伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年9月3日: 芥川賞作品「コンビニ人間」を読む。 T.G.

 遅ればせながら文藝春秋9月号の芥川賞作品、「コンビニ人間」(村田沙耶香著)を読む。8月初めに書店で購入したのだが、熱中症に罹ったりハワイ旅行が重なったりしてついつい読まずにいた。ハワイ行きの機内で読もうと持参したが、熱中症の後遺症もあって、この作品だけは読む気力が起きなかった。最近の芥川賞は文章が下手で内容が薄く、面白くない。読むのに苦労する。数ページ読むと放り出したくなる。ひたすら我慢して読む。まるで我慢大会である。この作品も例に漏れない。

 日本で生まれたコンビニと言う商売は、仕入れから販売まで、経営のすべてが完璧にマニュアル化されている。少しでもマニュアルから外れることは許されない。もし外れたら経営が成り立たない。マニュアルの権化である。この作品の中身の大半は、その精緻なマニュアルについて、主人公であるベテランコンビニ店員の生活を通して蘊蓄が語られる。特に前半10ページぐらいの記述はいわばマニュアルの解説そのもので、中身がないから1ページ10秒ぐらいで斜め読み出来る。文学的描写は皆無。無味乾燥と言うか。読んでいて面白くもなんともない。こんなものが文学作品かと気落ちしながら読み進める。

 話の途中から、この世の生き物とは思えない、マニュアルの権化のような“異常人間”の主人公と、彼女を取り巻く生き身の“正常人間”達との対比ややりとりが出てきて、やっと文学作品らしくなる。主人公の中年女性は、大学時代から16年間、コンビニアルバイトを続けてきた。ほかの仕事はしたことがない。16年間毎日そうしていると、コンビニマニュアルが体に染みついて、そこから一歩も出ることが出来なくなる。家族や友人との交流もなく、40近くなるまで恋愛も結婚も、セックスすらしたことがない。コンビニ店員としては機械仕掛けのロボットのように完璧だが、マニュアル世界から一歩でも逸脱すると途端におかしくなる。日常生活もままならなくなる。そういう異常人間と、そこから抜け出させようとする周囲の“正常人間”との滑稽で不毛なやりとりが物語のすべてである。

 いくら何でもそんな妙ちくりんな“異常人間”が現実社会に存在するものだろうかと疑念が湧く。作者も純文学としてのフィクション構成上、何らかの存在証明が必要と思ったのか、主人公の子供の頃の性癖を挿話として挟む。小学校の体育の時間、男の子が喧嘩を始めた。「誰か止めて」と先生が叫ぶと、主人公の女の子は近くにあったスコップで暴れる男の子の頭を引っぱたいたら喧嘩がやんだ。「なんでそんなことをするの」と先生に詰問されると、「止めろと言われたので、いちばん早そうな方法で止めました」と答える。おかしなことをしたという意識はない。そういう変わった子供だったのでマニュアル人間になれたと言いたいらしい。

 巻頭のインタビュー記事を読むと、作者の村田氏自身、大学時代からのコンビニアルバイトを今でも続けていて、ほかの職業に就いたことがないという。結婚もしていないという。主人公と同じような子供時代があったと言う。運動会の大玉転がしで、「大事な大玉だから、乱暴に扱っては駄目よ」と先生に言われた。言いつけを守ってそっと転がしたら、あまりにゆっくり丁寧だったので運動会が中断してしまった。ここまで類似すると、まるで作者自身を主人公にして書いているようなものだ。おそらく主人公は作者の分身なのだろう。

 物語は、周囲の正常人間に“救出された”主人公が、“まともな正常人間”になるためにコンビニをやめ、結婚や就職に踏み切ろうとするが、どうしてもそれが出来ず、元のコンビニ異常人間に逆戻りしてしまう結末で終わる。なんとなく尻切れトンボである。現実社会には存在しない異常人間と、そのあっけない結末とをメタファにして、何を表現したかったのか、テーマが判然としない。

 昨年話題になった芥川賞「火花」もそうだったが、作者自身の生活圏や人生経験だけに閉じこもって描く文学作品は如何なものだろう。小説家としての想像力が見えない。「火花」は漫才師の作者が、知り尽くしている漫才師の世界を描いた。「コンビニ人間」はコンビニ店員が、勝手知ったるコンビ世界を舞台に描いている。純文学といえど小説はフィクションである。物語を構成するための種々のシチュエーション設定が腕の見せ所だが、この2作品に限って言えば、それを知り尽くした手近な空間で済ませていて、あまりにもお手軽である。端的に言えば小説作りに汗をかいていない。この作者の他の作品を読んだことがないが、このお手軽さはこの作品に限ったことなのだろうか。ほかの作品では、シチュエーション設定に小説家としての想像力を発揮しているのだろうか。とは言っても、コンビニ世界をメタファに何を語りたかったのかの方が重要ではあるが。

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