伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2018年4月4日: 佐川証言と「悪魔の証明」 T.G.

 国会の証人喚問で「森友問題に安倍の関与はなかった」と断言した佐川元理財局長の証言が「悪魔の証言」だという指摘があちこちから出ている。佐川証言の信憑性に疑義があるという見方である。その典型例が弁護士の大前治氏が講談社の現代ビジネスに書いた「佐川氏が証人喚問で陥った「悪魔の証明」という罠」の一文である。

 このコラムで大前氏は「佐川氏の証人喚問の特徴は、刑事訴追の恐れがあるとして40回以上も証言を拒否しながら、一方で「首相官邸からの指示はなかった」と自信満々で言い切ったところにある。このように、「なかった」という事実を証明することを「悪魔の証明」という。不存在を証明するには、全ての存在事実を調査し尽さなければならない。それは事実上不可能であるから、こう呼ばれる。佐川氏は、自信満々でこの「悪魔の証明」をやってしまったのである。それが自分を苦しめることに気付いているだろうか。」と書いている。

 ウィキペディアによると、「悪魔の証明」という概念は、中世ヨーロッパの法学者によるローマ法解釈において、所有権帰属の証明の困難性を比喩的に表現した言葉だそうだ。現代風に言えば「ないことを証明する」際に使われる概念用語で、事実上不可能を意味する。喩えてみれば、アフリカに野生のパンダがいるという証明は一匹でも野生のパンダを見つければいいが、いないという証明はアフリカ大陸を隅々まで調べ尽くさなければならず、神の身ならぬ人間には不可能である。これが「悪魔の証明」の字義である。「安倍の関与はなかった」と言い切った佐川証言は悪魔の証明への挑戦なのだという。

 数学という学問ではしばしばこの悪魔の証明に挑戦する。最も有名なのは17世紀の数学者フェルマーの定理である。3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理のことである。定理自体はすこぶる簡明で誰でも分かる。n=2であれば(x,y,z)はそれぞれ(3,4,5)と小学生でも「あること」を証明できるが、「ないこと」の証明はすこぶる難しい。無限にあるすべての自然数を当てはめるのは不可能で、悪魔の証明の典型である。数学の最難問の一つと言われ、フェルマーの問題提起以来350年間、誰も証明できなかったが、1995年にプリンストン大学の数学者アンドリュー・ワイルズによって論理的に証明された。数学はアフリカか大陸を調べ尽くすことなく、パンダがいないと言うことを証明できる学問なのだ。

 もう一つの悪魔の証明の見本が「5次以上の代数方程式に一般解はない」と言う有名な定理である。一般解とは有限回の四則演算と冪根(ルート)で表現できる解の公式のことで、2次方程式であれば中学生でも知っている。3次、4次方程式も一般解はあるが、5次以上になるとない。ないことの証明である。この定理も難問で長らく証明されなかったが、19世紀にアーベルとガロアによって証明された。ガロアは20歳の若さで亡くなったフランスの天才数学者で、この証明に用いた「群」という概念は後の代数学の基礎概念になった。大学3年の時の代数学の講義で、ファン・デル・ヴェルデンの「現代代数学」を教科書に使ったが、群論の章にこの定理の証明が出てきた。読んで理解できたときは嬉しかった。そういうわけで思い出深い定理である。最近本箱から取り出して読んでみたが、ちんぷんかんぷんでまったく理解できなかった。

 前置きが長くなったが、佐川氏の証言は悪魔の証明ではない。彼は安倍の関与がなかったことを証明しているわけではない。理財局長の立場で、自分は安倍の関与は見聞きしていないと言っているだけだ。「悪魔の証明」概念の誤用、もしくは悪用である。理屈で商売する弁護士の言うこととは思えない。加えて言えば、安倍の関与がないことの証明は悪魔の証明ではない。関与の証拠を一つでも示せばあることを証明できるし、ないことを証明するには関係者を調べ尽くせば済むことだ。森友加計の関係者はそう多くはない。多く見積もってもたかだか百人程度だろう。神様ならずとも、警察や検察の捜査能力を持ってすれば容易なことだ。これを悪魔の証明と言ったら、長年悪魔の証明で悪戦苦闘を続けてきた数学者達が泣く。

 今回の証人喚問や森友問題の批判者のほとんどは、あたかも「安倍の関与の存在」を前提にしているように見える。しかしながら悪魔の証明に関して言えば、法律論的には「否定する者には、立証責任はない」のが常識で、あるとするものの側に立証責任がある。つまり野党やマスコミの側に証明責任があるのであって、佐川氏に証明責任はない。安倍の関与の証明も出来ず、する気もないのに、根拠もなく「関与の疑い」を言い募るのは、文明国のマスコミや国会議員のすることではない。自分勝手な憶測や風聞をばらまいて世間を騒がし、国政を遅滞させるのは、国家犯罪に近い不法行為である。

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