伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年10月23日: こもごもの老いの実感 T.G.

 家人と軽井沢にある昔勤めていた会社の山荘へ行く。いつものように家人が旧軽の商店街を散策している間に碓氷峠まで往復する。江戸時代の旧中山道の碓氷峠で、旧軽から標高差300m、往復8キロのハイキングコースになっている。いつものように、登り60分、峠での休憩15分、下り45分で、計2時間かかった。毎年歩いているので、老化の格好のベンチマークテストである。76歳で2時間なら、数年先、80に近くなったら3時間ぐらいかかるのかも知れない。日本の男性の平均寿命は80.2歳、健康寿命は70.4歳だという。だとすれば、自分と同じ76歳は大多数が死んでいるか、寝たきりか要介護状態のはず。76歳で峠往復が2時間で出来て、80歳で3時間なら御の字と言うことだろう。

 そのことをメールでGP生君に送ったら返事が来た。高三のお孫さんが志望校の大学のAO試験に合格し、中三のお孫さんが野球で特待Bで野球名門校の合格が決まったと言う。二人に孫が同時に同じ日に人生のスタートに立った。あまりに目出度くてお祝いの焼肉屋でしたたかに酔った。その席で「こんな素晴らしい日があっとたは、生きていて良かった」と奥様が述懐されたという。付け加えて、「孫二人の先が見えるのに後10年必要です。生きる目標が見えてきました。久しぶりに老後の人生最良の日を味わっています。」とあった。当方の孫はまだ小学生。将来が分かるにはあと20年はかかる。とても生きながらえる自信はないが、とりあえず頑張ってみると、お祝いを兼ねて返信しておいた。

 千葉の高校の同窓会案内が届いた。副題に「喜寿を祝う会」とある。まだ76歳だが数えで77歳の喜寿だという。言われてはじめて気がついた。懐かしい思いだが、遠くてなかなか出かける気にならない。一杯飲んだら帰りは電車を乗り継いで3時間以上かかる。老体にはいささか辛い。遠くの大学に入って千葉を離れたので、以来地元の友人達とはほとんど付き合いがない。以前一度参加したことがあるが、大方は名前も顔も忘れていた。「元気でやっております。皆さんにお会いしたいのは山々なれど、千葉は遠くてなかなか腰が上がりません。」と不参加の返事を返した。このまま一生参加する機会はなさそうだ。

 羽鳥湖の独居老人Sa君からメールが来た。先日伝蔵荘からSa君の車で帰る途中、TUWV3期卒業生の同期会の話になった。我々3期は卒業時13人いたので十三人会と称していたが、卒業以来52年間、一度も同期会をやったことがない。互いが顔を合わせられるうちに声をかけてみるかという話になった。13人のうちすでに4人が亡く、一人が音信不通である。帰宅して、残りの元気な8人に同期会打診のメールを送った。1週間経ってもGP生君とOk君以外、返事が来ない。Sa君からその件についてどうなっているか問われたので、次のように返事を返した。「3期同期会の件、1週間経ちましたがOk君以外誰からもレスポンスがありません。みな歳をとって、そんな昔の古くさい人間関係には興味が湧かなくなったのでしょう。これも老化の一種です。それぞれに健康寿命が尽きたと言うことですね。」後は平均寿命まで一直線か。

 四軒先の家の旦那さんがやってきた。同年配の後期高齢者である。聞くと半年任期の自治会班長が終わったので、順番でお役目をお隣に回したら、80過ぎのご主人にもう歳だからやりたくないと言われた。代わりにお宅でやってくれと言う。班長の役目は回覧板を回すことと、半年に一回、自治会費を集めるだけのごく簡単なことで誰でも出来る。やりたくないとごねた80歳のご老人は、朝晩の買い物や散歩で元気に歩き回っている。出来ないわけがない。団地が出来て50年近く、住民のほとんどは70歳を越えている。そういう絵に描いたような老人団地である。我が家も含め向こう三軒両隣はすべて後期高齢者ばかりである。「私だって手を伸ばせば80歳。皆がそんなことを言い出したら自治会が成り立たない。もう一度お願いしてみたら」とお引き取り願った。

 しばらくしてピンポンが鳴った。玄関先に出てみると、門の前で渋々班長を引き受けたお隣の旦那が自治会の会計係と二人で立っている。自治会費の徴収だという。惚けでお金の間違いが起きるといけないので、会計係に同行を頼んだという。わずかな額の自治会費を、通りの両側に面した20軒から集めるだけである。わざわざ会計係を引っ張り出すほどのことではない。しかもこのやりとりは会計係との会話で、ご本人は終始無言で突っ立っているだけ。こうなると年寄りの嫌がらせに近い。こんな思いをするなら、屁理屈などこねず黙って引き受けておけば良かったと後悔しきりである。アー、つくづく歳は取りたくないものだ。

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