伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年8月12日 心と身体と伝蔵荘日誌みたび GP生

 毎年、何故か5月、6月に同窓会や同期会か集中する。各卒業校のクラス会と鉱山勤務者の親睦会、それに伝蔵荘の例会等だ。小学校のクラス会は、自分も委員の一人なので欠席するわけにはいかない。担任のGo先生が亡くなられてから、3人の委員でクラス会の運営を続けている。昭和27年の卒業であるから、全員後期高齢者だ。クラス55名中、案内を出しているのは22名、亡くなられた方や連絡不要と案内状を拒絶される方も多い。例年、出席者は12〜15名を数える。

 返信葉書の欠席理由を読んで考えさせられた。手術直後、リハビリ中、連れ合いの介護、意欲の低下等々で、何れも高齢者であれば、誰でも直面する問題だからだ。出席者でも身体事情はそれぞれだ。皆多くは語らないが、医者と薬に縁が無いのは、委員の一人であるTa君ぐらいだろう。彼はクラス会の翌日、仲間と泊まりがけのサイクリングに出かけたり、里山の管理をボランティアで行っている。その他多くの仲間は、元気そうに見えて、殆ど投薬を受けている。自分にしても、前立腺ガン治療後の要観察中の身だ。6ヶ月に一度検査のための病院通いが後3年続く。

 小学校時代の仲の良い仲間二人が、最近相次いで入院した。一人はKo君で、ジム仲間でもある。最近ジムに現れない。心配して自宅に電話したら、両膝の手術のため入院したと言う。長年の大工仕事で膝関節に負担をかけ、軟骨が減少し傷みが生じたのが原因だ。最近O脚が酷くなった。定期的にヒアルロン酸を注入して対処療法をしていたが、思い切って根本治療に踏み切ったようだ。もう一人は女性のKuさんだ。Ko君が入院した事を知らせるため、携帯に電話したら、本人は病室に居た。長年煩っていた股関節に人工関節を入れる手術をしたとのことだ。以前から、彼女が杖をついて歩く姿に痛々しさを覚えていた。二人とも78歳。身体は衰えても、生きる意欲と心は萎えていなかった。高齢者の手術故、退院までには、かなりの日数を要するようだ。

 人はこの世に生を受けた以上、肉体が機能しなければ生きられない。子供時代は戦後の食糧難の中、粗末な食生活であったが成長できた。若い時代は粗食であっても病気一つすること無く、元気いっぱいであった。高齢期になれば、身体機能を維持するための努力が必要になる。通常、健康を維持する三大要因として、食事、運動、睡眠と言われているが、問題はその中身だ。高齢期になれば、エネルギー産生力や免疫力、筋力、視力、聴力等が低下し、膝や背骨の軟骨が減少して痛みが生じることもある。加齢の進行につれて、色々な代謝機能が低下してくるからだ。

 高齢者にとって「食」は最重要課題だ。食に無関心で居ると免疫力低下による発病に見舞われることになる。若い時には縁が無かったガンが中高年に発症するのは、免疫力低下が第一要因だ。呼吸した酸素の2%は細胞内で活性酸素に変わると言われている。活性酸素はDNAを傷つけ壊し、ガン細胞の芽を造る。血管の内細胞を傷つけ、動脈硬化の原因となる。本来人体は、活性酸素を除去する機能や壊れたDNAを修復する防御機能を有している。若いときは、防御機能が盛んに働くから、激しい運動で大量の酸素を消費しても、身体異状は起こらなかった。高齢者である事は、長時間活性酸素に晒されてきた証だ。生来のDNAと食生活を含む生活習慣の結果が、高齢者の身体状態を左右する事になる。

