伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年3月30日: 賃貸物件の解約 GP生

 貸室業を営んでいると面倒な事案に直面することは多い。面倒事の筆頭は、解約時のトラブルだろう。賃貸マンションやアパートを借りる時、借主は保証金としての敷金を納める。賃貸物件は、長年使用すれば破損や汚れが生ずる。これらが借主の責任に帰れば、修繕費は敷金の中から支払われることになる。借主が負担額を納得すれば問題は無いが、以前は、貸主から過大な修繕費を請求される事案が多々生じ、社会問題となった。

 東京都は、貸主の不当な原状回復工事費の請求を防止する目的で、「賃貸住宅紛争防止条例」を制定し、、平成16年10月1日からの新規契約物件に対して施行された。賃貸住居に関する入居者の瑕疵責任が具体的に定められたことで、解約時の「原状回復」トラブルが激減した。借主が居住することにより生ずる自然損耗や汚損の復旧は、貸主の責任によって行うことを具体的事例をもって定義されたためだ。これ以降、賃貸借契約において、借主の優位性が確立し、通常の生活をしていれば、解約時に敷金全額が戻ることになった。自分が管理するマンションでも賃貸物件の9割以上の解約で、敷金全額還付が続いている。

 事務所・店舗の解約は、部屋の使用が営利目的であり事から、紛争防止条例的な基準は存在しない。従って、賃貸借契約書の解約条項の中に、物件に生じるであろう瑕疵責任の分担を明確に定め、その物件に固有の事項については「特約条項」を設けて、「原状回復」の具体を記載することになる。入居者が事業のために行う改装については、事前に改装計画を文書や書面にて貸主に提出し、了解を求めることになる。解約時の原状回復についても具体的に記されるのが通常だ。

 最近、友人のOk君は解約時のトラブルに見舞われた。彼の家人が学習塾経営のために賃借した部屋の解約を申し入れたところ、預け入れた保証金を遙かに上回る修繕費を要求されたのだ。たまたま、同期会の席で相談された。相談内容が要領を得ないので、「解決方法は契約書の中にある。契約書をよく読んで対応したらよい。契約書を読まないと具体的なアドバイスは出来ない。」と話した。

 翌々日、届いた契約書を読んでみると、貸主と借主の責任分担が明確に書かれているし、その物件の特殊事情による原状回復に対する具体的内容も明示されていた。この契約書に基づき解約期限内に、現場立合を行い、貸主と借主の修復責任を協議すれば、問題は生じ無いはずだ。現実は、借主は多額な修復工事金額を請求されて頭を抱えた。詳しい話を聞いてみると、契約書に定められた解約事項に従った手続きが行われず、貸主か一方的に過大な請求を行ったようだ。

 通常は、解約の申入を受けた貸主は、所定の「解約申入書」を借主から提出を受け、「現場立合」で入居者の責任分担を協議し、工事業者からの借主責任に関わる「工事見積」を基に、保証金の返済額を計算した「解約精算書」を借主に提示する義務を有する。借主が添付された見積書と解約精算書に異存が無ければ、貸主は、所定の口座に保証金を振り込んで解約手続きは完了する。預け入れた保証金で賄いきれなければ、借主は追加金を支払うことになる。

 問題が生じるのは、工事見積書が預け入れた保証金を大幅に上回り、追加金を請求された場合だ。立合時に工事範囲を協議しておけば、見積書の工事内容が適正であるか判断できる。貸主と工事業者が結託すれば、見積書の金額の操作は容易だ。Ok君の場合は、貸主が契約書に従った解約手続きを怠り、借主も又契約書の内容を十分理解しないまま話を進めたため、貸主有利に解約手続きが進められたようだ。

 これを防ぐには、賃貸借契約書の諸条項を理解する事から始まるが、条項の正しい解釈は借り手には困難だ。解釈の基準が業界の一般通念に依っていることが多いからだ。最初の契約時に、不動産仲介業者は借り手に対して、条項の意味・解釈を逐一行うことを義務づけられている。借り手は契約内容の理解より事業展開に心が奪われ、面倒な条文解釈は上の空、記憶に残らない事が多い。契約内容に対する借り手の不理解が、貸し手側から解約手続きを一方的に進められ、不利益を被る遠因となる。

