伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年8月17日:「戦争にチャンスを与えよ」を読む。 T.G.

 最近評判になっているエドワード・ルトワック著「戦争にチャンスを与えよ」(文春新書)を読む。著者のエドワード・ルトワック氏はルーマニア生まれのユダヤ人で、イギリスとアメリカで経済学と地政学を学ぶ。現在はフリーの軍事アドバイザとして世界各地の軍や政府首脳にアドバイスを行う戦略家である。中国の大戦略論をまとめた「自滅する中国」、続編の「中国4.0」が世界的なベストセラーになって広く知られるようになった。

 本書ではもっぱら戦争と戦略を論じながら、まったく畑の違うフランスの人口学者、エマニュエル・ドットと似たような結論を導いていることが興味深い。たとえばヨーロッパ(EU)の必然的な衰退、アメリカ政治の混乱と地位低下、経済小国ロシアの戦略的したたかさなどである。またこの著書の中で、戦略的観点からの日本への提言を幾つか上げているが、いずれも傾聴に値する内容である。彼は最近安部首相と会談しているが、安倍を近来希な戦略家だと高く評価している。安倍がトップでいる間は日本は大丈夫だと言わんばかりに。

 本書の骨子は最初の40ページ、「自己解題、戦争にチャンスを与えよ」に尽きる。彼は戦争は平和をもたらすためにあり、平和が戦争を呼ぶと逆説的な主張をする。この逆説的論理(パラドキシカル・ロジック)が彼の戦略論のベースになっている。戦争はどちらか一方が完全に勝利を収めるか、双方共に疲弊し、和議に達すれば終わる。その途中で決して第三者が介入してはならない。介入すると戦争はいつまでたっても終わらない。最悪なのは人道主義を旗印にした国連やNGOの介入である。国連やNGOの難民キャンプは疲弊した兵士に再び活力を与え、紛争を長引かせるだけの効果しかない。その代表例がパレスチナである。70年経っても紛争は終わらない。それ以外にもルワンダの内戦、コソボ、シリアの内戦、イラク戦争、リビアのカダフィ排除など、多くの介入事例がいずれも平和にはほど遠い。

 戦争には戦術、戦略、大戦略の三段階がある。いくら戦術(軍事力)に長けていても、戦略がお粗末だと戦争には勝てない。戦略はその上の大戦略に負ける。ドイツや日本の軍隊は戦術には長けていたが、戦略が劣っていたので負けた。ロンメルや真珠湾攻撃の山本五十六は無敵だったが、勝利への貢献度はゼロである。さらに勝利の帰趨は大戦略で決まる。大戦略は同盟の広がりである。ヒトラードイツの陸軍は無敵だったが、イギリスに勝てなかった。ドイツの同盟が貧弱で、イギリスのそれは広汎かつ強力だったからだ。

 歴史的に見て、同盟の重要さを認識していたのはイギリスと徳川家康である。イギリスは戦争に臨む際、常に軍事より同盟に重きを置いた。屈辱的外交をしてまで同盟関係を手厚くした。その結果イギリスは千年以上負けたことがない。ドイツは優れた軍事力を持ちながら戦うたびに負けた。同盟関係を重んじた徳川家康は300年間政権を維持できたが、そうしなかった武田信玄や織田信長は一代で滅んだ。大戦略で重要なのはディシプリン(規律、忍耐力)である。目の前の戦術に惑わされて規律を逸脱してはいけない。このことに最も長けているのはイギリス人である。

 かってヨーロッパ人が世界を席巻できたのは、古代ギリシャ、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の個人主義と「イーリアス」の“戦士の美徳”による。それらの思想の上にキリスト教の情熱と戦闘的要素が加わって世界制覇を可能にした。イーリアスには二つのことが書かれている。「男は戦いを好む」、「女は戦士を好む」である。この法則をあざ笑う社会は例外なく出生率が低下する。第二次大戦後の文明が進んだヨーロッパはこの法則を忌み嫌うようになり、人口が減少し始めた。この先ヨーロッパ(EU)の消滅は不可避である。イーリアス思想がかろうじて残っているのはイギリスとトランプのアメリカだけだ。

 尖閣についてのルトワック氏の提言である。中国と対峙するとき、今の日本がとっている曖昧さが最も危険である。日本は決して自国中心の見方をしてはいけない。重要なのは中国が尖閣に何をしてくるかだ。今やるべきは日本が先手をとって魚釣島で物理的なプレゼンスを示すことだ。具体的には“漁業資源保護部隊”を結成して、隊員を尖閣に駐在させることを提案する。スキューバダイビングなどの訓練をし、明るい制服を着せ、軽武装もさせる。そのような行動は挑発的過ぎるという批判もあるだろうが、中国に先に同じことをされたら打つ手はない。何も出来ないか武力衝突に至るかのどちらかである。奪還作戦はリスクが大きすぎる。

 中国についての見方である。中国は巨大な国で経済も拡大しながら、対外政策がアフリカの小さな独裁国家のように不安定である。イデオロギーと経済の減退によって北京政府の統治能力が弱まっている。それを押さえるために汚職撲滅を理由に粛正を繰り返し、権力の集中化を図っている。これは矛盾している。中国の政治システムは汚職で成り立っていて、その頂点が習近平なのだ。中国は隣国を見誤る伝統がある。ベトナムをよく知らず、戦争を仕掛けて負けた。日本の安倍を優柔不断なリーダーと見誤り、外交成果を上げられない。ここから引き出される教訓は、中国に対して極力曖昧な態度を避けることだ。最善の対抗策はアメリカ、インド、ベトナム、オーストラリアと組んだ「反中同盟」である。フィリピンは当てにならない。

 北朝鮮の軍事技術は侮れない。極めて短期間に核とミサイルを開発をした。危険な域に達している。これに対して「まあ大丈夫だろう」といういつもながらの態度を日本はとるべきではない。相手に誤ったシグナルを送るだけだ。日本政府は自ら動くべきだ。その際の戦略上の選択肢は降伏、抑止、防衛、制裁、先制攻撃の5通りである。制裁が効果がなかったことは今まで明らかだ。ミサイルに対して現段階で完全な防衛は不可能である。抑止は日本の核武装以外あり得ない。降伏は戦略的には立派な選択だが、はたして日本国民が納得できるか。そうなると残るは先制攻撃しかない。自衛隊の特殊部隊を核施設にパラシュート降下させ、携行型の特殊爆弾ですべて破壊する。もちろん特殊部隊は犠牲になるだろうが、1億2千万の国民は守れる。はたして日本にそれが出来るか。イスラエルはイランに対してそれをやっているが。

 目の前で繰り広げられている金正恩とトランプのチキンレースを、日本人は呆然と見守るしか手がない。政府は対話と圧力一点張り。マスコミは相も変わらぬ他人事のワイドショー。国民は無関心。日本はルトワック氏の戦略論と提言に少しだけ耳を傾けて損はないのではないか。北朝鮮がウクライナから密輸入した完成品の核弾頭とICBMを持っていることはほぼ確かなのだ。完成品の核弾頭を所持している金正恩は、もはや核実験の必要がない。

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