伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年6月19日: 加計、共謀罪のドタバタ国会 T.G.

 やっと加計、共謀罪のドタバタ国会が終わった。前の森友問題と合わせると三大ドタバタ劇である。格好の話題を失ったマスコミは、憑き物が落ちたように静かになった。あれだけ姦しかった共謀罪批判もどこかへ消えた。いったいあの騒ぎは何だったのか。

 ヤフーがビデオニュースドットコムというサイトの時局座談会を紹介している。「何をやっても安倍政権の支持率が下がらない理由」というタイトルで、一橋大学大学院の中北浩爾教授と東京工業大学西田亮介准教授の二人による座談である。議論のテーマを要約すると、「強引な政権運営が続く安倍政権が、秘密保護法、安保法制、武器輸出三原則の緩和等々、政権がいくつ飛んでもおかしくないような、国民の間に根強い反対がある難しい政策課題を次々とクリアし、危ういスキャンダルネタも難なく乗り越え、その支持率は常に50%前後の高値安定を続けているのはなぜか。」である。

 この問題提起に対して西田氏は、自民党の企業型広報戦略の成功と日本社会に横たわる世代間の認識ギャップの2つの側面をあげている。支持率の長期低落傾向に危機感を抱いた自民党は、1990年代末頃から企業型のマーケッティングやパブリック・リレーションズのノウハウを取り入れた企業型広報戦略の導入を進め、2000年代に入ると、その対象をマスメディアやインターネット対策にまで拡大させてきた。ネット世代の若年層を対象に、SNSや2チャンネルの監視も行うようになった。これに対しマスメディアや野党は対抗する「メディアの政治戦略」を持ち合わせていなかったために、予想以上の成果をあげている可能性が高いという。その花が第二次安部政権で咲いたと言うことだろう。

 この指摘はあながち間違いではない。たとえば加計問題で新聞テレビが寄ってたかって安部内閣を糾弾している最中でも、2チャンネルの書き込みを見ると賛否半々で、むしろマスコミや野党の偏った言い分に反発する、冷静で批判的な書き込みが多い。ほかのSNSなどでも同じ傾向だろう。表マスコミとネットの裏マスコミの落差である。2チャンネルは内容のない無責任な書き込みが大半だが、中には的を射た指摘もあって、世論のおおよその風向きは表している。新聞テレビだけを見ていると、あれだけ“乱暴な国会審議”を繰り返した安部内閣がなぜ潰れないのか不思議に思うが、それが一種の錯覚であることが分かる。

 加計問題のマスコミ報道を見ていると、安部内閣がさも国政を壟断する巨悪の権化のように言うが、実態はそれほど酷い話ではない。法にも反していない。そのことを多くの国民は知っているのだ。もし彼らが言うような醜悪な疑獄事件なら、もっとまともな報道の仕方がある。事実を克明に洗い出して世に問い、国会や司法を動かせばいい。それがマスコミの役目だ。なにも野党に“怪文書”を渡して無為な国会論戦をさせる必要はない。その好例は40年前のロッキード事件である。最後は検察が動き、国会で証人喚問も行われたが、これを可能にしたのは当時の文藝春秋である。絶大な権力を握った総理田中角栄の金脈政治をつぶさに調べ上げ、それを紙面に書くことで世論を盛り上げ、退陣に追い込んだ。それがロッキードにつながった。田中退陣には国会や当時最大野党の社会党は何もしていない。今回の加計、森友問題とは大違いで、マスコミは同じことが出来ていない。する気もない

 もう一つの指摘、世代間ギャップの問題である。各時点で支持率調査をすると、若い世代ほど自民党支持率が高い。最新の世論調査では20代の若者の安倍政権支持率は68%にも及んでいる。この支持率は加計、森友問題がマスコミで騒がれてもさほど落ちない。影響を受けて下がるのは50代以上がほとんどだという。西田氏はこのギャップについて、政権政党や保守政治に反発することをデフォルトと考えるのは「昭和的な発想」であり、今の若者はそのような古い固定観念がなく、違和感を覚えると言う。つまり我々古い世代のような、権力や保守に対する無条件でアプリオリな忌避感、嫌悪感がなく、より現実的な価値観で物事を見ている。反保守、反権力という色眼鏡でものを見ず、物事を是々非々で考える。まさに本物の戦後世代と言うことだろう。

 この指摘は頷ける。我々を含めた戦後日教組教育一期生の60代、70代は、反自民、反保守、護憲、反安保が頭に刷り込まれている。それが思考の基準点(デフォルト)になっている。たとえ経済活性化のための国家戦略特区であっても、それに安倍が絡むのは何かいかがわしい。それが発想の出発点になる。挙げ句の果てに、民進党に至っては戦略特区自体まで反対と言い出す始末である。坊主(安倍)憎けりゃ袈裟(戦略特区)まで憎い。これが50代以上の自民党支持率の低さの主要因だろう。その時代遅れの無意味な刷り込みが今の若い世代にはない。

 この若い准教授はなかなかいいことを言うが、座談の最後の締めくくりは頂けない。「若者の経済や雇用政策などへの関心が、かつて重視してきた平和や人権といった理念よりも優先するようになっている。そうなれば、やり方には強引なところはあるし、格差の拡大も気にはなるが、それでも明確な経済政策を掲げ、ある程度好景気を維持してくれている安倍政権は概ね支持すべき政権となるのは当然のことかもしれない。少なくとも人権や安全保障政策では強い主張を持ちながら、経済政策に不安を抱える他の勢力よりも安倍政権の方がはるかにましということになるのは自然なことなのかもしれない。しかし、これはまた政治に対する従来のチェック機能が働かなくなっていることも意味している。」などと言う。

 舌足らずで何を言いたいのか分からない。結論になっていない。若世代は物事を理念で考えず、損得で考える。今のままだと日本の政治はますます悪くなる。ゆえに若い世代の自民党支持は間違っている、と言いたいらしい。それまでの切れ味の良い分析が台無しである。それにしても、人権はともかく「安全保障について野党が強い主張を持っている」とはどういう意味か。野党の安全保障に関する強い主張など聞いたことがない。あるのは旧態依然の護憲主義だけである。これでは弱冠34歳の若い准教授の頭の中が、憲法改正=悪という、時代遅れの昭和デフォルトにとどまっていることになる。大学教授は評論家ではない。商売上、両論併記で自らの意見はいわず、耳障りのいい事をペラペラ喋る。そういう口舌の徒に成り下がってはいけない。これも戦後教育の欠陥か。

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