伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年12月31日: 本年最後のドライブ旅行 U.H

アザラシ

 12月19日から22日に掛けて、一人で静岡方面にドライブ旅行に行ってきた。もちろん家内を誘ったのだが、今回は家に居たいということだったので一人旅となった。この時期に旅を意図した背景は、年に一度受診する人間ドックが12月16日にあり、それが済んでヤレヤレいう気持ちで出かけたのでる。人間ドックの受診は望んで受けるものではあるが、それはそれでストレスでもある。

 4月から11月にかけては川崎の本宅と群馬県嬬恋村の山荘を行き来するので、それ以降の寒冷期には伊豆半島や房総、駿河・遠州・三河などの温暖なエリアへ出かけることが多くなる。一方、家内は車の免許を持たないので、運転手一人でのドライブ旅行は片道200余キロ程度がまずまずのところであまり遠方には出かけない。さて今回は初日:静岡市泊まり、二日目:浜松市泊まり、そして三日目:沼津泊まりという余裕ある日程で出かけたが、ずっと好天に恵まれた良い旅であった。

ジャガー

  初日、まず御殿場から第二東名を走って新静岡ICから日本平へ抜け、お目当ての「日本平動物園」を訪れた。「動物園巡り」は家内と共通する興味の対象で、あちこちに行っている。日本平動物園は動物の展示形態に工夫があって、金網や柵越しばかりでなくガラス越しの近接した位置から動物に接することが出来る。またどういう理由なのかわからないが、他の動物園で見られる「いつも動物たちはお昼寝中」ということが少なく、シャンとした姿に結構お目にかかれるのである。添付の写真を見ていただけばお判りいただけよう。

トラ

 宿は、一人旅の場合、ビジネスホテルが手軽なので、静岡では街の中心部にある「静岡ガーデンホテル」(朝食付き)を予約した。チェックイン後 静岡の街に出て、家内に頼まれていたタタミイワシ、(田作り用の)ごまめ、そして干し桜エビなどを馴染みの老舗で購入した。夕食はこれもお目当てのイタリアン・レストラン「Adorno」へ出かけた。Adornoとはシェフの名前で、ブラジル人とイタリア人のハーフという50年配の珍しいおっさんである。もう永いこと静岡で店をやっていて、小生も7、8回は訪ねている。Adornoシェフ一人が厨房に入り、日本人の奥さんがサービスを受け持つささやかな店だが、シェフも時折気さくに笑顔を見せて楽しい店である。今回も「お久しぶり」などと上手な日本語で声を掛けられた。そしてイタリア直輸入の生ハムを大きな股の塊から切り分けてくれるのもうれしい。

ピューマ

  二日目は国道で浜松方面に走り、今年の大河ドラマのテーマとなった「井伊谷」を訪ねた。ドラマ以前にも歴史小説などで「井伊」の発祥の地は聞き知っていたが、現地に入って「井伊谷城跡」に登ったのは初めてである。城山から井伊谷を見下ろすと、遠くに浜名湖が見えて、程良い広さに田園が広がっている。ドラマの舞台は戦国期で、地侍である井伊家の歴代が今川や徳川、武田などの列強に翻弄される場面が多かった。武田信玄に対する徳川の死闘と敗戦で名高い「三方原」も近接地であり強烈な緊張が走ったことと推察されるが、平時の井伊谷は気候も温暖で実りの豊かな楽園であったことが偲ばれる。

 次いで、この日も「浜松市動物園」を訪れた。同地には「フラワーパーク」も隣接していて、かつて広大な山林を開いた施設であることが想像される。ちなみに「日本平動物園」は入園料が610円で、静岡市民のみ高齢者割引があったが、「浜松市動物園」では部外者でも70歳以上無料ということであった。しかし財政的に厳しいのか、動物たちは高齢化が進んでいるようで、子供達を乗せることで人気だったポニーが「高齢化のため記念撮影のみ」と書かれているような具合であった。野生動物の保護が厳しく言われている影響で、若い個体を入手することが難しくなってもいるようである。この日は、昨日とのバランスで魚介専門の和の居酒屋で夕食を摂ることとした。首都方面とは物価水準が違うのか、一品の盛り付け量が多く、数品を食べたらお腹がいっぱいになってしまった。

