伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年6月30日:検査入院・腎盂ガン確定か GP生

 前回の続きである。激しい血尿から各種検査を行い、左腎盂に小さな腫瘍がある事が判った。腫瘍の実相を探るため造影剤MRI検査を行い、今回、問題の腎盂までカテーテルを入れ腫瘍本体に迫る逆行性腎盂造影検査を行なった。同時に尿管鏡検査も行った。検査とは言え、下半身に麻酔をかけ、手術室で行う為、全てが手術扱である。予定では2白3日の入院と言われているが、想定外の事態が起これば、長引くことになる。全て、主治医の手腕と自分の体調にかかっていることだ。大丈夫と思っても覚悟だけはして臨む必要がある。

 当日、予約していた入院手続きを行い、病室で持参した物品の整理を行った。寝間着は、タオルとバスタオルがセットになったレンタル品である。午前中の入院のため時間は十分だ。まもなく薬剤師による問診が始まった。既往症、常用薬、食物アレルギー、薬物アレルギー等の詳細な質問が続いた。全て、否である。高齢者で常用薬が全くないのは珍しいですねと言われた。次いで担当の看護師から手術前日と当日の説明があった。事前検査は尿検のみ。夕食後以降は絶食、21.00に下剤センノシド2錠服用。翌朝6時まで経口補水液を出来るだけ飲むように言われた。翌朝6時以降は絶飲食、手術前に浣腸を行い、11時前後に手術室入室の予定であった。同時に、入院診療計画書を渡され、主治医以下関係する薬剤師、看護師、管理栄養士の名前や病名、症状、治療計画、手術内容、看護計画等が詳細に書かれていた。最後に体温、血圧が測定された。測定は就寝するまで2時間毎に続いた。

 21時前に看護師から経口補水液OS-1 500cc1本、125ccのアルジネードウォーター4本と排尿時間と量を記録する用紙が渡された。翌朝6時までに出来れば全部飲んで欲しいとのことである。OS-1は熱中症防止に飲まれるミネラルウオーターであるが、もう一つの飲料は初めて聞く名前だ。調べて見るとネスレヘルスサイエンス発売の健康飲料で、アルギニン2,500r、亜鉛10rが含有されている。アルギニンは体内で生成できるアミノ酸の1つで40歳以降では生成量が低下する。アルギニンは外部から侵入する細菌やガン細胞を攻撃する働きがあり、免疫力アップに効果があるとあった。亜鉛は粘膜生成や保持に必須のミネラルの1つである。翌日の検査は、尿管を著しく損傷する。これの補修と感染防止のために必要な栄養素を摂取させようとの意図が理解できた。23時までに全てを飲み終えた。経口補水液を飲んでからのトイレ行きは、覚悟していた。案の定、23時からトイレ行きが始まった。朝6時までに計5回、合計1330ccが排出された。トイレ常備の計量カップを用いた結果だ。安眠とはほど遠い夜となった。

 当日は朝9時の浣腸から始まった。測温と血圧測定が終わると、後は睡眠不足の身体を横たえ、その時を待つだけであった。10時頃、担当医が左手の甲にマジックで大きな○を描いた。誰が見ても、説明抜きで左腎臓がターゲットであることを明示するためと説明された。11時少し前、看護師に案内されて3階の手術室へ徒歩で向かった。戻りはストレッチャーでの帰還となろう。手術室に入る前に、名前と生年月日を聞かれた。本人確認のパターンである。入院病棟の看護師から手術病棟の看護師に引き継がれ、手術室に入った。前立腺ガンの治療以来2回目の入室である。何時入っても気持ちの良い部屋では無い。

 手術台での最初の措置は麻酔薬の注射である。下半身に麻酔注射をする為に、身体を海老状に曲げ、両足を手で掴みながら身体を固定された。腰部脊椎に麻酔薬4ccが注入されると、次第に下肢の感覚がなくなってきた。次いで、尿道麻酔薬30ccが注入された。同時に生理食塩水、排尿促進剤、抗生剤の点滴も始まった。有効麻酔時間95分、麻酔効果が完全に無くなるのには夕方まで掛かるようだ。スタッフは主治医と2人の助手、看護師2名、看護師補助1名であり、それぞれの役割を無言の内にこなしているのが良く分かった。下半身は麻痺していても、意識が確りしているのは良し悪しだ。

 検査台に防水シートが敷かれ、準備した足代に両足が固定された。膀胱鏡が挿入され、更に尿管カテーテルが目的の腎盂まで挿入される。造影剤が直接患部まで注入されX線撮影が行われた。この間何回も呼吸止めの指示がなされた。腫瘍細胞の採取には時間が掛かったようだ。全ての検査が終わってから、尿管ステントの挿入が始まった。腎臓と膀胱間に太さ2oの管が挿入された。排尿路を確保するための措置である。この間、下肢の感覚は麻痺しているから、書いていることは推測を交えている。排尿管が取り付けられて、全ての検査が終了した。要した時間は2時間であった。

