伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年11月12日: メディアとしての新聞の終焉 T.G.

 子供の頃から家にあったのは朝日新聞である。当時の天声人語は格調と名文の誉れ高く、たびたび東大の入試問題に使われた。朝日新聞に書いてあることはすべて正しいと思っていた。中学校の社会科の仁科先生が「新聞に書いてあることが正しいとは限らない。必ず裏がある。裏を読め。」と授業中に繰り返し話された。後年、先生の教えが正しいと気がついたが、その頃は何を言われているのかピンとこなかった。朝日新聞に書いてあることはすべて正しいと疑わなかった。

 その惰性で、大学を出て就職、結婚した後もずっと朝日新聞を購読していた。当時は大学出の若者の大方がそうであったように、社会党支持で護憲、反安保。慣れ親しんだ朝日の論調に特段の違和感を持たなかった。なんとなく違和感を感じるようになったのは、だんだん世の中が分かってきた働き盛りの中堅社員の頃である。当時小学生だった息子が少年野球チームに入って、お気に入りの原辰徳モデルのグローブを買ってもらってサードを守っていた。大の巨人ファンで、甲子園に行って巨人に入るんだと張り切っていた。それなのに、朝日の朝刊のスポーツ欄を開くとトップ記事は西武近鉄戦で、肝心の巨人戦は隅っこの方に追いやられていた。当時は長島巨人の全盛期である。朝日以外のどの新聞も巨人戦がトップ記事だった。「お父さん、この新聞はおかしいよ」と息子が言い出したのを機に、40年続けてきた朝日をやめ、読売に変えた。

 会社勤めをしていた頃は、もっぱら仕事用に職場でとっていた新聞を読んだ。お役所との渉外を担当する部門で、情報源として三大紙と日経のほか、赤旗、聖教新聞まで揃えてあった。毎日それを並べ読みしていたら、40年前の、仁科先生の教えの正しさがやっと完全理解できた。新聞には従軍慰安婦のような意図的でまことしやかな嘘が多い。気を付けて読まないと騙されると。パソコン会社に勤めていたので、退職後はもっぱらネットが情報源になり、新聞はあまり読まなくなった。情報量が少なく、一面を斜め読みするだけになっていた。そろそろ無駄な新聞購読はやめようと思っていたら、家人の親友の婿さんが産経新聞に勤めていて、頼まれて産経に変えた。別に右翼に宗旨替えしたわけではなく、単なる義理新聞である。義理を果たしたらやめようと思っている。

 40歳を過ぎた働き盛りの息子の家庭では、新聞は購読していない。キャリアウーマンの嫁さん共々フルタイムで働いているので、家で新聞を読む時間がないこともあるが、彼ら世代の情報源がもっぱらスマホであることも与っている。仕事に必要な日経の経済情報も、ネット契約してスマホで読んでいる。紙の新聞は読まない。同じ理由でテレビニュースもほとんど見ない。要するに新聞テレビは当てにしていないのだ。彼らより若い20代、30代はなおさらその傾向が強いだろう。情報メディアとしての新聞テレビの役割、存在意義が消滅し始めている。

 新聞テレビがあれほど加計森友で安部攻撃を繰り返し、世論調査の内閣支持率を大幅に下げさせたにもかかわらず、先の選挙結果は自民圧勝という、まるで正反対の結果が出た。それはおかしい、何かの間違いではといぶかるのは、新聞テレビ側の識者と読者だけである。ネットの世界ではとっくに安倍自民の勝ちを見通していた。そのことは前の日誌にも書いた。森友加計に影響されたのは、新聞テレビしか見ない50代以上の年寄りだけで、30代以下の若い年代層はほとんど影響されていない。過半が依然として現実的な自民党支持なのだ。新聞テレビの世論調査では、そういう彼らにとって不都合な真実は、この世に存在しないことになっている。存在しないことは書かないし、理解もできない。

 今年3月に実施された「あなたの支持政党はどこ?」と言う東大新聞のアンケートでは、圧倒的に多いのは自民党支持の36%で、2位の民進党の3.4%をぶち抜いている。残りの共産、公明、維新の支持率はまさにゴミのような数字である。おそらくこのアンケート後に生まれた希望の党や立憲民主党も同じだろう。勉強好きの東大の学生は同じ年齢層に比べて相対的に情報量が多く、知的で理性的な若者達である。これが若者世代の社会認識の典型的パターンだとすると、後は推して知るべきだろう。ネットではよく知られたアンケート結果だが、こういう自分たちにとって不都合な真実を新聞テレビは絶対に取材しないし書かない。だから読者は知らない。なぜ評判の悪い安倍が勝ったのか、不思議でならない。若者が右翼になったのかと誤解する。見当違いも甚だしい。

 ネット情報誌のnetgreekの中で、ある東大生が「『なんで自民党を支持するのですか?』とアンケートをとったところ『国が好きということに右も左もないのに、好きって言った瞬間に右翼だと言われてしまうこの風潮が馬鹿らしい』、『安全保障はリアリズムに基づいていかないといけないのに非現実的な議論が国会で多すぎる』と。そういったところに飽き飽きしている若い人たちはどうしても多くなっているということを私も感じます」と発言している。頑迷固陋で世間知らずな大人達より、よほど現実的で理性的に世の中を見ている。新聞テレビのフェイクに惑わされない。これが若い世代に共通した社会認識であるとしたら、日本もまだまだ捨てたものではない。メディアとしての新聞テレビの役割は終わったと言うことだろう。

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