行して血尿で発見される場合が多いようだ。自分の場合の血尿は大量出血時、最初の排出は、濃厚尿であっても、排尿の最後には薄くなる傾向を示した。もし、腎盂の腫瘍からの出血であれば、最初から最後まで血尿の濃淡はつかないはずだ。だから、自分は膀胱下部、前立腺との接触部からの出血を疑った。このための検査が、尿路上皮ガンの発見に繋がった。何が幸いするか判らない。施術日は、先週既に決まっていた。

 先週半ばの昼頃の事だ、主治医から突然電話を貰った。何事かと思い、話をすると、「病理組織検査の結果は出ていませんが、先日の検査入院時の目視検査や造影剤MRI検査の結果からも、左腎臓摘出手術がベストの治療法です。今月末に、手術室が空いたので、良ければ手術はこの日に行いたい。次回の診断日では、間に合に会いません。予約しておきたいので、返事を聞かせて欲しい。」との事であった。進行の遅いガンであるとは聞いていたが、手術をするなら早いに越したことはない。考えるまでもない、即座にお願いしますと返事をした。それにしても、大学病院の医師が患者の自宅にわざわざ電話をかけて、一日も早い手術を勧めてくれたとは、感謝の思いでいっぱいであった。

 ステントを抜いた後、診察室で入院の具体的説明があると思っていたが、期待は外れた。これから、入院前の諸検査をして貰いますと言われ、検査内容と検査場所の説明を受けた。検査結果の説明と入院準備の説明は一週間後となった。検査は、尿検査、血液検査、心電計検査、身長・体重測定、胸部X線そして胸部CT、更に肺機能簡易検査であった。胸部検査は、転移の有無を確認するためと説明された。ガンは、局所に留まっている可能性は極めて高くとも、万が一を考えての措置だろう。血液検査は通常より2本多い6本採取となった。身長測定結果はショックであった。70歳台初めより、更に1.5p縮んでいたのだ。背骨の軟骨部が更に縮小したのだろう。脊髄管狭窄症が発症しないだけましである。肺機能簡易検査は、口に大型の管を咥え、深呼吸を繰り返すことで肺活量を測定するとの事であった。モニターには、入気と排気の曲線が描かれた。その曲線の形状と大きさで肺機能を診断するとは、担当女医さんの説明である。測定の結果、肺機能は正常、肺活量は4,500cc、年齢より26歳若いと言われた。朝から、午後まで、昼抜きでの問診や検査、それにステントを抜去された虚脱感も手伝って、全てが終了したときは力が抜けた。タクシーでの帰宅となった。

 これで入院前の準備が全て終了した。この間、1ヶ月の時間が経過した。一ヶ月前の造影剤CT検査や造影剤MRIの結果、主治医は、腎盂に在る腫瘍の場所や大きさを正確に把握していた。治療法は、腎臓の切除しかない事も判っていた。患者に対する説明にも、根底にこの認識を感じた。それでも、検査入院によって、病巣の実相を掴む努力を行っている。腫瘍の状態によっては治療法が異なるため、主治医は徹底した追求を行ったように思える。その結果、今回の診断となり腹腔鏡手術を含む治療となった。現段階で患者の負担と術後の回復にとって最善の結果に繋がったように思える。信頼出来る慎重な医者に巡り会えた事は、感謝あるのみだ。

 人は、自ら選択できない運命にコントロールされている様に思える。現在お世話になっている慈恵医大泌尿器科は自らの選択ではない。全て、人との関係に起因した結果である。今から、30年前、自分のマンションに薬剤師夫婦が入居した。駅近くで調剤薬局を経営するので、近場にあるマンションを住居に選択してくれたのだ。10年以上前、家人が泌尿器の病を患った事がある。泌尿器の開業医に疎かった自分は、この薬剤師に泌尿器病院の相談をした時、勧められたのが隣町の泌尿器科医であった。通院してみて、信頼出来る医師である事が判った。5年前、自分が前立腺のトラブルに見舞われた時、迷わずこの病院を訪れた。医師は、種々の検査の後、前立腺ガンの可能性を説明してから、慈恵医大泌尿器科を紹介してくれた。紹介状のみならず、その場で電話して予約をしてくれたのだ。

 自分は、慈恵医大で前立腺ガンの最良の治療を受けたと思っている。治療後、5年以上が経過した今、PSA値は安定を保っている。高度の治療をしてくれた主治医は、その分野でのスペシャリストであった。患者にとってどれだけの僥倖であった事か。そして、今回の腎盂に生じた尿路上皮ガンの治療である。今回も、主治医は腹腔鏡手術のスペシャリストである。30年前の薬剤師との出会いが、自分の病気を二度までも救ってくれる医師との出会いに導いてくれたのだ。このような事は、偶然に思えても、偶然では無いと信じている。目には見えぬ力が、運命に働きかけてくれたとしか思えないからだ。

 高齢者にとって、人生観の根本を変える生き方は通常出来ないものだ。頭は固くなり、固定観念に縛られ、支配される事は多い。生き方だけではない。人が本来もっている肉体上の弱点が顕在化するのも、高齢期に入ってからだ。やはり自分の弱点は泌尿器系にあった。父親は腎不全から6年間の透析に至り、心臓肥大による心不全でこの世を去った。人工透析の大変さを見てきて、腎臓病だけは御免被ると強く思ってきたが、何の因果か、親の道を辿ろうとしている。父親は80歳を目前に力尽きた。自分は、様々な僥倖に恵まれ、1つの腎臓で、もう少し命を長らえそうだ。人生観の根本は変えられないにしても、見守ってくれている家族、友人達の期待に背かぬよう、精進の日々を送る覚悟でいる。

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