 主治医が枕元に来て検査結果を話してくれた。採取した腫瘍細胞診が終わっていないので、目視結果の感想である。「造影剤CTで見つかった腫瘍は1p台。それ以外に幾つかのごく小さい腫瘍が存在している。腎盂ガンに間違い無いと思う。造影剤MRIの結果も同じ傾向を示していた。進行は遅いガンと思われ、今のところ転移の可能性は少ない。何れにしても、左腎臓は切除することになるだろう。」であった。当初予想した通りであったが、主治医は、激しい血尿の結果、腎盂ガンが早く見つかったのは良かったとも言っていた。

 全てが終わって、全員で手術台から移動台に移された。ストレッチャーと思っていたら、入院病棟の自分のベッドであった。手術室出口では入院病棟の看護師2人にバトンタッチされ病棟に戻った。病室では寒さを覚えた。とにかく寒いのだ。看護師が体温を測ると36度、血圧は95であった。手術室では心電計と血圧計がセットされ、首を曲げると見える位置にモニターが置かれていた。最初132有った血圧は次第に低下し100前後を上下していた。血圧低下は麻酔薬の副作用である。使われた麻酔薬のいずれも、副作用としての血圧低下が明示されている。体温低下は、麻酔による下半身麻痺で筋肉の働きが弱わったためであろう。発熱は細胞内のミトコンドリアの活動で生じるが、筋肉細胞からの発熱は大きいはずだ。下半身の筋肉が麻痺している状態では発熱機能が著しく低下していておかしくない。理屈はともかく、とにかく寒いので掛け布団を一枚追加して貰った。20時を過ぎた頃から体温と血圧が少しずつ上昇し始めた。

 苦難は更に続いた。病室に戻つてから何回か軽い吐き気に見舞われた。麻酔薬の副作用のようだ。16時頃、下半身の麻酔が醒めかけると、下腹部に痛みと圧迫痛を覚え始めたのだ。その内、収まるであろうと我慢していたが、限界を超えてきたので、ナースコールを押した。看護師に症状を話すと、痛み止めの座薬で収まるはずだと言い、座薬を挿入してくれた。効力開始に30分、効果時間は4,5時間と言われた。20時過ぎ頃から、再び痛みが始まったが、先ほどの痛みでは無い。検温、血圧測定に来た看護師に話すと、念のため座薬を入れた方が良いと言われ、21時に2回目の座薬挿入を行った。その後、座薬のお世話になることはなかった。明朝6時までは絶飲食だ。

 病室に戻ってからも生理食塩水の点滴は続いた。途中からブドウ糖80Kcal入りの生理食塩水に変わり、更に排尿促進剤と抗生剤の点滴が続いた。尿道には排尿チューブが接続され、下腹部は不快な圧迫感を覚えている。相変わらずの濃い血尿が断続的に流れている。今晩も、安眠は無理であろう。サッカーポーランド戦は夢の外だ。

 3日目の朝はウトウトの中で迎えた。下腹部に違和感はあるものの我慢出来る範疇であった。朝一番の検診では体温。血圧とも完全に正常に戻っていた。8時の朝食は食欲が無く断った。水分補給だけは怠らず。ペットボトルを何本も空にした。血尿は昨日に比べ幾分薄くなった感じがする。9時過ぎ、主治医の往診が有り、異常なしを確認してから退院の許可が下りた。生検サンプルの細胞診結果は10日以上かかるので、次回診察日は2週間後の予約となった。この日に造影剤MRIと今回の検査結果の説明があるはずだ。腎臓−膀胱間のステントはそれまで挿入されたままになる。ステントは通常では違和感は無いが、排尿時に独特の苦痛を感じる。ステント挿入の副作用は、頻尿と血尿が最たるものと聞いてはいたが、ごく少量の尿が時間をおかず排出する独特の頻尿である。血尿は退院翌日も続き、鮮血が便器を染めている。

 今回の腎臓の腫瘍は腎盂ガンである事は間違い無いだろう。前回の日誌で5年前の前立腺ガンの時、造影剤MRIで腎臓を撮影していて発見されていないから、それ以降の発ガンだろうと書いたのは間違いであった。1pの腫瘍中のガン細胞は約10億個である。1つのガン細胞が分裂してこの数になるに15年、20年を要する。前回のターゲットは前立腺で腎臓ではなかった。今回は腎臓ガンの専門医が腎臓からの出血も疑い、造影剤CTを診断したから発見に至ったのだと思う。ましてや、今回のような逆行性腎盂造影をしない限り、更に小さい腫瘍を見つけることは困難であったろう。主治医が言うとおり、僥倖であったのだ。

 最終診断が2週間後になったため、手術は8月に入ってからになりそうである。開腹手術になるのか、腹腔鏡手術になるのかは判らない。最低でも10日間程度の入院は覚悟しなければならないだろう。入院中の自分が対処できない諸々の事は、関係者に事情を話して協力して貰うしか無い。入院までの時間が十分あることが救いだ。進行性の遅いガンであるから1ヶ月の遅れは心配無いとは、主治医の言である。今のところ、腎臓1つでの生活には実感が湧かないが、時間は十分ある。自分の研究課題がひとつ増えた思いでいる。

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