伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年9月26日: 韓国の漢字教育復活 T.G.

 中国系のネットサイト、レコードチャイナを読んでいたら、「漢字を廃止した韓国は今になって後悔?」「日本でさえ漢字を廃止することはできなかった」「韓国の歴史書は全部漢字で書かれてるのに」と言う面白い記事を見つけた。最近の小生の知識はほとんどがネット由来である。
 それによると、「韓国は歴史的に長く漢字を使用してきたが、数十年前から漢字廃止政策がとられるようになり、漢字は韓国社会からほとんど姿を消した。しかし韓国教育部の方針により、2018年までには小学校の教科書に漢字が併記されるようになる」という。

 これに対し、中国のネットユーザーから様々なコメントが寄せられている。「日本でさえ漢字を廃止することはできなかったのに、韓国の自信はどこから来たんだろうな」 、「自分の民族の歴史書はすべて漢字で書かれているから、漢字を学ばなければ自国の歴史書も読めない。本当に笑っちゃうな」、「漢字廃止は数年でできるし、漢字を忘れさせることは数十年でできる。でも廃止してから再び漢字が分かるようになるのには数百年かかるだろう」、「漢字なんて学ぶな。ハングル文字を支持しろ。もっと気概を持てよ」、 「韓国は漢字を文化遺産に申請するのではないかととても心配だ」、「韓国人は漢字を学んではダメだ。そうでないと漢字まで韓国の発明にされてしまう」

 いかにも皮肉たっぷりで、的を射た野次である。韓国は日韓併合が終了した戦後のある時期、漢字教育は日帝支配の残滓などと愚かなことを言って、それまで行われていたハングル混じりの漢字教育をやめ、ハングル一本にしてしまった。慰安婦像と同じで、戦後の韓国は反日を言えば何でも通る。ソウルの街を歩いても漢字表記の看板はほとんど見かけない。誰も読めないから看板の意味がないのだろう。国民の多く、特に若い世代は漢字を知らないし読めない。そのことを今頃になって反省、後悔しているのだという。

 そもそも昔から韓国の庶民(朝鮮といった方が妥当か)は、事実として漢字はおろかハングルも読めなかった。識字率が低かったからだ。一説には併合前の朝鮮では日本の寺子屋のようば庶民教育施設がなかったので、識字率は10%にも満たなかったという。朝鮮の庶民が誰でも文字を読めるようになるのは日韓併合後のことである。日本政府は朝鮮の各地に学校を建て、日本と同じような教育制度を敷き、国語の時間に漢字とハングルを教えた。それで多くの庶民が漢字やハングルを読めるようになった。

 「極東ブログ」というサイトで、東大の入試問題をネタにハングルについて蘊蓄を語っている。それによると、「ハングルは李氏朝鮮の第4代王の世宗が「訓民正音」として1446年に公布したもので、意味は「民を訓える正しい音」。つまり、漢字の音を表記するための工夫だった。漢字があってこその「ふりがな」と言ってもよいだろう。」という。あくまでも漢字が中心で、漢字を表音表記するためのルビだったわけだ。大和言葉の表記文字である日本の仮名文字とはまったく違う。

 また次のようにも書いている。「世宗はハングル普及のために諺文庁という文化機関を設置したが、李氏朝鮮の第10代王・燕山君の時代1504年に、ハングルの焚書坑儒的な弾圧が行われた。また燕山君がクーデターで失脚した後の第10代王・中宗も、ハングルの弾圧は引き続き、諺文庁は廃止され、かくしてハングルは公式に禁止された」。中国伝来の漢字文化を重んじる朝鮮の支配階級は、ハングルを忌み嫌っていたのだ。そのためこのハングル禁止は日韓併合で李氏王朝が滅びるまで続いた。それまでの朝鮮人の大半は文盲で、漢字はおろか、ハングルも読めなかったし、一握りの支配階級である貴族や両班は漢字しか使わなかった。庶民に漢字やハングルを教える学校もなかった。その文化砂漠的雰囲気はイザベラ・バードの朝鮮紀行を読めばよく分かる。

 国語教育は国の基本である。政治も経済も、文化も科学技術も、すべて国語の上に成り立っている。国語をないがしろにすると国が潰れる。韓国を見ていると、国語教育を大事にしているとは思えない。500年以上前から国語の表記文字が漢字で、漢字の読み方(ルビ)としてハングルを創り、それすら大事にせず弾圧して葬り去り、併合後の日本がハングルを教育に取り入れて復活させたら、それをいい事に戦後いきなり漢字を捨ててハングル一辺倒にしてしまった。70年経ったらそれを反省して漢字を復活させるという。こんなでたらめな国語の扱いをする国はほかにない。英語もフランス語も、中国語も日本語も、国語は延々とした歴史の積み重ねであり、途中の断絶はない。その積み重ねの上に国語が完成し、それによって文化や科学が継承されてきた。韓国、北朝鮮は、国語についてのそういう認識が欠けている。今度の漢字復活もそうだが、国語なんてその時々の都合で変えればいいと安易に考えている。

 戦後間もなく韓国、北朝鮮が漢字教育をやめたのは、戦前の日帝支配に対する怨念に因るところが少なからずあるだろう。そういう心情は理解するとしても、恨みや情念で歴史を曇らせるのは愚かなことである。歴史は冷厳なもので、日帝支配も歴史であり、そうなった経緯も歴史なのだ。いくら嫌いでも歴史は変えられない。歴史から目を背ければ国家を継承できない。まして歴史の怨念を国語教育に利用するのは愚の骨頂である。実際問題として、日帝時代のわずか30年間の漢字教育を否定して、それをたった70年で元に戻そうとしている。朝令暮改を絵に描いたようなものだ。

 教育は国家百年の計である。特に国語教育は大事だ。国語は一夜にして成らない。日本語で言えば古事記万葉集以来の歴史の積み重ねである。中国の野次馬が言うように、韓国が今頃になって漢字教育を復活させても、元に戻るには百年かかる。国語の時間にいくら漢字を教えても、街の本屋に漢字の本は売られていない。新聞も雑誌もハングル一辺倒。これでは漢字が広まるわけがない。広まるのは本屋の書棚の半分以上が、戦前のような漢字、ハングル混じりの書物になった頃、おそらく百年ぐらい先だろう。そもそも日帝の漢字教育はたったの30年間である。70年経って今頃それを復活させる意味がどこにあるのか。

 他人ことばかり言ってはおれない。最近の日本の英語教育ブームの軽薄さもそれと似ている。幼稚園から英語教育を始めるという。小学校で国語を減らして英語の時間を作るという。そうしないとグローバル化の時代、日本が後れを取るという。そんなことはありはしない。英語下手の日本人でも、世界第3の経済大国が作れた。これから先も出来るだろう。英語教育を否定するつもりはないが、大事なのは日本語である。まずは日本語教育をしっかりして、その先の話である。日本語教育が出来た上での英語教育である。順序を間違えてはいけない。幼稚園や小学校で英語を教える必要はない。中学生になってからで十分だ。少なくとも国語の時間を減らしてまでやることではない。そんなことをしていると、韓国を笑えない。他山の石とすべきである。

目次に戻る