伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年7月29日: 陸自のクーデターを許すな! T.G.

 昭和5年、ロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口内閣を軍部が激しく攻撃した。明治憲法第11条、12条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、「天皇ハ陸海軍ノ編成オヨビ常備兵額ヲ定ム」とあり、陸海軍の兵力を決めるのは天皇である。その天皇をさしおいて、政府が兵力数を決めたのはけしからんと。野党政友会の犬養毅や鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)はこれを政争の具にして、議会で「統帥権干犯」と政府を攻撃した。浜口首相は「憲法の趣旨は内閣が天皇を補弼する責任内閣制度であり、憲法違反ではない」と退けたが、右翼や海軍から恨みを買った浜口は後日右翼に狙撃されて重傷を負い、退陣に追い込まれた。この流れは五・一五、二・二六の二大クーデターにつながった。以後内閣は軍を統制できなくなり、軍部独裁のまま敗戦に至った。

 稲田防衛大臣がPKO活動の日報問題の責任をとり辞任した。稲田氏の大臣としての資質は別として、今回の辞任劇にはえも言われぬ不快感、違和感を覚えた。これは90年前と同じ陸上自衛隊のクーデターであり、それに乗せられた野党とマスコミの倒閣劇なのではではないかと。この流れがやがて政治を弱体化させ、日本の議会制民主主義や安全保障を崩壊させるのではないかと。今日のJBpress誌に「陸自の「クーデター」を許すな、安倍首相と稲田大臣は民主主義の防波堤」と言うガバナンスアーキテクト機構研究員部谷直亮氏の一文が載っている。小生の思うところを過不足なく書いた内容なので、以下に要約する。

  稲田大臣は今や安倍内閣の中で最も評判が悪い閣僚である。失言も多く、記者会見も頼りない。連日連夜、彼女を支えている統幕・内局に不利な、一部の陸自幹部からとおぼしきリーク情報が報道されている。これでは防衛大臣は務まらない。そのことは十分承知の上で、稲田大臣は最低限でも次の内閣改造、もしくは今後の道筋がつくまで留任すべきである。なぜなら、それに今や日本の文民統制の今後がかかっているからだ。もし今回の件で稲田大臣を引責辞任させれば、歴史的事実として残るのは、制服組がリークによって大臣を辞職させ、首相の政治生命すら危うくさせたという悪しき前例である。

 これはゆゆしき事態である。なぜなら、今後は誰が防衛大臣になっても、自衛隊制服組に対して“忖度”せざるを得なくなってしまうからだ。その結果、陸自の不祥事を追及できず、防衛省改革が不可能になるおそれがある。今後、優秀かつ熱意あふれる防衛大臣が誕生しても、自衛隊の不興を買えば真偽不明の内部リークで潰されてしまう可能性がある。昭和初期の515事件や226事件といった軍部のクーデターやテロによって、その後の政治指導者や軍高官が委縮したことを思えば想像に難くない。

 もちろん、今回のリークは武力によるクーデターでも文民統制からの逸脱でもなく、単に大臣の統治能力の問題だという指摘もあるだろう。だが問題をそういう風に矮小化すべきではない。近年の米国では、文民統制をいかに確立するかではなく、すでに確立された文民統制をどのように運用していくかが主要な論点となっている。現代的な文民統制とは、武力によるクーデターをいかに防ぐかという古典的論点ではなく、正規の手続きに拠らない軍の政策決定への容喙をどう防ぐかが課題になっている。

 その米国でも2000年代から軍部のリークによる政策決定への介入が相次ぎ、ゲイツ国防長官を中心に論争が巻き起こった。この論争について、政軍関係研究者のピーター・フィーバーは、「軍人にとっての一義的な“文民”とは国民なのか、大統領や国防長官なのか」という前提の違いによるものとした。その上で、前者を「専門職制至上主義者」、後者を「文民至上主義者」と呼んだ。前者が「文民が国民である以上、軍は政治指導者の誤りを正すためにリークを含めて世論に積極的に呼び掛けるべき」とする一方で、後者は「文民である大統領や国防長官は、指揮系統の上位者として積極的に軍事作戦計画の立案などに介入すべきであり、その際、軍はあくまでも政権内部における助言に徹するべきで、リークといった行動をするべきではない」とした。米国では、政策的にも学説的にも、後者の「文民至上主義者」の立場が主流である。つまり、軍のリークによる政策変更の試みを容認する意見は少なく、それを試みた軍人たちは処罰されている。

 今回の日報問題は、陸自(軍)がリークによって国民を煽り、首相や防衛大臣に政策変更を迫っているのと同じである。しかも米軍人ですら実行しなかった国防大臣や首相の変更が、結果的に行われる可能性もある。武力を伴わないだけで、結果的にはクーデターと変わらない。軍が政治指導者の過ちをただし、国民に直接説明するという姿勢は一見もっともらしいが、極めて危険な行為である。なぜならば「国民」はひとかたまりではなく、多種多様だからだ。「国民のため」という発想は、「天皇陛下の御為」「国民の為」を掲げた226事件がそうであったように、「自分と同じ考えの国民」という独善に容易に陥る。だからこそ、今回のリークはあってはならないクーデターであり、重大かつ深刻なのだ。能力資質は別として、この問題に関しては安倍首相と稲田大臣は議会制民主主義の防波堤の役割を担っている立場にある。

 今回のリーク騒動で稲田大臣が解任されれば、今後の自衛隊の海外活動にも支障が出るだろう。現在の野党は「日報」の存在を知り、大臣と政権の首を取れる文書だということに気がついた。将来の野党もそうだろう。今後は海外に自衛隊が派遣されるたびに、野党は連日日報の公開を要求してくるだろう。そうなると政権は政治問題化を避けるため、自衛隊の海外派遣を控えるようになる。海外派遣を決断したとしても、部隊運用への執拗な政治介入を許し、満足な活動はできなくなるだろう。こうした事態を避けるため、少なくとも日報問題を踏まえた文書管理のあり方、方針を決めるまで、稲田大臣を辞任させるべきではない。稲田のためではなく、悪しき前例を作らないために。

 もともと日報問題は大した問題ではない。それを野党とマスコミは鬼の首を取ったように騒ぎ立て、防衛大臣を辞任に追い込んだ。部谷氏の言うとおり、この問題は森友加計と同類のスキャンダルではなく、情報リークによるれっきとした軍(制服組)のクーデターなのだ。野党もマスコミも、それに乗せられた国民も、ことの意味や深刻さが分かっていない。戦後70年経っても、議会制民主主義と文民統制の大切さを理解できない日本人には大いに落胆した。

目次に戻る