伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年9月30日: 言ってはいけない格差の真実 T.G.

 10月号の文藝春秋に、作家の橘玲氏が「言ってはいけない格差の真実」と言う一文を書いている。別に単行本も売られているらしい。そちらのタイトルは「言ってはいけない残酷過ぎる真実」である。サブタイトルが「教育、社会福祉、貧困…、8つのタブーに切り込む」となっていて実にシニカルな内容だが、物事の一面、本質をとらえていて面白い。最近の日誌のネタはほとんどがネットと文春である。知性の欠如か、単なる耄碌か。

 橘氏の主張は、「人間の知能は遺伝による。頭の善し悪しは生まれつきのもの」と言う、身も蓋もない前提に基づいている。実にエキセントリックな前提だが、それから導かれる結論は「現代の知識社会において、経済格差は知能の差である」と、これも身も蓋もない。しかしながら最近の格差問題の深刻さや教育政策の齟齬を見れば、現実と符合する点が多々あり、容易には看過できない。

 彼の主張の前提はこうだ。最近の行動遺伝学の研究によれば、知能の遺伝率はきわめて高く、論理的推論能力は68%、一般知能は77%に達する。さらに知能には人種間の差異があり、様々な研究成果を総合すれば、白人の一般的知能(IQ)を100とすると、ユダヤ系は115である。また、白人の平均的なIQの標準偏差値を50とすると、黒人の偏差値は40,ユダヤ系は60,アジア系は53程度になる。ゆえにユダヤ系が金融業やIT産業などを支配しているのは、陰謀などではなく単に頭がいいからであり、アメリカの黒人問題は人種差別ではなく知能差別である。頭の善し悪しは生まれつきのもので、事後の学習はほとんど効果がない。利口は生まれつき利口で、馬鹿は死ぬまで馬鹿である。ゆえにアメリカの黒人問題は福祉政策や人種差別撤廃ではどうにもならない。

 前提にしているデータの信憑性の問題はさておき、実に挑戦的で刺激的な論点である。これを今の日本社会に敷衍するとこうなる。今までは貧乏人の子供でも、学校へ行って勉強すれば頭がよくなり、いい仕事に就けると思われてきたが、それは間違いで、頭の悪い子はいくら勉強しても頭はよくならない。だからいい仕事には就けない。いつまでたっても貧乏人の子供は頭が悪くて貧乏である。東大生の親は金持ちの東大出が多いと言われるが、それは遺伝の結果でどうしようもない。頭がいいから東大に入れていい仕事に就き、結果として高給取りになれる。生まれた子供も頭がいいから東大に入り、収入もいい。この循環が格差拡大のエンジンである。金持ちはどんどん金持ちになり、頭の悪い貧乏人はますます貧乏という救いのない格差が生まれる。

 最近若者の貧困が問題になっている。大学を出ても仕事がなく、派遣やアルバイトやフリーターに甘んじるしかない。年間所得が200万円にも満たないから結婚も出来ず、子供も生めない。それが少子化の最大原因である。若者の知識を高めるため、さらなる職業訓練が必要だと様々な雇用政策が打たれたが、効果は芳しくない。頭の悪い子をいくら訓練しても、お利口には出来ないのだ。大学を出たのに、ブラック企業と言われるビッグマックや牛丼屋の店員か、コンビのにアルバイトしか出来ないのは、頭が良くないからである。だからそういう頭を使わなくてもいい職にしか就けない。それでブラック企業が生まれ、その結果少子化が進む。

 かっての農耕社会では、求められる能力は知能ではなく体力と忍耐力だった。頭が良くなくても畑仕事が得意であれば人並みの収入を得られた。産業革命以降の工業化社会では、知能ではなくこつこつ働く生真面目さが求められた。決められた作業を飽きもせず繰り返し行える忍耐力が美徳だった。今は知識社会である。農業は衰退し、生真面目さが活かせる製造業は、あらかた海の向こうへ行ってしまった。仕事に求められる能力は知識と知能である。ほかは要らない。ビッグマックや牛丼店やコンビニのアルバイトは頭を使う必要がない。マニュアルを忠実に実行する機械に過ぎない。生産性が低い作業だから報酬は安く、長時間労働が必要になる。それでブラック企業が生まれる。もうしばらくすると人間は要らなくなる。機械がやるようになる。そうなればブラック企業は消えてなくなるが、頭の良くない人間はどこへ行けばいいのだろう。

 ついこの間までの工業化社会時代は、大学が少なかった。おおむね勉強好きの偏差値が高い子供だけが大学へ行った。今は違う。大学の数が千を越えて、望めば誰でも大学に行ける。ほぼ全入だから、すべての偏差値が入学対象である。頭の良い子だけとは限らない。むしろそうでない子の方がはるかに多い。大学教育にかける金と時間と労力は同じである。問題はそれによって知能を高められるかだが、橘理論によればそうはならない。知能は学習では高められない。蛙の子はいつまでたっても蛙のままだ。大学出の大半は大学レベルの知能に達していない。だから知的職業には就けない。それなのに大学出だからと都会にしがみつき、ネクタイ絞めた仕事に就きたがるが、せいぜいがビッグマックか牛丼店の店員だ。その結果、都市が貧しい住民で過密化し、農作業以外ろくな仕事がない田舎は衰退する。壮大なミスマッチである。

 やがてAIがほとんどの仕事をするようになると言われる。そういう今よりさらに進んだ知識社会になって、並の人間はどうやって暮らしていくのか。職を見つけ、そこそこの稼ぎが得られるのか。子供を産み育てることが出来るのか。これ以上格差を広げないように出来るのか。そういう難問を教育や福祉政策で解決できないことは明らかだ。

 与太話はこれくらいにして、橘論文の結論はこうだ。「知識社会において差別をなくし、人々を能力だけで評価しようとすると、知能の格差が現れる。知能が教育によって高められる科学的根拠はない。結果として、よりよい社会を目指そうとすればするほど、社会は知能によって分断され、経済格差が広がり、憎悪と不信が増大する。グローバル化、知識社会化、リベラル化が歴史的に不可逆な進化だとすれば、私達はこの暗鬱な未来から逃れるすべはない。」さらに付け加えて、「知識社会における経済格差は知能の格差と言う不愉快な事実を受け入れなければ、今の日本や世界で何が起きているかが見えない」

 信じるかどうかは別として、仮にその通りだとすると、近未来は著者の言うとおり実に不愉快な世の中になりそうだ。

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