伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2017年2月18日: 高齢化社会と老いの無惨 T.G.

 ドアフォンが鳴ったので玄関先に出てみると、お向かいの奥さんが困り切った顔で立っている。聞くと3軒先のお宅の高齢のご主人が歩けなくなって玄関先に座り込んでいる。見かねてとりあえず家の中に入れようと思うが、自分一人では出来ないので手伝ってくれと言う。行ってみると、83歳になるご老人が玄関先にへたり込んで、弁当を買ってきてくれと喚いている。奥さんが言うには、弁当を買いに行こうと玄関を出たら歩けなくなり、通りがかりの人に見境なしに弁当買いを頼んでいたらしい。とりあえず家の中に引っ張り込んで、近くのコンビニで弁当を買って来て手渡した。

 40年以上前に売り出された住宅団地で、400戸のほとんどが今では70歳を越えた高齢者世帯である。拙宅のご近所も、向こう三軒両隣いずれも75歳を超えた老人世帯で、すでに亡くなった人もいる。問題のご近所のご主人は現役の頃は高校の先生をしていたらしいが、今は年金生活で子供はいない。病弱の奥さんと二人暮らしである。若い頃から気むずかしい変わり者で、40年間ご近所とまともに口を聞いたことがなかった。通りで出会うと、挨拶もせず顔をそむけて通る。家の前で子供達が遊んでいると、うるさいと怒鳴りつけて水を撒いた。数年前に奥さんの具合が悪くなり、入院して一人暮らしになった。その頃から認知症が進み始めて、最近は見るからに挙動がおかしくなった。三度の食事はコンビニ弁当で済ませているらしく、買いに行く姿をときどき見かけた。とうとう歩けなくなってそれも出来なくなったのだ。

 この問題が起きるしばらく前、このご主人が突然拙宅にやってきて、顔を合わせるなり金を貸せという。今までろくに口も聞いたこともない相手に、藪から棒に金を貸せとは尋常でない。どうしたのか事情を聞くと、空き巣に入られて有り金を盗られた。朝から何も食っていない。弁当を買いたいので金を貸してくれという。痴呆が進んでいるので理路整然と話が出来たわけではなく、半分はこちらの推測である。当方の顔も分かっていないらしく、相手は誰でも良かったらしい。弁当代を貸すのはたやすいことだが、それでは問題解決にならない。とりあえず警察を呼ぼうというと、そんなことはどうでもいいと怒鳴りつける。いいから金を貸せの一点張りである。やむなく団地の民生委員をやっている人に連絡を取って、警察に電話した。

 駐在所のお巡りさんがやってきていろいろ事情聴取をするが、まともな受け答えが出来ない。奥さんの入院先を聞いても分からない。近くに親族がいるか尋ねても、栃木にいると言うだけで住所も電話番号も答えられない。懐から定期預金証書を取り出し、金は後で返すからとりあえず弁当代を貸せと話が戻ってしまう。埒があかず、業を煮やしたお巡りさんが市の包括支援センターに電話して話を繋ぎ、警察が対処できる問題ではないから、この先は市と相談してくれと言い残して帰ってしまった。とりあえず朝晩の弁当買いは手助けするとして、その先どうするか。周りに付き合いのあるお宅はない。知人親戚もいない。寒空の中、火事でも出されたらどうしようと、疎遠にされ続けた隣家の奥さんが心配する。さもありなん。

 民生委員の方が市の包括支援センターと掛け合って、とりあえずヘルパーを派遣してもらえることになった。しかし家族も身寄りもいない、判断能力も生活能力も失った認知症老人には当面の応急処置に過ぎない。このままでは先の見通しが立たず、生きていけない。そうこうしているうちに近くの特別養護老人ホームに空きがあり、十日間だけ緊急入居出来ることになった。費用の安い特養老人ホームは希望者が百人待ちで、入居は至難の業といわれている。それがわずか1週間で入れるようになったのは、市の担当者が見捨てておけぬ緊急事態と判断したに違いない。民生委員のお手柄である。

 それでも十日後には追い出される。市と民生委員が別の特養老人ホームを当たっているが、空きがあったとしても長期入居には身元保証人が必要になる。あちこち探してやっと遠い親戚を見つけ来てもらったら、顔を合わせるなり俺の金を盗んだとわめき散らす始末。認知症特有の猜疑心である。呆れたご親戚は、身元引き受けなんて真っ平ごめんと怒って帰ってしまった。この出口のない状況に、見かねて世話を焼いている民生委員はなすすべがなく、頭を抱え込んでいる。体中が痛い、もう死にたいと喚くので、救急車を呼んで病院へ連れて行ったら、診断の結果どこ悪くないと帰された。83歳で痴呆以外は体に何の問題もない。高齢者の悩みの種である癌も脳溢血も心筋梗塞も心配がない。さぞ長生きするだろう。幸というべきか不幸というべきか。

 これはいささか極端な例だとしても、これに近い老人問題は身の回りに掃いて捨てるほどある。我が家の前の通りに面した20軒のうち、身体を壊したり痴呆が進み始めたご老人が半数以上のお宅にいる。最近は子供が二世帯同居を嫌うので、いずこも孤独な老人夫婦ばかりである。今現在でこれなら、あと10年経ったらこの団地はどうなることだろう。団地だけでなく、同じような孤独な高齢者であふれかえった日本はどうなることだろう。家族の絆が薄れ、核家族化が進んだ日本で、独立した息子や娘達は年老いた孤独な両親とどう向き合うのだろう。団地のご近所と同じように、見て見ぬふりなのだろうか。それとも我が民生委員のように、縁もゆかりもない他人に手厚い世話が焼けるのだろうか。その民生委員も自身がすでに76歳の後期高齢者。後任者が見つからないのでやむなく続けているという。その年老いた民生委員の見返りのない孤軍奮闘ぶりを見ていると、頭が下がると同時に救いがない絶望的な気分にもなる。孤独老人だらけの日本は、この先どこへ行くのだろう。

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