伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2018年2月27日: 国会の裁量労働制騒動 T.G.

 国会が裁量労働制で揉めている。森友加計が空振りに終わって攻めどころを失った野党が、新たな攻撃目標を見つけた。安部首相が国会で答弁に使った資料の不手際をネタに、担当大臣の罷免、法案の撤回、白紙化を求めて攻め立てている。

 それにしても厚労省という役所はいい加減な役所だ。法案審議に出す資料がこう杜撰では、答弁に使う大臣はたまったものではないし、通る法案も通らなくなる。与党の働き方改革法案は、少子化を控えた日本が、少しでも労働生産性を上げるのが狙いで、悪いものではない。日本のサラリーマンの労働生産性は極めて低く、ドイツの7割、アメリカの6割と言われる。なんとかしないと日本がもたない。

 素人考えでも、裁量労働制は悪いことではない。従来のサラリーマンの給与体系は働いた時間分だけ給料がもらえる、労働時間の切り売りだった。生産ラインの工員さんのように、生産量が働いた時間に比例するならそれでいいが、現在の多様なサラリーマンの仕事はそればかりではない。労働時間でなく、アイデアや創造性がものを言う仕事がたくさんある。そういう仕事では倍働いたからと行って成果が倍にはならない。そうであれば、労働時間は個々の裁量に任せたほうが、全体的な労働生産性、言うなれば賃金あたりの収益が上がる可能性大である。それを時間で縛って働かせるのは金の卵を産む鶏を潰すようなものだ。

 野党やマスコミは裁量労働制は労働強化につながる悪法だという。100時間残業で自殺に追い込まれた電通の女子社員を例に挙げて、そういう労働者イジメのブラック企業が輩出すると攻め立てる。しかし電通女子社員は裁量労働制社員ではなかったし、ブラック企業は残業代を払わなかっただけで、いずれも裁量労働制が招いたものではない。むしろ36協定に代表される古くさい労働基準法の世界で起きていることである。それを反論の材料にするのは筋違いであり、法案潰しの印象操作だ。ハローワークにインチキな裁量労働の求人が出ていると言うが、それはハローワークの問題で別の話だ。厚労省が取り締まればいいだけのことだ。

 野党やマスコミの批判を聞いていると、裁量労働制がさも低賃金の単能労働者に対する労働強化のような議論をする。大間違いではないか。自民党が提案する裁量労働制は、高い技能や技術を持った年俸1075万円以上の高給取りを対象にしたものだ。低賃金の派遣社員やコンビニアルバイトではない。日本企業ではそれほどの高給取りはほんの一部のエリート社員である。彼らは労働時間など気にせず、創造的な仕事をしている。グーグルやアップルやアマゾンなど、今をときめくアメリカのトップ企業は、ほとんどが裁量労働の頭脳労働者が支えている。そうでなければIT分野で世界のトップ企業にはなれない。日本でいつまでたってもグーグルやアップルが生まれないのは、企業社会が裁量労働を使いこなせず、才能を活かせないからだ。

 昔勤めていた会社に東大出のスーパープログラマの先輩がいた。まだ日本にコンピュータもろくにない時代、たった一人でFORTRANコンパイラを1ヶ月で作った。仕事ぶりは変わっていて、好きなときに会社に来て、好きなときに退社した。気が乗ると誰に言われなくても徹夜仕事をした。裁量労働の典型である。36協定でがんじがらめの人事部は困り果て、ちゃんと定時勤務してもらわないと成績の査定が出来ないと、部長が頭を下げて頼んだが、応じなかった。日本のビルゲイツかスティーブジョブズかと言われながら、とうとうこの先輩が出世することはなかった。年商5兆円で飛ぶ鳥を落とす勢いだった会社も、今では三流企業に落ちぶれている。

 与太話ついでに、自分と同じコンピュータ部門に配属された同期社員が30人ほどいた。日本のコンピュータ産業の黎明期で、新入社員は朝から晩まで働きづめだった。徹夜、休日出勤は当たり前で、毎月の残業が100時間、200時間はざらだった。先日都内某所でOB会をやった時、酒の肴に残業で自殺した電通女子社員の話が出て、100時間ぐらいでいちいち死んでいたら、このOB会はなかったなと笑い話になった。今とは違う昔の話だが、若い人達の労働観が変わったのだろうか。たった100時間の残業に耐えられず死を選ぶとは、贅沢な世の中になったものである。

 話を元に戻して、野党だから与党攻撃や政策批判をするのは良しとしても、時計の針を野麦峠の女工哀史時代に戻すような古くさい労働観、労働法制議論は如何なものか。反論を聞いていると、肝心の生産性向上はどこかへ行ってしまい、長時間労働や過労死防止策ばかりがまな板に上げられる。そんなものは今までの労働基準法で十分対処できる。働き方改革でも何でもない。サラリーマンの違法な長時間労働は、労働基準監督署がきっちり対処すれば防げるもので、役所が怠慢なだけだ。それを印象操作に使って廃案に追い込んだら、革新が止まる。いやしくも野党が革新政党を名乗るなら、少なくとも今までの古い労働観に固執せず、新しいアイデアや世の中を革新する意気込み、姿勢が必要だ。憲法改正議論もそうだが、古い殻に閉じこもって与党政策にケチをつけているだけでは、国民に見放される。

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