伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年4月19日: 嬉しさの三重奏 GP生

 悪い事が起きると続くことは多い。自分も何回か経験している。悪い事は重なっても、良い事、嬉しい事は続かないのが世の常である。ましてや年寄りにとっての日常は、嬉しい事には縁が遠くなる。ところが先日、その嬉しいことが一日の内に三つも重なった。たとえささやかな事であってもだ。

 一つ目は、自分の不注意が招いた、交通事故のトラブルから解放された事だ。3月中旬の朝、何時ものように大型ミニバンでスポーツジムに向かった。二車線の都道を左折して、狭く長い一方通行の直線路に入った。この路は交通量も人通りも少ない。自分は、法定速度の30qを少し上回る速度で走行していた。前方左側に、工事用軽自動車が停車していたので、ブレーキを踏み車速を落とした。前方右側に荷を載せた自転車がゆっくり走っていた。自分は車速を更に落とし、軽自動車を避けながら、車を心持ち右に寄せて徐行運転を行った。軽自動車近くで自転車と平行走行となった時、自転車が急にバランスを崩しヨタヨタと進み、人車とも、車の右前に倒れ込んだ。ブレーキを踏み車を止めて駆け寄った。年配の女性が自転車の下でうめいていた。

 70歳前後に見える女性を助け起こした。女性は、自力で歩けたが、足を引きずっている。左膝を打撲したようだ。女性が倒れる前に、車に接触した感覚は全くなかった。どんなに軽い接触でも運転手には感じるものだ。車を左脇に寄せ、警察を呼んだ。交通整理の女性警官が来た後、交通事故専門の中年係官が来て現場検証が始まった。事情聴取と現場検証の後、係官の判断は、「事故時、車と自転車は、ほぼ同じ速度で走行していた。女性の肘が車の運転席側の扉に軽く接触し、自転車はバランスを崩し車の前に倒れた」であった。運転席側ドアの一部に、埃がとれたかすかな跡が見て取れた。係官に「多分ここに接触したのだろう」言われた。運転免許証、車検証等の確認を終えて現場検証は終わった。係官は、病院に行って診断書を貰って警察に提示するよう女性に指示をし、自分にも署に来るよう要請された。現場検証が終わってから、保険会社に連絡をした。

 女性は、外科、整形外科病院の心当たりがないというので、自分の車で、近くの整形外科病院に送った。自分はそのまま所轄警察署に出向き、現場検証担当係官の話を聞いた。「今回の事故は、人身事故扱いではなく、物損事故扱いにする」とのことで、反則金、罰金、違反切符はなく、減点にもならないとのことであった。更に、「倒れ込んだ女性をよく轢かなかったですね」と言われた。接触時、車の速度を極端に落としていたから、急ブレーキで停車できたと思うと話した。女性が車と接触した状態、車の速度、怪我の程度から人身事故扱いとならなかったようだ。女性は診断書を持って署に出向くため、自分の車で出かけたと翌日聴いた。女性は、運転が出来る程度の打撲であったようだ。とはいえ、女性に年齢を尋ねると、80歳を超えていると知り、例え軽い打撲でも回復には時間がかかると覚悟した。

 翌日、診断結果を聞くために、お見舞いの品を持って女性のお宅を訪れた。診断は「骨には異常は無く、膝の打撲は軽度、湿布を続ければ回復する」と聞かされた。高齢者の場合、打撲は軽度でも、患部を庇って歩くため下半身のバランスが崩れ、腰に負担がかかることは多いから、楽観は許されないと感じた。要した治療費と帰りのタクシー代を支払い、領収書を貰って別れた。一週間後、話を聞くと膝は良くなったが、腰に痛みが来ているとのことで、予想される事態になっていた。保険会社から治療費請求手続きの説明が有ったとのことだった。

 女性からの電話は、「今日、医者から完治したから通院はしなくて良いと言われました。心配をかけましたが、大丈夫です。お世話になりました。」との丁重な挨拶であった。あの時、自転車が軽自動車の側を抜けるまで一時停止して待てば、接触は起こらなかった。徐行すれば抜けられるだろうとの判断が誤りであった。荷台に重い荷を積んだ自転車に乗っているのが、高齢の女性であったことは分からなかったとしても、自分の車の大きさを考えれば、一時停止は必須であった。一瞬の判断ミスが命取りになる。今回の結果は、僥倖に過ぎないことを肝に銘じた。

 事故被害者の高齢女性は、経営している事業の代表者であった。警察による現場検証時でも、自分をなじる事は一切無かった。自分が彼女を病院に送ったり、何回も訪ねて、病状を確認することに恐縮する節すら覚えた。話をしている内に、自分の気持ちが、素直に伝わっている事を感じた。このような人は希にしかいない。女性は、自分が病状を気に掛けている事を知る故、病院と縁が切れたことを連絡してくれたのだろう。

 二つ目は、今月末解約予定のマンション一室に、入居申し込みが有ったことだ。自分の街でも賃貸物件は供給過剰だ。1,2ヶ月間も入居者が決まらないのはざらにある。20年程前には、募集してから1週間もしないうちに入居者が決まったものだ。供給物件が多いから、入居者は時間をかけ、賃貸条件が良い自分の好みの物件を探そうとする。旧いマンションは、内装のリニューアルや設備投資をして新築マンションに対抗しなければならない。それでも、入居者が決まらないのが昨今だ。それが今回、間取り図、室内の写真、建物の外観だけで入居を申し込んでくれた。大家にとって、これ程の喜びはない。

 空き室に入居者が決まるまでには、多くの人達の協力が必要だ。マンション賃貸業は、これら協力者達との良好な人間関係無しには成り立たない。不動産仲介業者、工事業者、それに入居者との関係の根本は利害関係だ。自分の得のみにこだわれば、一時的には利が生じても、長期的には空き室が増加することになる。マンション経営者の最大の利益は、常に満室を保つ事だ。そのためには、関係する人達の利益を考え行動することだ。今回の様な入居者退出前の申し込みは、関係者の協力なしには考えられない。感謝あるのみだ。

 三つ目は、友人のSa君が地元の名菓を送ってきてくれたことだ。彼は、羽鳥湖山中の別荘地で、現代版仙人のような独り暮らしをしている。その彼が風邪を引き、中々治らない。今まで風邪一つ引かず、健康が取り柄と豪語していた彼が風邪だ。心配して、免疫力回復用の健康食品を幾つか送り、回復法をメール送信した。名菓はそれらのお礼のようだ。50年以上の付き合いの中で、彼がそうした返礼をするとは思いもしなかった。宅配便の差出人にSa君の名を見た時、信じられない思いであった。同時に、嬉しさが込み上げてきた。

 古い友人の存在は、かけがえのない財産だ。今までも、何人もの親しい友に先立たれてきた。自ら命を絶った何人かの友を思うと心が痛む。もし、自分が唯一人、予想外の長寿を保ち、語り合える友がいなかったとしたら、どれほど淋しい老後になるだろう。だから自身の健康のみならず、旧き友の自愛を願うのは当然のことだ。自分は、たまたま分子栄養学に出会い、自分なりの解釈で食生活を行っている。だからこそ、友の健康維持への手伝いは自然の行為だ。旧き友と残された人生を全うすることは、高齢者にとっては生き甲斐となるからだ。

 たとえささやかであったとしても、一日に嬉しい事が重なるのは、高齢者にとって滅多にある事ではない。人は何歳になっても、生き方を試されたいると感じた一日であった。

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