伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2016年8月28日: 俳優、高畑裕太に見る人生の挫折   GP生

 最近売り出し中の俳優高畑裕太が、40歳のフロント女性に対する強姦傷害容疑により、宿泊先で逮捕され送検された。高畠は女優高畑淳子の息子でもあり、テレビに格好の話題を提供している。テレビドラマ「女たちの特捜最前」で高畑淳子と共演した高島礼子の夫高知東生は、覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕された。その後、高島礼子は夫と離婚した。夫婦であれば、離婚で一定のけじめをつけられる。実際、高島礼子への影響は最小限に留まった。高畑裕太と高畑淳子は紛れもなく、血の繋がった親子だ。この縁を断ち切ることは出来ない。

 高畠裕太の犯した罪は、強姦傷害だ。人として破廉恥極わまりない犯罪だ。ホテルのフロントに常備してある「アメニティグッズを部屋まで持ってきて欲しい」と依頼し、部屋に来た女性に打撲傷を負わせた上、押さえつけ、行為に及んだ。高畠は「計画性はない」と供述しているが、信じられない。高島は、当夜のホテルには、40歳の女性しか勤務していないことを知っており、夜中の2時過ぎに部屋に来るように仕向ける行為は、計画性が無いでは通らないだろう。芸能界では無類の女好きで有名な高島は、共演した女優達をくどき回ったり、テレビで一緒になった女性をしつこく追い回し、嫌われていた。バラエティー番組でも、「とにかく性欲が抑えきれない」と冗談めかして吹聴していたそうだ。今回の行為は冗談ではなかった。

 高畑裕太は40歳の女性の尊厳を踏みにじり、一生消えることの無い傷を心に負わせた。強姦致傷罪は、刑法によれば無期又は5年以上の懲役だそうだ。裁判が行われれば、示談が無いため、執行猶予が付くこと無く、刑務所に直行だ。刑期を終え出所したとしても、世間の見る目の厳しさを覚悟しなければならないだろう。日の当たるところで、チャラチャラ生きてきた男にとって、どれ程の苦痛だろうか。

 20代の若者の性欲が強いことは、その時期を過ごした男であれば、程度の差はあれ誰しも経験する事だ。とはいえ、高畑裕太の様な行為に走る者は極めて稀だ。高畠が自らの欲望をコントロールし、上手に処理できなかったのは何故なのだろう。日頃の生活は、芸能人のドラ息子の典型で、同類の仲間と六本木界隈で遊び回っていた事は有名だ。テレビのバラエティー番組では、不用意な言動が他のコメンテーターを戸惑わせたり、激怒させたりしている。高畠裕太はデビュー後、未熟な言動が多かったようだ。180pを超える偉丈夫の外見とのギャップが面白くて、所謂「女好きの天然キャラ」と、もてはやされた。

 両親が離婚したとき、高畠は母親のお腹の中にいた。以降、母子家庭で育てられた。母親は苦労をして育てたようだ。幼少時から思春期にかけて、彼の言動が母親を悩まし、苦労をかけ続けていたようだ。周囲の人には、「息子は他人の気持ちが分からない子」と悩ましげに話していたという。

 親と子は肉体的繋がりはあっても、全く異なる存在だ。肉体は遺伝しても、魂はそれぞれ独立した存在だからだ。受胎して3ヶ月が過ぎた頃に、所謂、陣痛が起きる。あの世から胎児に宿った魂が、母親の魂と調和する課程が陣痛として現れるからだ。前世で母親と何らかの繋がりが有ったり、あの世で双方の魂が共鳴出来たがこそ、この世で共に生きるために親子になるのだ。だからこそ、母親の子供に対する思いは極めて強く、その絆に父親が入る事は難しい。母親の息子にかける思いの強かったことは、想像に難くない。

 母親の子供に対する愛情が強すぎる場合、子供の精神の成長が阻害されることは多い。溺愛は子供の心を歪がませ、自立を妨げるからだ。子供が困ったり悩んだりした時に、母親が先回りして解決するから、自ら考えることを放棄してしまう。自己中心の思考が強くなり、他人の気持ちが分からず、自律した生活が出来なくなる。自分は、近親者で同じ様な経験をしている。

