伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2018年3月10日: 高齢期を生きる心の原点とは GP生

 昨日のこと、用事があって郊外に住む知人の家を車で訪れた。この家の近くに、自分が中高6年間を過ごした学校がある。卒業したのは60年以上前だ。卒業後、訪れたのは遙か昔のことで、時期は記憶の外だ。今どうなっているだろうかとの好奇心から、用事を終えて、学校へと車を走らせた。校門は変わり、校舎はタイル張りの5階建てに変貌していた。昔の面影はどこを探しても見ることは出来ない。当時の校舎は木造平屋建で、広い校庭は林で囲まれていた。隣地には広大な栗林が続いていたものだ。周囲の林は伐採され、住宅が連なっていた。敷地の隅に、特徴ある三角屋根の旧校舎玄関が、当時の佇まいのまま残っていた。この建物を眺めていて、自分が少年期を過ごした学校時代に心の原点がある事を思い起こした。

 人は高齢期を迎え、残された時間を数えられるようになると、何故か昔のことを振り返る事が多くなる。単なる懐かしさだけでは無く、現在に繋がる自分自身の原点が存在しているからだ。体力、気力が衰え、厳しい現実に立ち向かう時、息切れすることもある。そんな時、心の原点に思いを馳せることは、生きる力を蘇らせる事に繋がると思っている。

 自分は、昭和20年代の後半に、この学校の中等部に入学した。自分の意思では無い。親と小学校の担任とが相談した結果だ。当然、入学試験がある。このために近くの塾に通わされた。塾は、廊下と四畳半の畳部屋が教室であった。椅子は無く、廊下でも長机の前に正座であった。成績上位の少数者だけが畳部屋で勉強できた。そこに行きたい一心で頑張った記憶がある。こうして6年間の中高生活が始まった。

 小学校は自分の家から徒歩2分もかからなかったが、中学校へは、電車通学の上、最寄りの駅から徒歩30分を要した。パスの乗車は校則で禁じられていた。通学時には、制服を着た生徒達の長い列が続いていたものだ。雨の日も、雪の日も毎日往復4kmの道のりを歩いた。通学が苦になった事は一度も無かった。6年間を無遅刻、無早退、無欠席で過ごした。往復4kmの道を6年間歩いたことで足腰が鍛えられ、ワンゲルでの山行に生かされただけで無く、鉱山での長時間に亘る坑内巡回でも苦にならなかった。80歳を前にした今も、大股歩行が出来るのは、今に残る貴重な財産だと思っている。

 体力だけでは無く、心も自然に鍛えられていた。昭和20年代の社会環境では、徒歩の移動が多かったものだ。誰しもが、歩くことに苦痛を感じる事の無い時代だった。少年時代、単調な歩行を6年間継続できたた事で、耐える心が自然に養わされたと思っている。現在、学校が中学生の通学に往復4kmを歩く様指導したら、父母からブーイングの嵐だろう。高齢者にとっても、歩くことは健康の基本でもある。足腰が衰えた先には、車椅子か寝たきりの生活が待っている。

 この学校の建学の精神は、「和の精神を尊ぶ人格教育」である。「凝念」は、精神統一が目的であり、雑念を排し、心の力を鍛えるための行為であった。週3回の全校集会時に行われた。全中高生が姿勢正し腰をかけ、両手を下腹部に合わせて瞑想し、所謂、臍下丹田に力を込めながら、心を集中する。校長先生の「凝念」の声で始まり、講堂は静寂に支配された。この後、全校生徒で「心力歌」を唱和した。この心力歌は現在に至っても、自分の心に大きな影響を与えている。