 身体機能の衰えは、心に影響を及ぼす。高齢者にとっては、健全な肉体に健全な精神が宿るのが理想だが、現実は厳しい。若い時代は、肉体が健康である事は自明の理だから、精神の健全さを第一とした。心に宿る魂は、輪廻転生を繰り返し成長を続けても、現世に生きるには、魂の乗り船たる肉体の健康は必須だ。クラスの仲間は、身体に問題を抱えつつ、前向きに生きることに努力をしている。加齢の進行につれ肉体は傷み続けても、人が生きる努力を続けられるのは、心の存在があるからだ。

 最近の自分を省みると、意欲の減退を感じる事がしばしばある。家業のマンション管理にしても、身体を使う仕事に手が着かないことが多いのだ。入居者からの切羽詰まった要望には条件反射で行動できても、労多い仕事には作業衣に着替えてから、気合いを入れないと行動が鈍るのだ。身体の衰えは、持ち上げられる重量物が減少したぐらいで不自由は感じない。しかし、心の働きは間違いなく衰えている。

 昨日も、入居者からエアコンから異臭が出ているとの苦情があった。清掃道具一式を持って駆けつけた。異臭は、空気中の異物がエアコン内部に沈積し、湿気によりカビが発生した結果と推測した。分解して洗浄剤をスプレーし、手の届く範囲を清掃した。部品を組み立てる段になって、手間取ってしまった。分解した手順の一部が頭から欠落してしまったからだ。年配入居者ご夫婦が黙って見ているのもプレッシャーだ。以前は、感じなかったことだ。苦労して組み立て終わり試運転した結果、異臭は完全に消失していた。

 通常、トラブルが生じたとき、原因を推測し対策を考え、材料や工具を準備して現場作業に入る。現役時代を含め何度も経験してきたことだ。原因が予想した事態と異なっていても、現場で対象物を眺めていると閃いたものだ。最近、この閃き力に衰えを感じることが多くなった。間違いなく老化による心の衰えだ。以前、自力で対処したトラブルも業者の力を借りることも多くなった。

 振り返ると60代は、人としての生臭さが十分残っていた年代に思える。人生の終焉は未だ遙か先のことに思えるからだ。松居一代60歳は、自身のブログやYouTubeで、夫・船越英一郎に対して罵詈雑言の限りを尽くしている。裏切られたとの妄想に駆られているからだ。夫が逃避した原因が松居自身の言動にある事に、当人は思い至ってはいない。誰も、この暴走を止めることは出来ないだろう。激しすぎる愛情が相手に届かなければ、憎しみに替わる。彼女の心は、相手を徹底的に貶める事が、生き甲斐に転じている。この先、彼女の人生には、自滅の淵が待っているように思えてならない。

 昔、唱和した「心力歌」の一節に、「内なる宝をよそにして、人は形ある宝を求む。求むるところいよいよ多く、失うところますます繁し。自らなえる迷いの縄に、身を繋ぎまた心を繋ぐ。」とある。松居一代は、この迷いの中にあるのだろう。自らの心の迷いは、自ら正すしか術はない。果たして彼女には出来るだろうか。

 松居一代のみならず、自分にしても、高齢期を迎えても悩みは尽きず、悠々自適の生活に程遠いのが現実だ。高齢者にとっての現実は、自身が生きてきた集積であり、他に責任を転嫁することは出来ない。この世に生を受けた目的は、「輪廻転生する魂を磨き、大きく丸くすることにある」と学んだ。「内なる宝」を求めることが、残された人生をより豊かなものにする事になろう。他を恨み憎むことは、迷いの縄に囚われることになる。自戒すべきことだ。

 伝蔵荘日誌は自分の心を整理する場でもある。又、文章を書くことは脳細胞の活性化に繋がると信じている。最近、投稿する回数が減少したのは、仕事に対する意欲の低下と無関係ではない。心と体は人にとって不可分の関係だ。高齢者にとって身体の健康があってこそ、生きる意欲のレベルを高めることが出来るのだ。健康にもレベルがあるように、心のレベルを低下させぬためにも、伝蔵荘日誌への投稿は、意欲を持って臨まねばと思っている。

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