 通常の貸し手であれば、借り手側に逐一説明し、契約書通りに進める。しらざる場合、相手が弱いと感じれば、契約外の理由を押しつけ金銭をむしり取ろうとすることも有ろう。Ok君の場合を詳細に検討したら、追加金を払うどころか、保証金のかなりの金額が還付される事が分かった。Ok君に、原状回復の責任範囲を契約書に基づいて詳細に説明し、不当要求に対抗する手段を話した。

 昨年、飲食用店舗を賃貸借した経営者が更新時に難儀をし、相談を受けた事があった。賃貸物件の更新時に更新料を支払うのが通例だが、この店舗の場合、更新料以外に預け入れた保証金の20%が更新時に償却され、その補填を要求されていた。結果、更新時に支払う金額は膨大な額になる。店舗・事務所の契約期間は3年が通常だ。借主は更新に要する費用が、この3年間に稼いだ貯蓄を全てはたいても不足をすると嘆いていた。貸主の行為は全て契約書に則っており、過大要求ではなかった。この借主は高級料理店で板前をしていた根っからの職人で、腕は素晴らしく、食して感嘆をする和食を提供していた。彼は自分のイメージに合った店を見つけた喜びから、店の改装や料理展開に気を奪われ、契約内容に対する理解が疎かになったのが原因のようだ。更新に直面して、自分の至らなさを嘆いても、時既に遅かった。

 彼は廃業を考え、店舗設備の居抜き売却を試みた。幾つかの引き合いがあり、契約寸前までこぎ着けても、大家との賃貸条件を知るにつれ、交渉相手は皆手を引いてしまった。彼は意を決して大枚の更新料を支払い、商売を継続した。廃業を決意したとき、なじみの常連客に廃業する旨を喧伝したため、客集めに苦労する再出発となった。この貸主の経営方針は、この町の店舗賃貸条件比較しても著しく貸主優位だ。優良物件を所有する者の強みかもしれない。

 自分の管理物件にも事務所・店舗は多い。基本的心構えは、貸主と借主双方の利益の調和だ。更新時は賃料の1ヶ月分のみで、保証金の償却は考慮外だ。家賃の設定も街の相場からやや少なめにしている。契約期間中、貸主が種々の応援を行うのは、事業の発展が貸主の利益に繋がるからだ。事業不振で解約となれば、貸主負担のリニューアル工事が必要だし、保証金返済の資金繰りも考えなければならない。次の入居者が決まるのに時間を要する。支出と収入減のダブルパンチだ。借主の事業が長く継続する事は、貸主の利益に繋がる事になる。自分の管理物件の入居者は皆長い。最長は、40年以上契約が継続している事務所だ。

 何年か前のことだ。喫茶店と菓子販売を営業する借主から解約の申入があった。店はカップルで運営していた。二人の夢は北海道で店を出すことだった。立地条件も有って喫茶店は繁盛した。努力の甲斐があり開業資金を準備出来たのだろう。解約立合時に、二人の門出を祝福した。自分の物件で借主が夢を叶えられた事は、貸し手にとっても喜びだからだ。現在二人は、北海道の大沼湖畔に喫茶店と菓子の通販を営んでいる。ネットで検索すると自然の木立の中に、瀟洒な木造店舗が佇んでいる写真があった。

 賃貸業を営み加齢が進んだ現在、事業目的は金銭取得だけで無いことが分かってくる。最大の目的は入居者との良好な人間関係を保つ事にある。入居者との立合時、協議がわだかまり無く行え、別れ際に「長年の利用有難うございました、お元気で!」と語れることが、貸し手の喜びだからだ。わずかな金銭に対する欲は、長年に亘って培った人間関係を無にしてしまう事になる。こんなに虚しい事は無い。Ok君の貸主がどのような経営哲学を持っているかは知らぬが、Ok君の正当な主張を理解してくれることを願っている。

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