 成長するにつれ、親の七光りが、高畠裕太の心の成長を妨げたのかもしれない。女好きは生まれながらの性癖だ。自ら考えること無く、自ら律する経験の無かった男は、成長して、涌き上がる性欲を制御できなかったのだろう。共演者に嫌われながら、口説き回っている内は無害だ。彼は、止める者が居ない深夜のホテルで、本能の命ずるままに突っ走ったのだろうか。行為が、自分や母親、そして仕事関係者に壊滅的影響を及ぼすことに思い至れば、あり得ない行動だ。しかし、彼は、前後を考えることはなかった。

 犯罪の刑事責任は、22歳の高畑裕太にある。もし、高畠が一般人であれば、三面記事の端に記され、テレビのニュースで流され、直ぐに忘れ去られる事件だ。母子とも芸能人故、刑事事件としてだけで終わらないのが世の常だ。母親の高畑淳子は、謝罪の為、記者会見を行った。前橋署で接見した息子は、泣きじゃくり、「申し訳ありません、申し訳ありません」と繰り返しそうだ。会見では、母親は深々と頭を下げ、息子の不祥事を詫びていた。憔悴しきった目に涙を浮かべ、記者達の好奇に満ちた質問に真摯に答えていた。30分の会見時間が過ぎても、質問は止まらない。母親の心が切り刻まれるような問いかけが続いた。高畑淳子は逃げること無く、記者の質問に最後まで真正面から誠実に答えるていた。息子の犯罪に目を背けること無く、贖罪を一身に背負って、会見に臨む母親の覚悟が、そこにあった。この高畑淳子を非難できる者は居ないだろう。逃げずに現実に向かい合った事で、高畑淳子は女優としての命を失うことを免れたと思う。もし、これが我が身であったら同じ事が出来るだろうか。

 高畠裕太が出演を予定したテレビ番組やドラマの取り直しや差し替え、企業のコマーシャルの停止等により、彼には損害賠償が請求される。その額は億を超えると言われている。彼が属するタレント事務所は倒産の危機にさらされているとか。高畑淳子は予定していたテレビ番組出演を断った。彼女は、中年を過ぎてから、独特の存在感ある演技でブレークしてきたが、「強姦致傷罪の息子の母親」との形容は、生涯消えることは無いだろう。息子に課せられた損害賠償の肩代わりも、せざるを得ないだろう。刑が確定しても、収監され刑に服する息子を案じ、心が晴れることは無いだろう。息子が出所しても、元の生活は戻らない。高畑淳子は、今年12月までの舞台を贖罪のために続けると話していたが、辛い覚悟だと思う。会見では「どんなことがあっても、お母さんだから」と息子に話したと、絞り出すような悲痛な声は、狭間に立つ母親の気持ちが、聞く人の胸を痛ませる。高畑裕太は、この母心を何処まで分かっているのだろうか。

 高畑淳子が、もし離婚せず両親揃って息子を育てたとしたら、高畑裕太の人生も変わっていたかも知れない。男の子の成長には、父親の存在は不可欠と考えるからだ。自分も2人の男の子の親だから分かる。父親は存在するだけでは駄目なのだ。仕事にかまけて、母親に子供を任せた結果、不祥事を起こしたみのもんたの息子が良い例だ。高畑淳子は一生懸命子供を育てたと思う。しかし、母親には男親の役割は果たせない。今回の高畑裕太の不祥事が、母親の離婚に遠因が有るかも知れないとは、考えすぎだろうか。

 高畑裕太が高校三年時に、俳優の道を志したのは自らの意思だ。そして、4年後、自らの行為により挫折した。これから始まる長い刑務所暮らしで、22年の人生を振り返り、過ちを真摯に反省する事が、これからの出発点になろう。母親との接見時、「ごめんなさい」と泣きじゃくるのは、子供と同じだ。反省では無い。母親に甘え、世間に甘え、無分別に生きてきた男にとって、自らの生き様を考える時間は十分にある。出所後、被害者女性に心からの謝罪をし、女性の許しを得られれば、再出発は可能かも知れないが、許してもらえるだろうか。母親に依存し、自ら考えることの無かった22歳が、本当の自立を迫られる時間が始まる。

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