伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2018年6月14日: シンガポールの喜劇 T.G.

 エマニュエル・トッドはフランスの人口学者である。歴史人口学を駆使してソ連の崩壊、リーマンショック、アラブの春、イギリスのEU離脱など、数々の世界現象を著書の中で予言し、ことごとく的中させた。現代の知の巨人の一人と言われ、大統領も一目置く存在である。たびたびエリーゼ宮に招かれ、国際政治について意見を求められるという。

 先月そのエマニュエル・トッド氏が来日し、「知の巨人、トッド氏に問う。直系家族と現代政治」というタイトルの日本のテレビ番組に出演した。番組の中で6月に行われる米朝会談についてキャスターに問われ、「トランプと金正恩の米朝首脳会談は喜劇に終わるだろう。金正恩は命綱の核を決して手放さない。アメリカは打つ手がなくなる」と断言した。まさに彼の予想通りにになった。知の巨人の面目躍如である。

 シンガポールで行われた米朝首脳会談は、中身が空虚で何一つ決まらなかった。事前にアメリカが固執していたCVID(完全、検証可能、かつ不可逆な非核化)の文言はどこかへ消え失せ、北の体制保障だけが目立つ内容になった。トランプはディールの達人を自負しているが、今回のポーカーゲームは金正恩の一人勝ちである。アメリカはなにも得るところがなく、ディールに必要なアセット(軍事力行使、経済制裁、人権問題などなど)をことごとく失った。もう次のゲームに使うアセットはない。まさに金正恩の思うつぼで、そのうち核開発もやりたい放題になるだろう。そうなっても、もう交渉のアセットを失ったアメリカに止める力はない。

 さらにそれに輪をかけたのが首脳会談の過剰なショーアップである。こんな馬鹿げた首脳会談は見たことがない。中身のない、ド派手な演出のテレビワイドショーを全世界にライブ中継し、金正恩が言われるような残虐な独裁者ではなく、あたかも知的で融和的で有能で、国を思う偉大な国家指導者であるかのように演出し、世界中に印象づけた。記者会見でトランプは、万人に一人の資質と金正恩を褒めそやした。つい先日までちびのロケットマンなどと口汚く罵倒していた同じ口とは思えない軽率ぶりである。トランプが仕組んでこのショーをやらせたとしたら、アホとしか言いようがない。こんなアホな大統領を持ったアメリカが気の毒だ。

 核問題でアメリカはこれまで何度も北朝鮮に騙され、煮え湯を飲まされてきた。核廃棄を条件に経済援助を手にすると、舌の根も乾かぬうちに核開発を再開した。単に交渉を核開発の時間稼ぎに利用されていたのだ。しかしながら、歴代大統領の失敗はトランプの大失敗よりはるかにマシである。核に執着した邪悪な悪魔(ブッシュの呼び方)を北朝鮮という不自由な穴蔵の中に閉じ込め置いたが、トランプはその身動きもままならない悪魔を穴蔵から外の自由世界に引っ張り出してしまったのだ。パンドラの箱を空けたようなもので、もう自由になった悪知恵の塊は、あちこちから金をせしめてやりたい放題になるだろう。金正恩の目標は核を持ったままアメリカと同盟関係にあるイスラエルだという。それに近い会談合意である。金正恩はご機嫌だろうが、周りの国はたまったものではない。その最大の被害者は中東ではシリア、イラクであり、極東では日本だ。

 トランプのアホさ加減はさておき、考えるべきは我が国の安全保障問題である。北朝鮮の核武装はもはや誰も止められない。唯一の圧力であったアメリカが決定的に日和ってしまった。大統領が替わっても、もう元の強面には戻れない。金正恩に足下を見透かされている。中国ロシアはもともと北の核など問題にしていない。彼らにとって金正恩のオモチャの核など脅威でも何でもない。唯一脅威なのは日本だけだ。一衣帯水の処に核武装した反日国が居座り続け、陰に陽に恫喝を続ける。悪夢と言うほかない。この脅威に較べれば、拉致なんて比較相対的に些細な問題である。なんとかしなければならないが、もうアメリカには頼れない。トランプも後は自分らで勝手にやれと言っている。

 こういう状況を招いた原因と責任の一端は日本にもある。長年国防と国家安全保障をアメリカに丸投げし、自らはなにもしてこなかった。こんな呑気な国はほかにない。アメリカさん頼りで防衛予算は世界水準の半分。GDPの2%が防衛費の世界水準だが、日本は1%を切っている。いつまでたっても憲法改正せず、お花畑の9条信仰を続けてきた。日本の自衛隊の戦力は世界5位と言うが、ちょっかい出しても攻めてこないと分かっている戦力など怖くもなんともない。軍事力の要諦は抑止力にあるが、自衛隊の抑止力はゼロである。毎年5兆円をドブに捨てているようなものだ。

 だから拉致が生まれる。工作船でやってきて、白昼堂々と横田めぐみさんを誘拐拉致出来たのは、たとえ見つかっても、自衛隊には何も出来ないことが分かっているからだ。ピストルしか持たない警察は、北の武装工作員の敵ではない。拉致も核開発も、分かっていながらなにも出来なかった。アメリカ任せでなにもしなかった。普通の国であれば、軍事力を担保にしてもう少しマシなことが出来ただろう。北の核開発の圧力になっただろう。それが北の核開発を遅らせただろう。少なくとも日本海を渡ってくる北の工作船の撃沈ぐらい出来ただろう。そうすればそれが抑止力になって拉致の大半は防げただろう。それが出来なかった唯一の原因は憲法9条の金縛りにある。憲法9条は国家安全保障を毀損している。

 今回のトランプの大失敗を機に、日本の安全保障のあり方を根本的に考え直すべきだ。そうしないとこれからの極東アジアで生きてはいけない。日本は中国、韓国、北朝鮮と言った筋金入りの反日国に取り囲まれている。近い将来この状況が変わる気配はない。トランプは在韓米軍の撤退を言い始めた。その先の在日米軍の縮小撤退も臭わせている。もはやアメリカは極東に何万人もの兵力をとどめ置く理由も動機も金も失い始めている。その先の日本は自主防衛しか道がない。そのためには憲法改正が不可欠だ。9条がある限り、戦力は張り子の虎である。エマニュエル・トッドも再三奨めているように、核武装も視野に置くべきだ。そうすれば金正恩の核に自力で対抗できるだろう。拉致被害者を取り戻すのに、理不尽な身代金を払う必要もなくなるだろう。

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