 少し筋が違う話になるが、地方に行くと定年までの30〜40年を組織で勤め上げる人が限られ、結果として20万円レベルの厚生年金を貰う人は少ないそうだ。一方で、自己所有の土地・家屋があり、畑で蔬菜などを自給している家庭が多いため、基本的な生活費は案外安く済んで、国民年金に短期間の厚生年金分を上乗せしたレベルでも心静かに暮らしていけるとも言われている。浜松と言えばそれなりの都市圏であろうが、居酒屋での飲食を通じて地方での暮らし安さを垣間見た思いであった。

高天神城跡

  三日目は、浜松から国道150号線を東行し、遠州街道の「横須賀町並み商家街」を辿り、次いで「高天神城跡」に回った。高天神城は、駿河の今川が遠州攻略の拠点として築いた城であるが、その後は徳川と武田の最前線となった処である。武田信玄は徳川方が守る当城を囲んだのだが一戦もしないで退いた経緯がある。その後、信玄の子である勝頼が当城を攻めた際には、城将は持ち堪えることが出来ずに開城した。勝頼は「父・信玄が落とせなかった城を自分は落とした」と得意だったようだが、その後間もなく勝頼は長篠の戦いに敗れ、高天神城も守りきれず、ほどなく天目山で滅亡という道を歩んだ。つまり信玄は局地での戦闘にこだわらず、甲斐の国の内政、諸国との外交など、幅広い視点に基づいた戦略によって、ひとたび囲んだ陣を解いたのだろうが、勝頼はひた押しに城を抜いたものの大局における退勢に気づかなかったようだ。強者どもの夢の跡である高天神城跡は、今はひっそりと佇んでいる。

ハチビキ

 それから遠州灘沿いを御前崎に抜け、さらに駿河湾沿いに清水に至り、千本松原から沼津へと走って、当夜の宿にたどり着いた。ここも宿はビジネスホテルであるが、その中にこれもお目当てのイタリアン・レストラン「allegro」がある。イタリアで修行してきたという若いシェフがやっているのだが、駿河湾産の魚介を上手に使った美味しいイタリアンを食べさせてくれる。安ホテルには勿体ないような優れものの店なのだ。「前菜の盛り合わせ」でワインを楽しんだが、これもコストパフォーマンスの良い内容だった。ムール貝のバター・ソース添え、ローストビーフ、ジャガイモと自家製ベーコンのグラタン、紫キャベツの酢漬け、そして「ハチビキ」という珍しい鮮魚のカルパッチョ。以上がたっぷり盛り合わせられて1600円である。締めにゴルゴンゾーラ(チーズ)のピザを頂いたが、これも絶品だった。

  最終日は、沼津インターから東名に乗って、ひたすら帰路についたので、昼前には川崎へ帰宅出来た。若い人なら日帰りでも辿れるような行程であるが、3泊4日の優雅なドライブで、全行程で560キロであった。

  さてさて今年もよく遊んだ。嬬恋村の山荘には65泊し、加えて山荘を起点にして信州・上州・新潟など周囲に10泊のドライブをしている。かなり優雅な生活と言えるが、若いときそれなりに刻苦勉励したご褒美である。キザな言い方だが、ゴルフも競馬・競輪、パチンコもせず、キャバレーやスナックにも行かず、もちろん女も買わず、映画や芝居にも行かず、タバコも吸わず、週刊誌も宝くじもチュウインガムも買わないで50余年を過ごしてきたのだから・・・・。酒も青年期には嗜まなかったが、勤務先で30代に営業に配属され、部下を持つようになってから、宮崎県出身の新人が仕事帰りに飲みたそうな顔をするので共に飲むことが増え、40歳位から晩酌の味を覚えた晩熟である。 さあ帰宅したら我が家の掃除などお務めを果たさないと、さすがに日頃穏健な我が家内もオカンムリになりかねないので、そこそこがんばるつもりである。

  ではみなさま、良いお年をお迎え下さい。

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