 心力歌は全八章からなり、七章と八章は唱和されることは無かった。心の力と国との関わりが書かれていたためだ。今、読み返しても問題にするような内容では無い。戦後民主主義華やかなりし時代では、学校教育上問題とされたのだろう。心力歌には、人は心を鍛えることが如何に大事であるかが具体例を含めて、文語調の美文で綴られている。中学生に理解できる内容では無い。高校に進学してからも、唱和はしても理解には関心が無かった。論語の素読と一緒で、まず声を出して繰り返すことに意味がある。6年間繰り返せば、文章は心に深く染み込む事になる。論語がそうであるように、心力歌も成長して初めて理解できるようになった。

 心力歌には、人にとって心が如何に大切かが繰り返し述べられている。第一章は「天高うして日月懸かり、地厚うして山河横たわる。日月の精、山河の霊、集まりて我が心に在り。」で始まり、以下、人の心が本来如何に大きなものであるかが綴られている。第二章では、人は心の鍛錬が必要であり、欲望に囚われ、本来あるべき姿を見失うと、どれ程苦しむかが述べられている。「心に力ありといえども、養わざれば日にほろぶ。」から始まり、「われに守るところなく、われに恃む所なければ、境によりて心うつり、物のために心揺らぐ。得るに喜び、失うに泣き、勝ちて驕り敗れて怨む。」と続く。更に「驕れば人と難を構え、怨めば世と難をなす。現には我が身を労し、夢には我が心とたたかふ。」とある。以下、第六章まで心を鍛え大きくすることが、人がこの世で生きる目的で在り、生きる喜びに通じることや、物欲や金銭欲、名誉欲は、求めれば求めるほど、心を荒ませ豊かにすることは無いと説かれている。

 人が生きる目的は、人それぞれだろう。学び、働き、家族を養い、懸命な努力をした後、第二の人生が待っている。現役時代のストレスの多い仕事や不規則な食生活は、高齢期に入って様々な身体不調をもたらす事になる。連れ合いに先立たれれば、心から気持ちの通じる相手は居なくなり、孤独な老後を生きなければならない。高齢期を迎えた時、「人は何のために生まれ、何のために生きるのか」との命題に直面するだろう。自分の行く先が、なんとなく見えてきた時、人は自分の心と向かい合うことを強いられる。

 人の心は何処にあるのだろうか。心臓は最重要の臓器であっても心では無い。脳は記憶や思考を司る器官であっても、心そのものでは無い。自分は父親の臨終を、今でも忘れられない。モニターの脈拍数が徐々に低下し35を切った時、心電計の波形は横一線になった。この瞬間、父の顔は激変し、人の顔から物に替わったように思えた。単に、心停止により血液の循環が止まっただけでは無い変化だった。肉体苦が伴わない穏やかな顔でもあった。魂が肉体から抜けたとしか考えられない荘厳な光景であった。この時自分は、心、すなわち魂は肉体と重なり合い存在していると確信した

 サラリーマン生活をリタイヤしてしばらくして、仏陀の教えを宗教心無しに学ぶ機会があった。現在の仏教は葬式仏教に堕しているし、経文は理解の外だ。仏陀の教えのエッセンスたる般若心経すら、理解より写経の時代だ。般若心経にある「色即是空 空即是色」とは、「この世即ちあの世、あの世即ちこの世」を意味する。この世とあの世は一体として人の世を形作っていて、この世だけが人の世で無い事が説かれている。人の魂は、あの世からこの世に誕生し、そしてあの世に戻る存在だ。人がこの世限りの存在で、死んだら「無」と信じれば、金銭欲に走るのは理解できる。だが、あの世に戻れるのは魂だけだ。だからこそ、この世で生きる目的は、心の修行であるのだろう。

 母校を訪問したことで、かっての学校生活が脳裏に蘇った。ここで受けた心の教育が自分に確りと根を下ろしていた。子供から大人に脱皮する中学高校時代は、誰にとっても、心の原点が形作られる時間だ。何処で学ぶかは小学生には決められない。進路を定めるのは他者である。亡き両親と86歳でこの世を去られた小学校の担任に感謝あるのみだ。

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